◎前田慶次道中日記

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前田慶次
 是ヨリ信野(濃)也
 三十日 中津川ヨリまご目へ二里、まご目ヨリ妻子ニ三里、妻子ヨリ野尻ニ三里、以上八里、
 木曽の山道、河水も落合の宿、妻子の里に休らへバ、狐狼の返(変)化かとうたかふはかりけハひたる女あり、山家のめづらかなりし見物也、里はずれのそ(岨)ハ道をべに坂といへば、
  けはひたる妻戸の妻のかほの上にぬりかさぬらしべに坂の山
  (後略)
 この紀行文は、前田慶次が慶長六年(一六〇一)、一〇月二四日京都伏見を発ち、米沢に到着するまでの二六日間の旅を日毎に記したものである。旅の途次、慶次は古文・漢詩など豊かな教養を駆使して、和歌・俳諧を詠み、その土地の風習などの見聞を交えて記している。慶次は本名利太。のちに加賀前田利家の兄利久の養子となる。その後越後の上杉景勝に仕えて二千石を食んだが関ヶ原の戦いののち、浪人となり、慶長一〇年(一六〇五)没した。