◎日本行脚文集・巻之六

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大淀三千風
 …尾州への追分、中津川にかり寐して、美と信の境橋、馬籠村を過ぎ、名におふ木曽の幽谷にかゝる、都をば花にわかれて立ちしかど、陰山余寒を通さねば、木曽路は今ぞ盛りなる。向上(ミアグレ)ば、鼻端に花咲き、直下ば、膝頭に良材をしがらむ。樹神(ヤマビコ)川音あらそひ、丁々たる鉞(マサカリ)の声、北にひゞけば、子をよぶこ鳥峯にかへり、筏に乗りし鶺は、南をさしてながれ行く。
  木曽山の斧やおのれを呼小鳥
   鶺鴒も査(ウキキ)に氷る余寒かな
 節隥(カケハシ)をわたれば、狼胡(オオカミノシタクビ)を跋(フ)み、厳嶮(ソハ)をたどれば、猫股尾に躓く、かとすれば、又杣が庵の夕煙、猟夫が軒の銃の音、冷しきにも風景、おそろしきにも眺望、一句の月川、性水をふくみ、満山の花木、心香をちらす。(後略)
 
『行脚文集』(「日本行脚文集」はその内題)は、大淀三千風のものした紀行文で、南海・山陽・九州・山陰・四国・東海の各地を巡歴して、元禄二年(一六八九)故郷の伊勢に戻るまでの足掛け七年、じつに三千八百余里の長途の旅を記した紀行文集のことである。伊勢飯南郡射和村の出身の江戸中期の俳人。その表現は語法語格を無視、自由闊達であるが故に、引用した文章からして、全く異なったイメージの木曽路ではある。