浪士隊追討の命を受けてそのあとを追っている田沼玄蕃頭の率いる追討軍が馬籠宿に到着したのは一一月二八日で、浪士隊とは依然二日の間隔を保って進んでいた。江戸出発以来追討軍は浪士隊が二回に亙る戦闘で日を費やしており、この間に追いつくことが充分可能であったにもかかわらず、常に二日間、距離にして二〇里ほどの間隔を保っていた。追討軍は馬籠宿で昼食、その日は中津川宿に泊まった。一方浪士隊はその日は御嵩宿に宿泊している。馬籠に着いた追討軍は全員が陣笠をかぶり剣付き鉄砲、揃いの制服で凛々しい出で立ちであった。大黒屋日記は連日の大通行で日記を書くこともできないと、心の乱れを次のように記している。
十一月二十八日―天キ、公儀衆、廣瀬村泊りにて浪人跡追手御通行。當宿お昼にて中津川泊り、不残陣笠、剱付鉄砲一丁ツツ用意、凡千人余之人数に相見え申し候。追て此節御通行と申事にて大変の事にて書記出来不申、あらまし書記ス。