馬籠宿の火災年表

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現存する資料で見る限り、馬籠の火災記録の最も古い文献は、寛永一六年(一六三九)二月一一日に発生した馬籠宿の大火である。この火災について、『信濃史料』所収の「覚範随記」(木祖村原敦子蔵)には「一家数三十壱軒、馬籠内廿軒、寛政十六年卯年焼申候」とある。当時の宿場の三分の二が焼失した大火で、尾張藩から金子三〇両が下付された。『木曽旧記録』によれば、このときに類焼した島崎家では、家宝の天正二年、同一二年の木曽義昌朱印状を焼失したという。
 馬籠宿火災の記録は、馬籠「八幡屋覚書」に、宝暦一二年(一七六二)峠の大火より、文化一三年(一八一六)七月までの間、村内二六件、村外の大火四件が記録されている。『大黒屋日記』は天保元年(一八三〇)から明治元年までの火災二六件の記録である。ボヤ等を含めた詳細な記録は貴重であると思われるので年表にしておいた。なお、この間に発生した宝暦一二年の峠の大火、および安政五年と万延元年の馬籠宿の二度の大火の詳細はその後に記しておいた。
(表)