井出道貞
…馬籠より落合の釜が橋の水上東北一里余に湯舟沢と云里あり此地に兼好法師の住庵の跡あり其頃ハ兼好屋敷と呼つらんをいつしか訛て猿猴(えんこう)屋敷と称す今又訛て猿屋敷と呼ぶ杉三本あり三月十五日土人(さとびと)酒を携行て兼好の〓(れい)を祭る茲に経塚とて六尺許小高き所有其端の崩たる所より小石に経字の書たるが出たり其側に近頃兼好塚の碑石を立又茶臼一つ出たりと云。
(中略)
吉田兼好の書を模写したという
(信濃奇勝録)
此地の右の岡を霧が原といふ径十町余長一里余平坦にして古へ人家有とそ近頃田圃をひらく文化四年一民田を耕すに一ッの甕を得たり其中に銭七八銭を蔵む半ハ己に朽敗す其存するもの五銖及び開元通宝あり其余ハ宋銭なり又此地より右に山深く入て湯舟石と云あり旱魃の時ハ土人請雨に行此道堪嶮峻縄をたづさへ梯を持て躋る常にハ人の行事を禁す人至る時ハ暴雨烈風起るといへり霧か原の右より流出るを温(ぬる)川と云ひ左より流来るを冷(つめた)川といふ温川の岸の蛇抜洞といふ所より種々の状の石出る白く灰色にして梅仁の如く豇豆(ささげ)の如くなるか多し。此辺温泉の気あり湯舟沢温川の名によって起る灰色の石等も又其故なり。三留野の駅の林某か許に代々伝へてもてる兼好自筆の徒然草を一段書たるあり歌書古歌の筆跡ハたまたま世に有といへともつれつ草の自筆ハ世に稀なる物といへれは其はしめ三行をこゝに模写す
野槌 漢名千歳蝮
馬籠より妻籠の間に一石峠とてわつかの嶺あり此山中に野槌と云物あり八月の頃たまたま出るといへとも稀にして見るもの少し形蛇の如く中太らかにして大小あり大なるハ長一尺二三寸太さ一尺廻り行事も蛇のことし岨坂を横きる時ハ転ひ落て行事ならす敢て害をなす事なしといへり。和漢三才図絵に吉野の奥に此物ある事をしるす此説に異なり
馬籠峠附近では野槌(ツチノコ)が出るという
(信濃奇勝録)
著者、井出道貞は本書を書くにあたって「山樵土人を訪ね、煙霞泉石にて目に留るものは筆にし、時には画家の揮毫をもとめて」と記しているように、実地調査は執拗にして徹底を極めている。道貞は、南佐久郡臼田町の人で家は代々神官で、若くして学問を好み博覧強記であった。『信濃奇勝』は複雑な自然環境にある信濃各地を、道貞一人が十数年にわたって実地調査を重ねた成果を記録したものである。道貞が本書を脱稿したのは天保五年(一八三四)のことであった。