僧 沢庵
…二里きて、新江川(贄川)といふ。
岸かげに江川の水のすゞしきはげにこの里の名にぞながるゝ
こゝより木曽の内なり。川は谷のそこながれて、そばの道をゆくに、道かけてとりつくべき様なきをわたしたるかけ橋なり。川をよこにはわたさずして、川とならびてわたるを、木曽のかけはしといへるなり。
(中略)
みどの
恋はうきはしのしたにて神たちの見とのまぐはへしそめてしより
つまご
物ごとのあはれは秋の夕にもつまこふ鹿の音にとゞめぬる
まごめ
出雲にぞつくる八重垣つまごめときゝし神代のむかし覚ゆる
落相(落合)
谷々の木々の雫の落相て岩こす波の麓川かな
沢庵和尚は、江戸初期臨済宗の高僧で書画、俳諧にも優れていた。寛永一一年(一六三四)、江戸から上洛した折りの紀行文である。『木曽路紀行』一巻は、上山より江戸に入った翌々年に記されたもので、旅の途上の風物や感慨が述べられ各所で歌を詠んでいる。『木曽路紀行』の和歌は、自ら「ただ狂言のみに……旅の心をなぐさめ……歌人の歌よみ給ひて歌枕しるし給ふに同じからず」と記しているように狂歌の趣が濃いとされる。東より木曽路に入った彼は三留野宿、妻籠宿、馬籠宿、落合宿とそれぞれ和歌を残している。