◎老の木曽越・玄旨法印道之記

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細川玄旨法印
 はるかなるほと木陰をとをるとて、
  しけりそふもりの下みちわけくれば
  おもふかほかの夕くれの空
 つまこと云里にて、鹿のとひ行を見て、
  わかれしとつまこめに行なつやまの
  をしかのつのゝほかのまふしも
 樵夫の峯よりをるゝをみて、
  うちなひく山のした草かせ
  かつみなからにかへる柴人
  しつの男のつま木にそふる卯のはなの
  雪をかろけにはらふ山かせ
 今夜ハふみしのさとゝいふに旅宿をもとむ、信濃路過て美濃国に出れハ、山の端に替ていとひろやかに覚ぬ、
  (後略)
 本書は、細川玄旨法印幽斎の江戸から中山道を経て京都に至るまでの紀行文である。前夜、野尻に泊まって後木曽川づたい西に下り妻籠から馬籠辺りの鬱蒼たる森のなかの山道の記述を引用しておいた。細川玄旨は、戦国時代の武将として聞こえた人で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた。歌道にも秀で、二条派正統の歌人で、連歌にも造詣が深かった。天正一〇年信長の死後、幽斎玄旨と改め、慶長一五年(一六一〇)七七歳をもって京都にて没。