◎滑稽旅賀羅寿

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十返舎一九
  中津川よりその日は馬籠の宿、大黒屋方に泊りたるに、いまだ暮れざれば、宿の店先にいでて、往来を眺めゐたりしに、下の方より座頭一人来かゝりたるに、上の方馬方馬を引きながら、脇見して座頭の鼻の先へ引きかけければ、座頭大きに腹を立て、
 「この白昼に何とて盲人のわれらへ馬を引きかけたるぞ。畢竟われら早速よけたればこそ怪我はせざりし。盲人と悔られし段、堪忍ならず。」
  と、馬の手綱を両手にしっかりとられて、馬方困り入り、いろいろと詫び謝れども、とかく了見せず。
 「この馬いつまでもやることならぬ。」
  と力むゆゑ、通りがかりの者気毒がり、座頭をいろいろなだむれども、座頭、片意地に、もつたる手綱をはなさず。さまざま悪口して、誰のいふことも聞きいれず。
「おのれ盲と侮って、太い奴だ。目こそ見へぬが、鼻に嗅ぐことはやるものではない。おのれ俺を突き倒して逃げやうとする嗅ひがする。その手を食ふものか。こっちにも盲神様があるぞあるぞ。」
「なんでも相手は、その馬だから、滅多には離さぬ。俺もたいがい馬には負けぬものだ。」
「この盲どもも、だいがいにさっしやい。あまりしつこいと横面をはりころばすか。放さぬか。放せ放せ。」
 さきほどより、いろいろ口を添えたる者ども、この座頭を憎しとや思ひけん。刃物を持ち来たり、馬の手綱を切りて、その切りたる手綱をしっかり持ちて、座頭と引き合いながら、とかく了見頼むといへば、座頭堪忍ぜす。問屋場へ連れ行かんと、無性に手綱を引っ張るところを、
「そんなら勝手にしおれ」
 と、手綱持ちたる手を離せば、座頭その手綱を引っ張りし勢ひに、後へどつさりこけると、見物どつと笑ひ囃す。そのうち馬方は馬を引きて逃げて行く。座頭あまりに意地張りて、かゝる目に会ひしと、人の笑ひ草になりたるもおかしかりき。(後略)
 
 『滑稽旅賀羅寿』は、『膝栗毛』などの作品と異なって、作者自身である一九が第一人称を用いた直接体験の旅行記といえる。旅をしながら彼は、スケッチや、見聞、体験をメモすることを忘れない、いわば客観的なルポルタージュといえよう。文政二年(一八一九)の秋、一九は伊那の大出村大永寺の書画会に招かれた後、大平峠を越え妻籠、馬籠を通って中津川の扇屋に滞在の後、馬籠の大黒屋に泊まっている。『滑稽旅賀羅寿』には、中津川から夕刻まえに大黒屋に着いた一九が、散歩がてら街道に出て、そこで目撃した座頭と馬方のいさかいを目撃談として描いている。

馬籠の宿・大黒屋前のいさかい