防火規制

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ひとたび大火に見舞われると宿駅機能が停滞し、通行の支障を生ずるため、幕府は平時の火の用心について特に留意するようにとの触書を頻繁に発し、街道住民の注意を喚起している。たとえば寛文二年(一六六二)時の大目付兼道中奉行高木伊勢守名により発せられた右の触書は防火に関する最初の触書と思われる。
 一、火の用心の儀、昼夜町中番人を出し置、自然、火事出来候はば早々声を立て、町中より出合い消候様に申し付べく事、勿論、夜中の儀は、盗人、辻斬のため増人を加へ、堅く相守り候様に申し付くべく事、
     寛文二年寅十一月
 次に貞享二年(一六八五)の触書は次のとおりである。
 一、常々風烈しく時分は、宿々において、その所の家持・店借の者とも三・四人づつ、 昼夜とも一宿に一ケ所づつ自身番を相勤め、火元以下堅く申し付くべく候、自然火事出来致し候はば、火鎮り次第早速焼跡絵図面に記し、火の子細(しさい)書き付け、宿次に注進至すべく事、
     貞享二年十一月
 また木曽代官山村氏も、火の用心、防ぎ方について谷中宿村に再三触書を出してその注意を促している。寛延四年(一七五一)八月、火の元用心、火消道具備付に関する七か条の触書を出している。
     定
 焼亡は困窮の基、その上板木払底の時節に火災に懸り遭い候ては、甚難儀の事に候、火の元の儀前々仰せ付けられ候得共、猶以って常々随分気を付け、油断無く相慎べく候、その上にも出火あらば近辺早速馳付、家数多く焼ざる様に出精防留申すべく候、家数多く続きこれある所は、壱軒燃上り隣家え移り候程の大火罷り成り候節は、双方最寄りの方え立別れ、明地小家いずれにても然るべき場所見立てその所え集り、或は屋根板取り払い、戸壁相放し防ぎ申すべく候、
 一、庄屋、組頭早速罷り出て消し方油断なく裁許せしめべく候、その組下の百姓共右指図の趣、違背なく相働申すべく候
 一、高札近辺出火の節は、早速罷り越しはずさせ、構(かまわ)なく所えのけ置申すべく候、
 一、家数多く続くこれある所は、火消し道具・はしご・水籠・手桶・鳶口・斧・常々拵え心掛置申すべく事、
 一、火の用心の儀、常々随分油断仕らず、惣べて家内火焚き所、その外燈火たばこの火等、麁抹(そまつ)これ無き様、念入れ申すべく候、家数多く続きこれある所は、夜番等相立て油断なく折々相廻り申すべく候、
 一、秋作取り揚げ候以後、毎年一度ずつ組役人家々相廻り候て、藁・粟・稗等の物から惣て糖芥などの置所まで、見分せしめ、火の元不用心これなく様差図せしめ候、
 一、往還に夜中くも助類、野火致させ間敷候、勿論胡乱(うろん)躰の旅人に宿借し申さず様、村中え堅く申し付べく事、
 一、塩硝并鉄砲薬所持の者これあれば、常々念を入れ措置、火事の節は猶更用心致し気遣(ずか)いこれなき場所え取りのけ置申すべく事、
 右の通り今般改め仰せ付けられ候間、油断無く相守り申すべく者也
     (宝暦元)
     寛延四年未八月
 山村役所はその後も防火に関する触書を出して、注意を喚起しているが、この後天明五年(一七八五)五月に「火消方御定」が申し渡されて、宿村では毎年一一月に「火の用心申渡書」を宿村内の者を集めて読み聞かせ、請書に連判して提出させた。『王滝村誌』に、天明五年一一月付の「火之用心被仰渡御請書連判帳」がある。その前書を掲げると次のとおりである。
     差上申一札之事
 一、火の用心の儀、前々より度々仰せ渡され御儀に御座候得共、尚又当五月火消方御定仰せ渡され并に寛延四年仰せ渡しの趣委しく承知畏み奉り候、これによって出火の節防方手配、火消道具等相改め常々火の用心堅く相守り申すべく為、其の御請書連判差上申す所件の如し。
     天明五年己十一月
 また、出火時の防ぎ方について天明五年(一七八五)六月、山村役所から谷中村々への申し渡し書(奈良井手塚文書)に、次のように命じている。
 出火の節防ぎ方の儀、前々より仰せ付けられ置候分と、寛延四年火消道具拵え置方、他村出火の節馳着の村方ならびに常々火の用心廻り方の儀、御改め委細仰せ出され候事に候得共、年久しく相成り万一心得違いの村方も、これあるべく哉に付、なお又今般仰せ出され候趣心得違これなく急度相守候様、村々の端々の者迄も委しく申し渡すべく候、火消し道具の儀は年久しく相成り候ては、用立て申し間敷候間相改め、損じ候分は拵え直し置申すべく候、序を以って見分仰せ付られ候儀もこれあるべく候、
 右によると、出火の防ぎ方についてはずっと以前から命じられていることであるが、三四年前の寛延四年に改めて火消し道具の拵え方、他村出火の節の助勢に関する注意、日常の火の用心見廻りの方等に付申し渡されているが、その後長年経過しておろそかになっている村もあるから、村中隅々まで徹底させよというのである。
 そして火消組の編成については、次のように申し付けている。
 ①村々の火消人夫を一村一組編成では、二、三か所へ手分けをする場合、不都合であるからこれからは「小村付二組か三組、大村は最寄り最寄り」を組合せ一組三〇~四〇人程度ずつ幾組にも分け、庄屋・問屋・年寄・組頭の内、三人ずつの頭分をおくこと。
 ②何村一番組・二番組と組分けの小旗、夜は掲提灯持たせ、早速馳せ付け、一組ごとに行動し消火に勤めること。また一組の人数が揃うまで待って馳せ付けては遅延するから、それぞれ身仕度が出来次第早速火元に馳せ付け、小旗、掲提灯の下に集まること。
 ③福島村出火の際は、役所の下役を派遣指揮に当らせるから、その下に到着すること。