◎寄せ書「馬籠八景」

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俳諧・美濃派の宗匠たち
 峰ばかり暮てもくれず恵那の雪(恵那暮雪)                 八十叟 受左坊
 鹿越や雨の夜は又ほとゝぎす(鹿越夜雨)                      巒 化
 暮おしむ朱の鳥居や夕日影(宮守夕照)                       逸歩仙
 はゝき木もたづねて見ばやけふの月(園原秋月)                   完 古
 吹替て田毎の波や青あらし(番垣戸青嵐)                   東武 琴和坊
 寺の名に鐘の響も日も永し(永昌寺晩鐘)                      良寿仙
 汲でかえる中の間の水か炉びらきに(蘇川帰帆)                   風二仙
 人気なき浦田や雁の遊び所(背戸田落雁)                      士 游
 
 俳諧において美濃派といわれるのは、蕉門十哲(芭蕉の門下のうち秀れた者一〇人)の一人各務支考によって普及された流派で、広範囲に多くの同好者を得ていた。「馬籠八景」(口絵写真参照)は、この美濃派の宗匠八人の自作自筆の句が、それぞれの風景の中に書き込まれており、絵は蜂谷蘭渓(馬籠宿出身の画家)の手になるものである。この寄せ書『馬籠八景』の掛軸については、島崎藤村の『夜明け前』(第一部・第一章の一)に記されている。八景は「背戸田」「番垣戸」「鹿越」などいずれも馬籠の地名を詠んでいる。八人は、いずれも当時美濃派の俳匠としてそれぞれ広くその名を知られていた俳人たちである。
 風二仙・本名、青木寿平、美濃国曽井中島村出身。琴和坊、江戸下谷の出身。逸歩仙、美濃国長束村の出身、本名は浅野兵部、神職。巒化、美濃国政田村の出身。本名は、高木嘉左衛門耕平。士游、優々舎士游と号し、本名は石原民五郎。良寿仙、美濃国大井宿の出身。