見聞日記 二之巻

見聞日記 二之巻 [目録]


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<翻 刻>
 
管理番号七六
 
福岡郷土館史料番号一二五
 
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(一七二七)   (一七五六)
享保十二丁未年ヨリ宝暦六子年迄
見聞日記 二之巻
年数三拾年  後藤吉右衛門宅矩
 
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見聞日記二之目録 享保十二丁未ヨリ 吉右衛門宅矩
一加藤喜右衛門殿御廻被 仰渡之事 一上地橋御用木之事
一御領内ニテ操仕候由ニ付御吟味之事 一豊前国宇佐八旛宮勧化之事
一御城御用木神明御用木之事 一殿様御疱瘡被遊候之事
一火事ニ付被 仰渡之事 一神土村神附者御仕置之事
一仏神新規事御停止之事 一殿様御官位之事
一曽我郷右衛門殿御立身之事
 長沼万右衛門殿御用人役之事
一御領内へ入込商人宿之事
一東正右衛門殿御領内御廻之事 一水上田地あと高くせまじき事


 
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一下野村安左衛門子を殺御追放之事 一熊并わしくまたか打上候様ニと御触之事
一給人衆名附申間敷之事 一御役替り七人之衆之事
一山漆の実之事 一御下タ新御殿之事
一駿河御番当り御不幸故止候事 一殿様御他界之事 一切之
付留之事
一姫栗田地御改之事 一村方飢人御見分之事
一殿様御養子之事 一西国四国作物に虫附之事
一御未進負候者普請御停止之事 一内縁組御停止之事
一東正右衛門殿御願ニ付御役御免之事
 幸纈勘右衛門殿御用人役之事
 東新吾左衛門殿宗門御奉行之事
一東新五左衛門殿御郡方役候事


一新金を文金ニ引替之事 一巣お路し 小兵衛
孫十郎
御ほうび之事
一なしくぼ作左衛門夫婦切り死之事 一借金五分利被 仰出之事
一下森とい木願之事 一苗木時之太鼓初り之事 并並松之なミ木
立候事
一知原出見せ茂作願之事 一本郷知原源右衛門山神社木願之事
一殿様 遠山豊前守様
一切書留有
御高骸之事 一火事手くばり之事
一幸纈勘右衛門殿御山ニ而もや苅之事 一南宮森より杉末口出候事
一南宮大鳥居 天神居垣并鳥居
立かへ候事
一丑年新田畑直之御見分之事
一どた橋用木出之事 一が満沢新井水之事


 
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一上野大目の森より杉末口物出候事 一葺板寸法御定之事
一高山 茂作
団四郎
蛭川ニ而酒作候事 一免合二三分方上候様被仰付ニ付 御領内中
地ならし仕候事
一御関所を越東国江出間敷之事 一田瀬村亥の谷山御仕出之事
一高山御巣山御仕出 并橋子山之訳ニ付福岡へ
御目付衆御世話之事
一諸国米直段御定御触之事
一御蔵米御上ミ拂之事 一勢州本〆槻木末口物出候事
一高山森より又杉末口物出候事 一年号改元 享保十一年七月より
元文元年ニ成ル
一金銀吹きかへ之事 一御朱印御尋之事
一上田犬地山論之事 一中原幸右衛門殿御用人役之事


一南宮社上葺之事 一下切之者木草霜打レ願之事
一鍛冶多助黒川江参候事 一庄屋名替之事
一尾州様川狩一河を二川ニ狩度願之事 一橋子坂山より樫くわべら出候事
一板子坂山より弓木材木出候事 一御未進金五割増之事
一天王寺勧化之事 一殿様御家督ニ付御料理被下候事
一庄屋普請願之事 一くりや元仁右衛門火事之事
一御立山弓木御停止 並ニ植木仕候様にと
被仰付侯事
一御代替ニ付東新五左衛門殿御廻之事
一知原𣑑(筏)流レ候事 一年号改元 元文六酉年三月十二日より
寛保元酉年ニ成


 
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一殿様御殺生ニ犬地江御出之事 一曽我郷右衛門御用人役之事
一殿様御婚礼之事 一三州誉田勧化之事
一犬槇と申木御尋之事 一タルイノ
 南宮勧化之事
一年号改元 寛保四子三月より
延享元年ニ成ル
一公儀御尋者 徳川氏
と乗り之事
一結城法澄寺勧化之事 一上地村弥四郎欠落之事
一殿様御養子御願済候事 一諸職人御役銀召上之事
一飛騨国御番所御役銀入札 御触廻
申候事
一御尋日本左衛門が事
一木子御運上札之事 一黒川清十郎鎌賣
 蛭川藤蔵馬賣買
願之事


 
一年号改元 延享五年辰七月十八日より
寛延元年ニ成ル
一神山新左衛門殿御家老役之事
一本願寺宗号を浄土真宗と改事 一曽我郷右衛門殿 二十石加増ニて
御家老役之事
一曽我主礼殿郡方役之事 一琉球人来朝ニ付御国役之事
一大濱一学殿御用人役之事 一大御所様御他界之事
一年号改元 寛延四未十一月三日より
宝暦元年ニ成ル
一木積沢 勘左衛門
安左衛門
喧嘩之事
一御領内大道脇立木之事 一はかり御改之事
一山御法度之事 一宮地多門殿御家老職之事
一殿様御他界之事 御不快之節より
一切留書
一西美濃川さらへ之事


 
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一小川政右衛門殿御用人之事
 左巻かや御用之旨被仰付之事
一琉球人来朝御国役之事
一御囲籾被仰付侯事 一中原惣右衛門殿御用人役之事
 加藤七左衛門殿御老臣職之事
一御制札新ニ御書直之事 一改暦之事 犬地村と小原村と
山論之事
一お志げ様福島へ御縁組之事 一三州伊賀八幡勧化之事
一伊藤清左衛門殿御用人役之事
 大濱権左衛門殿御家老職之事
一京都大仏殿勧化之事
一蛭川数右衛門相果後御吟味之事 一日比野者若山ニ而 もやかり置仕候ニ付
御吟味之事
一太兵衛伐跡 福岡村よりかしすミ願候ニ付
相止メ申候事


 
    見聞日記[享保十二丁未正月廿七日ヨリ歳々之事記 後藤吉右衛門宅矩時代]
一享保十二丁未閏正月廿七日、親磯兵衛忠吉死去いたされ、悴
 新五兵衛[あわや新五兵衛と名間違出来候間相談之上何れ成共 替り候様にと被仰付候あわや新五兵衛も御用承候人ゆへ也]正兵衛と改[棚橋庄兵衛といふ 倉奉行御座候ゆへ 御城金手形ニ 同名有之ニ付]又清九郎と改又吉右衛門と相改申候
 法名知道了精居士宝ハ後藤庄兵衛娘也前帳にもくわしく之有り
    ○加藤喜右衛門殿御廻り被仰渡之
一享保十三甲三月加藤喜右衛門殿いふ御足軽御廻り被仰付之趣ハ
 御法度之はくゑき心かけ参候者一宿もの仕間敷侯且又村方ニ
 おゐて小ぬすミ仕候者有之候様ニ相聞へ申侯左様之義仕候
 者ハとらへ村役所え引出村中立合其者を随分はじ
 志め某上せいし等させつゝしませ可申候某上ニて手に
 
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 あまり候者ハ御注進可申上候様ニ被 仰付侯猶又諸職人
 商人等他所之者ハ暫も留置申間敷旨村方え堅く
 被仰付惣五人与頭御呼寄証文ニ庄屋与頭五人与頭印形させ
 御取被成蛭川へ御越被成候庄屋新五兵衛与頭清左衛門古之右衛門御代
 官曾我弘内様也
    ○上地橋御用木之事
一享保十三甲ノ十月上地御門之外大橋之御用木高山村え被
   仰付御巣山より栗角ひそ木共大小百三拾弐本伐出し
 知原渡場ニて山奉行衆へ相渡申候委細木数品之目録有り
 御代官曾我弘内様也高山庄屋新五兵衛与頭清左衛門古之右衛門 跡ニ忠左衛門といふ
 
    ○御領内ニて操仕候由ニ付御吟之事
一此間所々ニてあやつり有之候様ニ相聞候早々何連へ成共送出可申候少も差置
 不申様ニ可被申渡候若此以後留置申筋相聞候ハヽ其所役人越度可被
 仰付候其外御法度之義念入相慎申様ニ惣百姓へ可被申付候 以上
 享保十二丁未ノ二月廿二日御代官藤田守助曾我弘内岩嶋孫左衛門岩井
 杢右衛門地廻りより坂下五ケ村より南方御領内不残廻ル
一最初申触候通此間御領分ニて操仕候由何方之村ニて致させ
 候哉何者宿いたし候や具ニ吟味いたし近々可被申聞候たとへ
 人家ニて無之所ニて仕候共棟取いた志候者有躰ニ申出候様ニ可被
 致侯若隠置申候ハ脇より相知申ニ□のてハ弥可為越度旨村々
 庄屋頭共へ可申遣候様ニと被仰付候右之趣可被相心得候以上
 未ノ二月廿六日曾我弘内高山より坂下下組迄右庄屋中
 乍恐ロ上書ニて申上候事
一昨日被 仰付侯操之義、当村之義ハ別て吟味仕、留置不申候
 
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 候ニ付、如此申上候 以上未ノ二月廿七日、曾我弘内様、高山村組頭共
 右二通之書付上、相済申候 享保十二未年
       豊前国宇佐八満勧化之事
 享保十二丁未年
一豊前国宇佐八満勧化帳面之通御免ニ而相廻し候間村々
 一覧いたし返を可有之也 尤長成ノ義ニ候間写し留申ニハ不及候間
 寺社并百姓町方共ニ勧化金弐百疋取かへ申候割賦之義ハ
 御代官中より可申渡候 其心得可有之候以上
 未ノ三月四日曽我郷右衛門東正右衛門地廻坂下五ケ御領内不残廻ル
 右之勧化御割賦九匁三分三厘右之内九分七厘高山壱匁五分弐厘福岡
 九分八厘下野六分四厘上野六匁三分六厘合郷三匁六分八厘町組壱匁五分
 四厘下組 未ノ四月七日曽我弘内 五ケ坂下庄屋中
御城御用木之事
一ひの木長十四長 五寸角百本 一椹ひば同長 五寸角百本
一樅 同長 六寸角百本  〆三百本
右之通、被 仰付可被下侯、未三月廿九日、右ハ御城御用


 
明神御用木覚
一栗 長一間 五寸角 三百十五本 一同木 長弍間五寸 百本
一ひば 長六尺 五寸角 百八十五本 一同木 長弍間五寸 五十五本
一椹 長弐間 六寸角 三十壱本 〆六百八十六本
外ニ、鳥居木、長壱丈三尺ノ壱尺弐寸角七本、内四本ハ丸太ニ而末口
壱尺弐寸 未ノ五月十八日


    殿様御疱瘡之事
一殿様、於江戸、御疱瘡御軽く被遊之旨、奉恐悦候、
 依之右御祝儀、勝手次第可被罷出候 以上
 享保十二年未ノ五月晦日 曾我弘内 五ケ村坂下村へ
 
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    火事之事
一御領分境、他領ニ火事相見へ候ハヽ、早速其村役所へ達、庄屋
 より以差図を、役人相添、早々火事場へ見舞可申候、尤、向様之
 役人方へ相届ケ火消し可申候、火しめし帰侯節も、人数不残
 相つめ置、役人へ相届罷帰り可申候、御領内近在ニ火事有之
 候ハ、早速参着、右同前可被相心得候、別て夜中之火事は、
 盗賊之訳も可有之候間、弥人数吟味専一二候、若何方ニ火事
 有候共、此方へ早速注進可申候 以上
 同十二 未ノ六月十四日 曾我弘内
 高山村庄屋 新五兵衛
 
    神土村神附之事
一享保十二丁未八月十九日之御触今度神土村神附之百姓役所
 之差図を背十七人江戸江罷下候 心底不届之至ニ候
 
 依之左之人数之者 御領内御構ひ被遊候 立帰り者之義ニ候間
 自今村方へ入込候ハヽとらへ置早々注進可申候万一隠置候段外より
 相知候ハヽ急度被 仰付候兼而其心得可有之候 以上
 追而左之人数書留置脇之者迄銘々可申添候 以上
 平四郎 磯右衛門 庄六郎 与十郎 孫兵衛 孝吉子紋平 左衛門子小伝次
 小兵衛 清六郎 〆九人未ノ八月十九日東正右衛門 御領内中へ
○未八月廿六日神土村へ御出之方宮地兵五右衛門様
 長田十右衛門様岩井杢衞門様 東正右衛門様 末八月廿六日夜
 四ツ頃御出立ニ而神土村へ御出被成候神土村ニ而庄屋之外ニ侍衆
 之宿壱軒取道はたニ可被申付置候御触東正右衛門曽我郷右衛門
 村々人足廿七人馬四疋内たい松とほし五人かこ人足六人之御触
一神土村東組之内百姓十七人去月四日当地致欠落候ニ付
 内十六人江戸表ニ而召捕被差登候人別詮儀之上
 
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 今度夫々ニ御仕置被 仰付候
一死罪人両人 磯右衛門 平四郎
一追払 拾四人 庄六郎 孫兵衛 忠六郎 金右衛門 小伝次
 与十郎 金兵衛 此者神土 越原 柏本 寺前 黒川
 此五ケ村外ニ御城下御構ひ追拂ニ候
 作平 儀平 新右衛門 小兵衛 庄助 八右衛門
 源八郎 右此者共之義ハ神土村越原村柏本村此三ケ
 村外ニ御城下御構ひ追払申付之畢 若此者共之内
 御構ひの村へ出入候ハヽ捕置之早速役所江注進可
 申候 尤御構ひ無之村々差置候分ハ不苦候然時ハ何方ニ
 何と申者并父母妻子兄弟共ニ何人罷有之哉其村之
 庄屋頭より書付以之御代官へ至渡而又居所おもかへ候ハヽ
 其段おと届可申候
 
一磯右衛門 平四郎家内之者共も神土村之外ニ罷有之事ハ
 不苦候居所之村より訴候事も右同断
一前方相触候神土村清六郎家内之者居所届之義も
 右同断
一犬地村文六郎弟銀右衛門今度神土村東組十七人へ
 荷擔之志有之ニ付而其村追放候外ニ罷有申候
 儀不苦之居所届候事も右同断
一泉村先嘉助儀神土村東組非理の訴状を仕立
 去巳年并今度共両度認くれ候旨右十六人之者共
 訴状申候間向後御領内之内へ堅ク入ましく候若又
 御領内より忍ひニ而も出入候者有之候ハヽ早々役所へ
 知らセ可申候以上
        未ノ八月廿九日 曽我郷右衛門
                東 正右衛門
 
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一神土村東組追払者十七人之者田畑居屋敷以入札
  御拂被 仰付候望之事者地方致見分相調可申候
  其内右十七人之親類縁者并ニ前方地替申付候
  類縁ノ者ハ相調申間敷候 但一屋敷ニかきらす
  いへ屋敷に而も結望申者其通入札可致候右之
  通被仰付之候間望申者有之村ハ名を相記可
  被差越候其後ニ見分之日限相定被 仰付候以上
   未ノ九月十八日 藤田守助 曽我弘内 岩嶋孫次右衛門
           岡本忠蔵 御領内村々へ
    神仏新規事御停止之事
一於在々所々神事仏事某外不依何事新規之
 儀堅不可取建若無拠子細有之ハ奉行所又ハ
 
 地頭え相達し可任差図縦令有来候儀ニても例ニ
 替りたる品可不仕候右之越可相守若違背之輩
 有之ハ其所之名主年寄等急度可為曲事候 以上
    未ノ十一月
 右之御書付従江戸至来候条お村々ニ写置之可存、
 其旨候以上 未ノ十二月廿三日 曾我郷右衛門 享保十二年丁未
                東正右衛門
    殿様御官位之事
一享保十二丁未十二月十八日[献上御肴代として四百文、五ケ坂下として上ル 高山村より割賦四十文也御代官弘内様より割賦]
 殿様御官位被仰出之豊前守と被称之候由
 各々可被得其意候為其如此ニ候 以上
 未ノ十二月廿九日 曾我郷右衛門
          東正右衛門
 
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 殿様御元服甲二月十五日御入部御願同三月相済同四月三日御発駕同四月十日
 御城着ニ候御縁組之御願同九月相済申候
一曽我郷右衛門様御立身御給人格ニ被仰付候東正右衛門様も
 御かぞう被下候旨御触有之享保十三申四月十一日[御両所 御触也]
一長沼万右衛門様御用人役被仰付候由御触 御両所より触
   享保十三戊甲年  同十三甲五月十一日
    御領内へ入込候商人役人左方二宿仕候様之事
一村方へ入込候商人はくゑき等を心懸ケ候者有之畢村方
 みたり様ニ相聞候自今ハ他所商人并村かわり之商人
 庄屋与頭之方二宿可仕候若無拠差合之節ハ頭共より
 致差図平百姓之内ニも留可申侯尤新田方山手へ
 
 付候はなれ家なとにわ一切宿いたさせ申間敷侯
 此旨水のミ小脇之者迄堅く可申付候惣て商人ニ
 かきらす諸職人等も准右申し候者也
 同年甲七月朔日 曾我郷右衛門
         東 正右衛門
 
    東正右衛門様御領内御廻り之事
一新田畑相改年経場広ニ成候所ハ吟味之上年貢米相
 増可申候勿論新田畑無年貢之所も有之候や可心附候
 附未進無滞相済候様ニ相考可申候
一井水川除等も心附大破小及内少々之加修覆候様可致候
一提新古共ニ存候ハヽ井下田地より年貢少々つゝも上り候様可致候
 
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一新田畑開発宜敷地も有之侯や相考可申候
一立山致可然場所も有之侯や是又可申付候右之外
 不寄何事ニ諸事心附勝手之為ニも可成儀有之候ハヽ
 可遂相談候勿論百姓困窮之義も可相考候
 将又村廻節随分事軽く万事可略侯尤馳走
 等決て請申間敷候
 右之通御発駕之節被 仰渡候間両人之丙壱人勝手
 次第村々へ相廻り見分おも可致候条、兼て其心得可
 有候 以上 戌ノ二月廿九日 享保十五戌年  曾我郷右衛門
                       東正右衛門
 右村方へ東正右衛門様戌三月五日ニ御出蛭川村より御廻り
 被成候 以上
    ○水上之田之あと高くせましき事
一先年も申渡候通り水上之田之あとを高く仕干魃之節
 水多くかこい申ニ付て末々之田一入水払底ニ罷成侯
 由相聞へ候之間互に申合不足之時分ハ別てあと
 をひきくいたし、下々の田へ水通り候様二可仕侯此段
 其村頭之心を付折々可申付候事ニ侯 以上
      享保十五庚戌五月廿五日 曾我郷右衛門
                  東 正右衛門
    ○下野村安左衛門と申者伜を鉄砲ニて打侯事
一下野村与頭安左衛門忰磯兵衛と申者同村平右衛門と申者之
 娘とやくそく仕候処親安左衛門、心底ニ叶不申由二付、
 
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 いろいろ世話やき候得共あくひなとして殊見苦敷成
 面目なき候様ニ存候ゆへか安左衛門忰を座敷ニねいり候
 所を鉄砲ニて打殺申侯其儀上え相聞へ御吟味
 有之平右衛門娘ハあたまをすり御追払安左衛門平右衛門
 妻子共に地廻り藤田守助様御支配所曾我弘内様御支配所
 御構ひ追払被 仰付之侯享保十五庚戌六月十二日
 御郡奉行曾我郷右衛門様東正右衛門様御時代下野庄や清兵衛、
 右両人田地家屋敷作付作物共ニ上より入札ニ被 仰付御払被成候
    ○熊并わしくまたか打上候様ニ御触之事
一熊之皮胆御用候間猟師共精出し打上候様可申渡候
 先達て右熊打上候者ニハ代米之外ニ金壱分つゝ可被下候由
 
 申触候得共此外ニ重てハ金弐分増し可被下候又わしくまたかも
 心かけ打上可申候是又米外ニ御ほうび銭可被下候其心得ニて、
 庄屋本より可被申渡候 以上
 享保十五戌七月廿二日 曾我弘内   藤田守助
            岩嶋孫左衛門 岡本忠蔵
            岩井杢右衛門
 御領内村々へ
 右御ほうび之義此以後不被下代米斗可被下候由 享保十八丑十二月御触有り
 
    ○給人衆名付申間敷旨被仰出之事
一知行取給人通り之名付不申段先年被 仰出候所近
 年其吟味も無之みたりに付候段相聞 依之古来
 被 仰出候通給人通り之名以後付不申様ニ急度可申渡
 旨被 仰出候左ニ給人之名書記畢
 右之名付候者有之候ハヽ当新帳より急度改之侯様可被申
 渡候字心違候てもとなへ同様之名ニ侯ヘハ不宜候其所迄
 
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 念入急度可被申渡侯
一御城下之内ニも給人共同名之者有之候由被及御聞依之
 当役所より急度申渡候間可得其旨より
一此以後給人通り之者名改号之節ハ新帳前ニ追々可
 申渡候以上
 
享保十六辛亥正月 東方為右衛門
小倉 利兵衛 深尾斧右衛門 小川 平左衛門 宮地 多門
纐纈勘右衛門 加藤七左衛門 吉田岸右衛門 伊藤与惣右衛門
東 正右衛門 陶山 源次郎 横山源五左衛門 鈴木 松軒
神田仙右衛門 神山 次郎兵衛 陶山市郎右衛門 田辺郷左衛門
塩冶平治右衛門 小池 政之進 曾我郷右衛門 河内 玄意
纐纈 権之進
右之外 家老用人中之名ハ相知候故書記
不申候 以上


○御役替り之事
一大脇権右衛門様御老中役 深尾斧右衛門様御用人役
一御近習頭陶山一郎右衛門様 小川平左衛門様御弓頭役
一東方為右衛様御鉄炮頭 幸纈勘右衛門様宗門改役
一加藤七左衛門様村方鉄炮
右之通享保十六亥五月八日ニ被 仰付候由御触 曾我郷右衛門
東 正右衛門


        ○山漆の実取上候事
一 山うるしの実御用之由ニ候間村々山方林柴山等有之候ハヽ
  取て上ケ可被申候尤、見積り之上ニて代米被下候実取之時
  節土用中より能侯よし其内早キおそきハ所ニもより可申侯
  何れニも能実入候て取庄屋中え寄置一村之そろい申候
  節為持可被越候比上ハ私ニ取あつめ他所え売買坏に
 
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 出し候事一切成申間敷候比旨百姓中小脇まて
 とくと御申渡し可有之候 以上
  享保十六亥六月十五日  森文右衛門
     御領内中不残   山本 新吉
    ○新御殿之事
一享保十六亥八月頃より新御殿御下ニ立申筈之御もよをし
 ニ付御普請御奉行幸纈勘右衛門江被 仰付候由御地形之義
 御渡しニ可被成旨望之者ハ申上候様ニとの御触ニ而杣なとハ高山
 福岡上野村より御呼可被成旨御触有り葺かや之義五尺廻ニ〆復
 可有之旨申上候様ニと之御触有之候木引大工も書上候様ニと有之候
一右御普請当分相延申候ニ付杣木引其外御用ニ無之候夫ニ付幸纈
 
 勘右衛門様右之御役宗門御役加藤七左衛門様へ御預候処返り申候
一先達而御止メ被成候かや弥々之御用之由雪降り不申候内苅置ハ
 様ニと有之竹も御用之由差上候様ニと被仰付候右之竹苗木へ
 持賃札入ニ成高山忠蔵  惣左衛門福岡村文兵衛下の村喜兵衛上の村惣衞門坂
下[下組 喜衞門]
 壱荷十六分ツゝ之落札ニ而御座候
 殿様御他界ニ付差止メニ成申候
    ○駿河御番之事
一享保十七壬子閏五月十日ニ江戸より御飛脚到来
 殿様駿河御加番被蒙 仰候右御祝儀ニのほり候様ニ上ケ
 物ニワ及不申由御触御座候子ノ閏五月十一日 岩嶋孫左衛門 岡本忠蔵
                      堀弥左衛門 岩井杢左衛門
                      藤田守助 御廻触也
 殿様御他界被候ニ付御勤不被成
 
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    ○殿様御他界之事
遠山豊前守様
 殿様、去頃より御不快ニ被遊御座此間ハ重き御様躰乏旨申来侯
 右御機嫌窺として早速可被罷出候 以上 閏五月廿六日 岡本忠蔵
 殿様、御病気御養生御叶不被成去十九日晩ニ被遊御卒去
 候之旨只今申来候普請等指止メ諸事穏便ニ可致候日数之
 儀ハ跡より可申触候御家督御相続之儀ハ 左兵衛様へ御願
 被差上候処首尾納申候可存其旨候 以上 子閏五月廿四日  曾我郷右衛門
                            東 正右衛門
 右御願被置候御跡式佐兵衛様へ今五日ニ被 仰出候向後ハ
 殿様と可申候 閏五月卅日   御両奉行衆より触
 
一御尊骸今二日江戸御出棺九日御入棺ニ候由ニ候得共十三日御入棺也、
 六月十五日より普請御免家業之細工之類ハ御免被成候、
 
 六月廿八日より猟師鉄炮打候義御免[鉄炮御奉行加藤七左衛門様より 之御触也]
 七月十六日より穏便 御免被 仰出候
 殿様御継目之御祝儀被仰上候夫ニ付御祝儀可申上侯様被仰出候
 享保十七壬子年子ノ八月両御奉行様より御触也[献上物差上申候 御料理被下置候]
一左兵衛様御分地五百石吉田村寺前村大野村小野村右四ケ村上り
 地ニ成申侯右御上ケ地ニ付て陶山丈左衛門様御かこニて御出被成候中原幸右衛門様[馬 一疋]
 藤田守助様[馬 一疋]小木曾藤右衛門様[馬 一疋]大嶋源左衛門様[馬 一疋]右之御衆中御出被成申候
 九月六日苗木御出
享保十八丑ノ年
一殿様御官位被遊御名も和泉守と御改被遊候由御触、御両所より、
 村々御制札御書改、山中重左衛門様丑正月御廻り被遊候御両所御触
 
一日比野村庄屋、西尾安左衛門より申届ハ先年佐見上り地之節御出之分馬かご御人数年号月日御
 尋ニ御座候得共日比野村ニて相知不申候ニ付申上候処高山ヘ相尋いさい申上候様と御座候ニ付申進候と
 申越候ニ付、吟味いたし書写し遣申候いさいは印ニ下書いたし置候五印ニて見可申候 [明和五子十月 廿八日ニ写義]
 日比野より三度被申越候も今年迄
 
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    ○姫栗村田地御改之事
一享保十八丑二月七日姫栗江田地御改ニ付御出申衆中様方
 陶山丈左衛門様かこ曽我郷右衛門様同断宮地兵五右衛門様馬小木曽藤衞門様馬
 外ニ人足三人竿縄持きかへ物人足也   地方役人
 右之通二月七日ニ被出被成候        村井甚左衛門
    ○村方飢人御見分之事
一享保十八丑二月、村方二殊之外、飢人出来仕候ニ付、御願
 申上候処、芦沢甚五郎殿と御足軽御見分として御廻シ
 御改被成候、家々御見分被成候、諸道具ハ不及申、敷物まて
 無御座候様成儀ニ付、一日ニ米、男ニ壱号、女子共二五勺宛被下候、
 
 高山村二ても四十余人御座候ニ付、御改請、書付仕差出申候、
 尤、岡本忠蔵様、御手長ニて、高山・福岡・田瀬・下野〆四ケ村也、
 右、甚五郎殿、第ニゆづり、其身ハ後二町人と成、山形や要助といふ
    ○殿様御養子之事
一遠山和泉守様御養子ニ 松平越之進様[水戸わかれ、松平播 磨守様御若君也]
 [御兄君ハ松平右近将監様 とて御老中御動被成候]右養子之御願、享保十八丑三月十一日ニ
 相済申候、右御祝儀罷出候様ニ、上ケ物二不及候由、御触、曾我郷右衛門
                            東正右衛門
 右、越之進様・丑四月五日、此方御屋敷へ御引移被遊候由、御触有り、
 是より若殿様と可奉申候、御年も当丑二十七歳ニ被為成候由ニ候、
 若殿様初て御目見へ、丑五月相済申候由、御触有り 丑九月六日播摩守様御逝去
                         三日之穏便被仰出候
 
 
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    ○作物ニ虫付之事
一享保十七壬子年、四国西国辺ハ作物ニ虫付、からし、無足
 ニ付、諸国より石物多く相廻候様と之御触二候、又翌丑
 三月之御触二ハ、田畑三虫付候、所々虫之巣残、○芦等之
 根に、むかこのことく成もの取付、或ハ土之壱弐寸下ニ、右之
 巣有之、生シ候も有之由ニ候、可心附義二候、若左様之所も
 候ハヽ、葮芦は焼払可申事ニ候、右文通可相触候
 右之通、公儀より被 仰出候旨、御触 曾我郷右衛門
                   東 正右衛門
    ○未進屓普請御停止之事
一村々未進有之百姓共、普請一切致す間敷旨、被 仰渡候、
 
 自今以後、急度可相守候、若致進候共、右未進金
 不済候ハ差止メ可申候、尤仕切家共、右之通可存候、
 若於相背候ハ、庄屋・与頭可為越度者也
 享保十八賦丑十一月八日御触 曾我郷右衛門
               東 正右衛門
    ○内縁組被停止之事
一村方御百姓共、縁組之儀、先達て役所え相願侯上二て、婚礼
 取詰申筈ニ前々より被 仰付候所、左も無之、先、内証ニて引取
 置、年月経候て後、縁組相願侯類も有之様ニ粗相聞候、
 別て他所者等、自今以後、左様之義一切無之様ニ遂吟味
 可被申付候、且又、他所より医師、手習教等頼置候
 
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 儀も、弥以、壱ケ年限相極、寺請地請証文念ニ入
 取之、願書差出可申候、暫も内々ニて抱置申間敷候、
 右之通、急度相守候様ニ可被申付候 已上
 享保十九寅正月十八日   石原岡右衛門 岡本 忠蔵 堀 弥左衛門
              藤田 守助
一享保十九寅二月東正右衛門様御老衰ニ付御隠居之御願
 相済申候由御触           曽我郷右衛門
一同辰ノ正月十三日 幸纈勘右衛門様御用人役被 仰付之候由
 辰ノ正月十三日   曽我郷右衛門
 幸纈勘右衛門様 諸役
一同年正月十三日 東新五左衛門様宗門御改役被 仰付之候
  正月廿八日 御出足 佐見川水出ニ付御滞油井村ニ被逗留二月七日
 
 然御出足被成候ニ付御廻り御休相違申候
    ○東新五左衛門様郡奉行役之事
一東新五左衛門我等相役ニ被仰付之候宗門改方田辺郷左衛門江
 被仰渡之候其心得可有之候以上
      辰之四月廿四日  曽我郷右衛門
    ○金銀引替之事 新金を文金ニ引替之事
一世上金銀不足ニて、通用不自由之由、相聞候、付て今度、金銀吹替
 侯事
一今度吹替候、金銀相渡し候儀、慶長金新金ハ百両之代り、
 
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 百両乾金ハ弐百両之代り、百両慶長銀新銀ハ十貫目之代り、
 十貫目引替可相渡候、右引替之格を以、書面之金銀無各
 別取交、請取方、渡方両替共、無滞通用可致候、尤、上
 納銀も可為同前事
一吹改候金銀、金座・銀座より増歩差出可引替侯、貫数之義ハ
 引替金百両ニ付、増歩金六拾五両つゝ、引替銀十貫目ニ付、
 増歩銀五貫目つゝ可相渡候事
一引替候金銀、町人より引替候筈ニ候条、武家具外共に
 勝手次第、町人え相対ニて申付、可引替候事
一引替ニ可差出金銀之義、員数相知侯事ニ候間、貯置不
 申段々引替可申候、若貯置不引替者、相知候ハ、吟味
 急度可申付候事
 
  附、右引替ニ不出銀ハ、只今迄之通、潰銀之積り可
  相心得侯
右条々、国々所々ニて可存此旨者也
    元文元辰ノ五月
 此度、金銀引替之義、来月十五日より金銀ニて引替候間、
 可其意侯
一右引替之義、為替両替之もの共取集、金銀座え
 差出候間、右上者共方え申付、金銀引替可申候
一右為替之者共、金銀引替候節、為諸入用、金壱両ニ付、
 銀壱分つゝ、銀百匁ニ付、銀壱分五厘つゝ積りを以、金銀高ニ
 応し、金銀主方より受取筈ニ候、若、右之高より多ク請取
 候か又ハ無謂、引替為滞候ハヽ勝手次第外町人又ハ
 
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直ニ成共、金銀座へ差出引替可申候
  但、金ハ百両、銀ハ八十ス目以上可致持参候、為替之
  者方ニて引替させ候、員数勝手次第たるへき事
金銀取集候為替之者
駿河町 泉屋 三右衛門 本両替町 中川 勝三郎
同所 海保半兵衛 同所 谷 勘左衛門
本町弐丁目留山与惣兵衛 同所四丁目 竹川彦左衛門
長谷川町荒木伊右衛門 三井次郎右衛門
駿河町 三井三郎助
三井元之助
以上


     辰五月
右之通従公儀被 仰出之候間 可被存其
 
旨候以上
  元文辰ノ五月廿八日    曽我郷右衛門
               東 新五左衛門
巳八月又御触文金銀割当年中を限来年正月よりハ
割合止并増歩相減候筈ニ候処江戸京大坂諸問屋共□□
四月迄割合可致通用候五月朔日より相止可申候筈ニ候由
御触廻ル
 
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    ○巣おろし[小兵衛 孫十郎]山番出精御ほうびの事
 (一七二八)
一享保十三申暮、巣おろし小兵衛・孫十朗山番出精仕候ニ付、
 御ほうびとして、米六斗被下置之候、御山奉行山本新吉殿、
 森文右衛門殿御取なしゆへ之由御代官曾我弘内殿御へ代、
 高山村庄屋新五兵衛、則両人を召つれ御礼申上候
    ○なしくぼ作左衛門夫婦切死之事
一享保十四酉ノ正月三日夜、なしくぼ作左衛門と申者七十才ニ近き
 者也、此者女房を切殺し、自分ニも腹切申侯、此女房ハ、下ノかいと
 仁左衛門娘ニて、武兵衛と申者之妹也ニて、殊之外悪人なり、八年以前、
 忰甚之右衛門と申者、大かいと藤蔵娘、さなと申女とやくそく仕侯て、
 
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 其事を彼女房聞出し、さなを我等が娶に仕候事罷成不申と
 申、六ケ敷成侯ニ付、彼女房、苗木御家老宮地守右衛門様えはしり
 込、悪成いろいろ申、伜共か事申上候ニ付、村役人それぞれも
 召つれ参候様ニと被 仰付、召つれ御役所へ罷出、いろいろ御吟味有テ、
 作左衛門女房ハ所追放、枠甚之右衛門、さなハ御領内御構ひ被成、さな
 ハくすみ渡り、甚之右衛門ハ上地渡り引分ケ御追放被 仰付候、右之
 作左衛門女房、追付立帰り殊之外あらび申候ニ付、申上候得ば、
 御検使として石原五郎兵衛殿と申、御足軽被遣、おりを拵候て、
 右女房入置申候、頃ハ七月十四日也、俄に木をよせ、一目ニおりを
 拵立、某夜之内ニ入申候、久々おりニい申侯て、段々御断申上、
 おりより出、甚之右衛門・さなも帰参之願相叶、基之右衛門・さな夫婦
 別ニ家をくれ、くらし申候、扨、ケ様之女房之義二候故、何か作左衛門
 かんにん不成事を申候にや、正月三日を得不延、女房を切殺、
 其身も切腹仕候、正月四日朝、五人与頭与八郎届ケ参申候ニ付、
 
 御代官曾我弘内様へ御訴申上候所、右御検査使として、御目付
 棚橋与野右衛門様、御代官曾我弘内様御出、諸一門共并村中より口上
 書御取被成、死人取置申侯様二と被仰付候、右作左衛門子共三人、
 長男甚之右衛門、其節別宅也、姉娘みや、妹ハかんとて、安藤勇右衛門殿
 せたい持ニ参い申侯、其時ハ味方へ姉娘は節に参、留主の事ニ候、
 右みやニ後ニ、ミやゝふ彦右衛門弟、惣七郎をむこニ取、家を立申候、
 其時之村役人、庄屋正兵衛、与頭清左衛門・忠左衛門也
    ○古借金五分利之事
一享保十四酉年、公儀より被 仰出候ハ、借金銀之事、元禄十五
 年以来之借金銀ハ、向後利金五分以下たるへし、新規
 借金利銀ハ相対たるべしと被 仰出、世上やかましく
 
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 所々ニ出入有之、金銀借りひきに殊之外、差支申候、併
 当分少立間之事ニ候、
 某頃、世上ニてわる口に 金子のかし手と、すいふろ桶と同シ
 それなぜに、はテ五分利といへハ、はまる也
 とわるさ口申候
    ○下森とい木之事
一享保十四丙三月下森とい木椹みきうちニ而六寸角
 ニして四本御願相済御巣山ニ而申請かけ申候
  略
    ○苗木・時之太鼓切り候事并並松なミ木立候事
一享保十四己酉九月、御城外向どと申所、御矢倉
 
 出来、時之大鼓、兼山ゑたえ被仰付、蛭川村のかミや次左衛門
 世話仕、蛭川村へゑたをよび為政、上り申候、どうハけや木にて、
 則蛭川山ニて出来申候、九月より太鼓打切メ申候、日比野村より願置、
 三人出申候、清十郎・上地茂八右三人請合申候、御定之御定目
 御書付、たいやくらの内ニはり有之候、御扶持米之外ニ、金壱両つゝ
 申請候由、油一夜に勺つゝ之由、大鼓一度打そこない申候得ば、一日
 之御ふち御引被成侯、二度ニ及侯ヘハ、ゑんりよ被 仰付候、三度ニ及候へば
 役儀御取上之よし承り申候、初之太鼓ハ犬山より参申侯由、
 其後ハ兼山ゑたへ被仰付、蛭川二て仕り上ケ申候、享保十五年二
 半鐘、名古屋より参申候、近所之火事之節、打まじへ
 申筈之由ニ候
 
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    ○知原出みせ之事
一享保十六辛亥十一月、赤坂茂作、知原川ばたに売屋出し申度
 旨願相済、御裏書之願状証文、箱之内ニ有り、若差支二成候節ハ、
 何時二ても取くづし可申旨、願書ニ書入御願申候、地ハ与蔵
 地内かり出し申候 以上
    ○本郷知原源右衛門社木之事
一享保十七壬子年二月十三日高山村本郷知原源右衛門[後ニ佐十郎 といふ]山の
 神杉弐本ひの木弐本ミやうぶ助左衛門宮のくろ草山ニ有之候
 ひの木壱本杉弐本願相済久田見村紋右衛門ときつミ沢左之□
 仕出シ申候 但し杉ハ樽木檜ハ角〆出ス 庄屋正兵衛御代官岡本忠蔵様
 
    ○遠山豊前守様御尊骸之事
一享保十七壬子年四月廿七日、江戸え御下向被為遊候、
 遠山豊前守様[遠山勝三郎様と 申侯殿様也]江戸え四月廿七日御下向、同五月
 廿日頃より御不快、御機嫌悪敷、段々御大病ニて向閏五月
 十九日、御尊骸被遊、御尊骸六月九日ニ御着之処、折節
 出水故、御延御着被遊候、御病躰、水しゆと申病之由、御尊
 骸御着被遊候節、御向として、五ケ坂下庄兵衛、上地舟場迄
 罷出候、是も先格有之、御うかゝい申上候て之儀也、右
 御迎之御出家方、法界寺・岩松寺、江戸近所迄被出、
 御供被致候、高山寺より盛蔵司被参候、御跡敷ハ御伯父
 [遠山伊豫守様 御舎弟也]佐兵衛様え渡り、後ニ和泉守様奉申候、
 
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 佐兵衛様、御知行五百石、佐見ニて[大野 小野 寺前 吉田]公儀え被思召侯、
 其節、右五百石ハ内取ニ侯や、分取に候やと御尋有之候二付、
 御老中大脇権右衛門様御答に、分取之由被仰上候ゆへ、上り
 申候由、内取と被仰上候へハ、御別条無之様二承申候、某後、佐見二て
 五百石之内ニ新田跡有之由、公儀より御吟味有之候二付、
 佐見新田御返し、下野村ニて其代り上り申候、寺・庄屋・
 森共二上り申候、下野村庄屋田口清兵衛時代也、右上り地二成候ゆへ、
 御拝借物、御未進等少も上ケ不申候ニ付、延享三丙寅ノ七月十日ニ、
 苗木より御使として、坂下村下組庄屋八郎右衛門、合郷庄屋忠左衛門、高山村
 庄屋吉右衛門、下野村え罷越、拝借物、御未進等、年賦二して
 少々宛成共、上侯様と申間候得共、奉畏候とハ申し候得共、
 其彼少も上ケ不申候、御都方東新五左衛門様、御代官藤田仲右衛門様
一御法名白峯寺殿前豊州大守大哲宮□大居士
 
 右之節、大脇橋右衛門様御隠居被仰出之候、延享二丑冬、下野村上り
 知高、弐百九十石弐斗入升上り,残地本田七十九石七斗分、上野村へ御預ケ被成候
    ○火事之節手はづ之事
一享保十七壬子年四月、被 仰出候、地廻五ケ坂下蛭川迄被
 仰渡侯ハ
一御城四五丁廻りに火事相見へ候ハヽ、太鼓をましへ、鐘をせわ
 しく打可申候、右之丁より遠くに火事見へ侯ハヽ、太鼓ヲ
 まじへ、鐘をそろそろ打可申候、中津川筋に火事
 見へ候ハヽ、鐘斗を打可申候
 右左通、つげ鐘大鼓を聞候ハヽ、某所え早々懸ケ付、
 精出しはたらき可申侯、尤、太鼓鐘不承候共、見聞出シ候ハヽ、
 右之通心得可申候・尤、家小屋二かきらす、野山井ニ其旨可心得
 
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 之由、堅く被 仰出之侯、夫二付、村中え申渡、壱軒ニ壱つつゝ水籠
 拵えさせ、何十□之内、高山村とごふんニて書付いたし、籠主の名も
 相渡し申候、尤、面々方ニて壱つつゝ作りはり、書付ハ庄屋元ニていたし
 申候、此節火事まとい・とうろう共、念入拵直し置、早速庄屋
 元へかけ付、まといを持、早々はせ付候者ハ、紙荷廻り之役に
 相立申筈二村中え申波置候 以上 庄屋 正兵衛 与頭 清左衛門 忠左衛門
    ○幸纈勘右衛門殿山之事
一享保十七壬子十一月日比野村狩宿ニ居申候御中間三四郎と申者
 母幸纈勘左衛門様山ニ而もやがり申候ニ付とらへ被連申候而御吟味
 有之候高山村こしらへ田与十郎方ニ家かりい申候ゆへ高山□
 申候得者以後之為ニ候間証文仕候様ニと御座候ニ付証文いたし遣申候
 以上
 
    ○高山村宮より末口物出候事
一高山村当村ニ而杉未口物出申候数五本内弐本ハあしど甚十へ黒□
 善十郎両人ニ而出ス三本ハ郡上本〆利右衛門出ス右出道ハ宮よりちとり
 ばへ引出中嶋山引下ケ□□□与十郎門江引出古ちとりばよりおとし
 申候場銭惣高十八両之間ニ割合取申候村方日用勢二十五人ツツ
 出スばちん之外ニ地主より其地を通り申候内壱人ツツ□り出申候
 外之者之場所へ成うへハ壱人之日用止メ又其通り候地主より壱人ツツ出申候
 享保十七壬子九月出申候庄屋正兵衛与頭清左衛門忠左衛門
    ○南宮鳥居立直、天神居垣同鳥居之事
一享保十七壬子十月より取懸り、南宮大鳥居立直し申候、并天神
 うわふき、同社居垣、同鳥居立直し申侯、右社木もらい申候ニ付、
 
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 右之通立直し申候、金子八両弐分ニて出来申候、御せんぐう
 周極月朔日二相済申侯
    ○新田畑直し御改御見取之事
一享保十八癸丑九月、新田畑直し切添御願申上、御改相済、御見取
 御年貢壱斗、口米四合附申候、御百姓六人、すか沼藤助・たないけ
 小兵衛・ハ、田清六・東かいと彦蔵・外坪団助・同所武右衛門右六人なり、
 丑ノ秋より納ル、委細御書付証文箱之内ニ有り、御見分御役人衆、
 御代官様共ニ委細相知レ申侯、地方役人、村井甚左衛門殿御見取なり
 
    ○どた橋用木末口物之事
一享保十八丑十月勢州まんぢう田地之本〆彦□□(虫損)
 喜左衛門 蛭川村孫惣と申者之取次ニてどた橋御用木
 末口物四本高山村二ツ森より檜末口物仕出申候孫惣外の
 者若山ニ而盗木仕其後御追放被仰付候石橋用木出申候ニ付
 先例之通壱本木と申所より川入近村日用壱本ニ付三人ツツ
 毎日毎日出申候道筋草山も中として一日に十一ツツ毎日
 出申候尤其草山ニ懸り候日より川入近也出方其人其人
 ニ而毎少有下ニ草山有之者ハ人数すくなく候 但木数毎少に
 よらす十一人之 石橋御用木本〆請合之日限相違仕候
 由ニ付末口御取不成右之末口すててにけ申候右之木一本
 高山助左衛門孫十郎金助受合出シ申候処出シ賃出シ不申故
 右三人の方へ本〆より渡し証文之上ニ而右三人仕出ちんニ
 受取福岡村ニ弥七郎方へうり申候 其節蛭川村孫惣も一所ニ
 
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 弥七へ売申候 尤山内武助殿方ニ而売渡申候よし 武助殿ハ山奉行也
 就所に又元文丙辰冬いせ清助と申者くすミの舟木ニ
 もくろミ売申候由高山六左衛門太兵衛米かし米御用ちん不咎仕候
 由ニ付舟木ニ売証文ニ右両人印形仕候由弥七聞出山内武助殿へ
 申達候処御吟味有之候御代官よりも御よひ御せんぎ御座候
 とかく先ニ高山ニ売手有之又候売候儀ハ屋ヘ売ニし候間
 金子もともと江仕木取もとし候様ニと有之米代御用ちん
 そん仕すて申候然共村方御用賃之義ハ庄屋支配
 之事ニし候間出し候へと申候処弥七申候ハ前以助左衛門孫十郎
 金助三人之方へ代金渡候間其内ニ而御取被下候処ニと申候ニ付
 右三人之方吟味いたし三人之方より村方御用ちん不残取
 村方へ渡し相済申候則三人之者共より証文取置之候
 
    ○がま沢新井水之事
一享保十八癸丑十一月高山村西のかいとだんご立井水之義
 以前段々ほり申度と申事ニ侯得共埒明不申候所ニ御代官
 岡本忠蔵様、尤之事ニ候、井料米八斗上ケ申候との義候得ば
 可成事ニ御座候間願くれ可申と御座候てニ付、願申候、尤福岡村
 村松の彦兵衛をも願主ニ差加へ候様ニと御座候て、則、両村連印ニて
 願申候、高山村井水願主五人として、増年貢として井料米
 八斗差上申候、則、寅秋より納ル、福岡畑尻井之上ニて候ニ付、
 井下之者共え高山願主共より証文出し申候由、右井水人足
 弐百拾人ニて出来申候、右之書付いさいに仕、たんこ立半助方へ
 預ケ置申候、此方ニいさい下書共、多ク証文箱之内ニ有り、但し
 
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 井ロハ、かま沢下渡りより井水上ル庄屋吉右衛門、与頭清左衛門・忠左衛門、
 高山願主、北林忠四郎・与助、西のかいと作十郎、たんこ立与右衛門・半助、〆五人
    ○上野村大日の森より末口物申候事
一享保十九甲寅春、上野村大日の森より出申候杉末ロ物、あしど
 半左衛門と申者仕出し、金子不自由ニ付、高山上渡場ニて上ケ置・
 同九月九日より取懸り狩申候、吟味仕、夫迄(まて)之日用賃銭不残
 受取からせ申候、九月九日より同十八日、日比渡瀬まてかり申候、
 日々渡セより下之分・日用断有之・日用不出、賃銭として福岡,日比野
 三百文つゝ、高山弐百拾文取之申候、但し十分七分之割合なり、柴
 口日用出方両村より弍人っゝ、高山壱人四分、つゝ出申候、右銭払断主、あしと平右衛門甚平両人
 参申侯、高山庄屋正兵衛也
 
    ○葺板寸法御定之事
一御用葺板寸法御定・先年より長弍尺五寸、厚巾三寸、数廿枚也
 御定之処、近年山尽申候ニ付、御了簡被仰付被下置候様ニと、
 御願申候所、御代官衆中として御上え御願被遊、長弍尺
 弐三寸、厚サ弐寸七分、巾弐寸七分と被 仰出候、以後、此寸法
 少も無相違様ニと被 仰出候、右之通、享保十九甲寅ノ正月廿九日、
 宗門御改之節、御代官岡本忠蔵様より以書付被仰出、則
 写し申候、福岡村庄屋御うかゝいとして参被居、写し被参候 以上
 庄屋正兵衛
 
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    ○高山[団四郎 茂作]蛭川にて酒作願之事
一享保十九寅ノ八月蛭川村のかミや沢左衛門跡同丈助酒かふ借置
 高山村与頭甚八悴団四郎赤坂茂作両人ニ而十ケ年切寅ノ秋より子迄
 酒作り申願相済御裏書有り願之通被仰付候ニ付両人
 引越作り申候処一ケ年不立間ニ茂作ハのき申候て団四郎斗
 ニ而酒作り大分損も相立申候又高山江帰り申し候
    ○免合二三分方増上候様ニと被 仰付之事
一享保十九寅ノ十一月被 仰付候事
 近年御吉凶ニ付、御物入大分有之、御脇手御差詰り、御借金追々
 増申候間、従去夏、色々御倹約被 仰付候得共、当春杯御
 
 蔵米拂仏等悪敷、別て御手廻之義、御差詰り御借金可被成
 場所も減し、当冬之御払方、御物成悉く御払土立成侯ても、
 中々御借金之利成ニも難相応、御軍役等之御勤、御内証
 之御入用共、差支可申候間、於余国ニ、御勝手御如意之方ハ、
 年貢先納御借り上方も有之候得共、於御領内ニハ、未進
 多有之村方百姓も有之候、然所を御取立可被成侯ハヽ、百
 姓も多潰レ候様ニも可成候得共、外ニ可被成御工夫も無是候間、
 只今之御取箇免含、於村々ニ甲乙も有之儀侯間、二三分も
 今年より上侯て何彼召上ニて候、何れも共通相心得、年久御領主
 之事二候条、御身之上御持続被遊候様ニいたし申候得との御
 恩召候、此段端々小百姓迄、篤と勘弁候様ニ、庄屋、与頭より可申渡候 以上
 右之通、当秋前可被 仰聞之所、今年は作方余り不可然と
 相聞候聞、其通ニ被差置候、従来秋は其趣可存候、其内
 白川ニてハ甲年洪水後地改有之村も有之候、且、田瀬村・田嶋・
 上地村も依願候改相済候、姫栗村・河合付も改掛置侯、其外
 
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 之村々ハ追々切そへも有之、年経侯て、少宛之見取も附候得共、
 用捨を以申付侯事ニ候得ハ、右免合之増をも上侯様・兼々
 可心得候 以上
    十一月
 右之趣、以御書を被仰出候ニ付、村方へ申渡候所、村方より享保二十
 卯之春、村方より願差上候、 左ニ記
    差上侯一札之事
 去寅年被 仰出候趣、惣百姓共承知仕候得共、殊之外困窮
 仕候百姓共之儀に御座候得は、早速御請申儀得不仕侯、依
 之惣百姓共存寄之願、乍恐奉御披見侯
一御年貢免取二三分可被召上儀は御赦免被遊被下、村方
 田地に甲乙も可有御座候様ニ奉存候間、田地御挟被遊、上中
 下九段之外に野下御立可被下候、別て近年ハ村方困窮
 仕、殊更井水払底ニ年々日やけ仕、迷惑仕侯間、乍恐御勘弁
 被為遊、百姓も相続 御上様えも御為仕侯様ニ願上候
 
一御年貢之儀、当卯ノ納より、四五ケ年も御直払ニ被遊
 被下候様ニ奉願上侯、其後ハ何様とも御願可申上候間、御聞届ケ
 被遊可被下候・尤、米拵方、只今迄より少々念之入、相納可申候、縄
 俵之拵方、御差図次第二可仕候、払方之儀は三里払ニ被 仰付
 可被下候、四五里ニも及候てハ、其日帰りニハ罷成不申故、迷惑ニ奉
 存候間、三里限りニ被 仰付可被下候
一御未進金等、年々精出差上候得共、中々得皆済不仕候、御直払
 之間ニ随分精出差上ケ可申候間、其間ハこみ込、御赦免被
 遊可被下候
一此辺之儀は外村とハ違、向伝馬等相勤、別て当村之義ハ、
 御上様之御用通り、上下共ニ大分相動、殊ニ小村之義二御座候得は
 是似御勘弁奉願上候
一御年貢紙・御用紙斗り被召上、金納之分御赦免被遊可被下候、
 小物成之儀、御差図次第差上ケ可申候、代米之儀ハ其年之
 御年貢に御差次可被下侯
 
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    右之通、惣百姓共、存寄之通り奉願上候、乍恐
    御上様ニも御為に罷成、且又、百姓共も相続申様ニ被 仰付可
    被下候ハヽ難有仕合ニ奉存候 仍て如件
       (一七三五)
        享保二十卯二月    高山村庄屋与頭
                     五人与頭共
          御代官様え
    右之通、願上申候所に、百姓之手前ニて地ならし仕候様ニと被
    仰付、村々え縄壱わゝゝ竿壱本つゝ御借被遊、同春より地ならし
    ニ取懸り申候、庄屋正兵衛、与頭忠左衛門・甚八郎、地差新八・半助・伝七・
    安右衛門・浅右衛門、大かいと吉右衛門一組ニて壱人つゝ地差立申候、竿取音右衛門・
    政右衛門六右衛門・孫六、右左通南宮ニおゐて、せいし書せ、其上
    ニて地改いたし申候、其ふんニて重て御さたも無之、御うかゝい申上
    候ても御さたなしニ相済申候、地ならし入用・大分相懸り、村方にて
    出し難儀仕候 以上 卯之壱ケ年御上拂ニ被仰付三里□拂□
 
    ○御関所を越東国へ出候ハヽ御願可申上候様との事
一享保十九寅十一月十三日ニ被 仰付ハ村方より巡礼并御関所ヲ
 越、東国え罷越候儀ハ役所え相願、差図を請候様ニ
 と前々より被 仰付候所、此頃参宮なと申立出候て、
 所々遠国え参候類有之様ニ相聞え候、向後先年
 被 仰付候通、相守候様ニ急度可被申付候
一為渡世、他所え罷出候者・且又、参宮并遠方仏神え参
 詣いたし候者、某所之庄屋。組頭共え相届ケ差図
 次第二可仕候、尤、庄屋方ニて遂吟味、縦令参宮等ニ
 出候共、奉絶いたし、口過ながら罷出侯類ハ役所え
 
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 相達し、往来書附申請罷出侯様ニ可被申付候
一他国迄も罷出候者共、庄屋方え付届不仕候ハヽ
 吟味之上宗門帳はづし可申候
 右之趣、今度被 仰付候間、堅く相守候様ニ可被
 申渡侯、若不吟味於有之ハ、庄屋・与頭其五人組頭
 迄、急度可被 仰付候 以上  御代官 石原岡右衛門
   享保十九寅十一月十三日      小池 磯兵衛
   御領内              堀 弥左衛門
    右村々庄屋中          藤田 守助
 
    ○田瀬村亥谷山御仕出之事
一田瀬村亥の谷山、御上より御仕出シ、享保十九寅ノ年より御仕出被遊候、
 元文元丙辰ノ十一月之御川狩迄ニて御仕廻被遊侯、御山方御仕出御役人、
 御本〆山内弥九郎様[御付 役也]岩井杢右衛門様同断、右御両人ハ御目附ニて御本〆也、
 山奉行、山内武助様・小林彦八郎様・服部小兵衛様・玉木紋兵衛様右[紋兵衛殿 小兵衛殿]ハ添役人也
 右御山方杣日用ハ御領内之者、御触廻り御召抱被成候・尤、他所者も少々
 ハ御抱被成候・御ふち方米、其村々御成米也、たり不申分ハ近村ニて御取
 被成侯、右御山方御用筋、福岡村弥七、苗木町あわや曾七両人
 え被 仰付・山川共御手つたい申候、初川狩より川狩之節ハ川え、
 ちよと御見舞申上候、水出之節、村中引つれ罷出、留メ木仕候、田セ
 ひの口より、くり本迄之内ニて一度水出ル、木おしちらし高山ニても木数七百
 余、上木仕候、ひろせニても一度水出申候得共、木ハなかれ不申候、知原ニても
 
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 水出申候得共、なかれ不出侯、さるとびニても水出候得共、是もなか
 れ不申候、右之度々不残、村中召つれ罷出申侯
    ○高山村御巣山御仕出之事 [并橋子坂へ福岡より罷出 御目付衆より 御しかり御かへし被成候事]
一元文元丙辰、高山村橋子山より御取懸り、其外御巣山いも畑入まで、
 高山御預り惣山、疵木・熊はき・ゆかミ木御直出シ二被遊候、御木〆、
 御目附山内弥九郎様・岩井杢右衛門様、御山奉行山内武助様・小林彦八様
 杣方并帳本、玉木紋兵衛様、日用方役人、服部小兵衛様御付キ被成候、
 元文元丙辰十一月十一日・橋子山御見分、右之御人数ニて御こつくい
 御入被遊候、高山庄屋清九郎、与頭清左衛門,忠左衛門、巣おろし孫十郎・勘六
 御安内ニて御見分被成候、其節福岡村すおろし、のじり惣兵衛、
 山え罷出候ニ付、岩井杢右衛門様被仰候ハヽ其元え罷出候様ニと
 
 不申遺侯処、如何ニて罷出侯や、用事無之候間、罷帰り侯様ニと御しかり
 被成候、重て用事有之候ハヽ可申遣侯間、早々罷帰り申せとて、御し
 かり御かへし被成候、是御親父作右衛門様より御子息杢右衛門様まて
 二代、御代官御勤被成候ゆへ、橋子坂之訳、能御存ニ付、御しかり
 御かへし被成候
一御ふち方ハ、卯納古米御取被遊候、卯年ハ御上払之儀ニ候故、
 御米残りい申侯、米御取被成候新米よりハ、高山村御蔵米斗り
 御取被遊候、中こや、上波セと申所ニ、日用木や共ニ懸り申侯、
 右之こや高山村へ被 仰付、代金壱両壱分八匁ニて御詰合懸ケ申候、
 御汁のミ高山村二て廻りニ上ケ申候、こぬか・こへせうべん被下候、
 御材木切ばん、巣おろし勘六え被 仰付・付残きり申候、そま組弐組、
 壱組ハ川上村清九郎也、是ハ田瀬山より之頭也、一組ハ高山与頭忠左衛門、
 
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 巣おろし係十郎両人へ被 仰付候、日用方御だい所組、日用頭津戸
 喜助、是も田瀬山より之頭ニて御座候、且又、うら木のひそ木ハ
 壱本ニ付、大ひそ弐分三厘、中小壱分八厘つゝニて高山村之者、セ付ニて
 仕出申候、たいまつ壱たいニ付壱文、ひかわ壱わニて壱文つゝニて
 取出し、高山村御蔵へ入置申者ヘハ、銭百文二付、ひかわ三十
 わつゝ二て御札ニ被 仰付、庄屋清九郎へ被 仰付、御領内中へ
 払、代銭受取置、目録仕、代金共ニ山奉行衆之方へ上ケ申候、
 相残之ひかわ有之、御城え上ケ申候、たちん被下・村人足ニ為持
 上ケ申候、右御仕廻山いも畑入也、巳九月作り仕廻申候、
 巳ノ十月出し仕廻申侯、惣木数弐万余出申候、[きりばん不残、 勘六伐申候、]
 御切ばん二如比之切判也
 
    ○諸国米直御定之事
(一七三五)
一享保廿乙卯年納り米、諸国両二付、米壱石四斗かへニ売
 買仕候様ニと 公儀より被 仰出、則御書附写し
 有り、又跡に御触廻り、右書付共ニ一所致置侯
    ○苗木御領納米御上払ニ被 仰付候事
一享保二十乙卯納米、御上払ニ被 仰付、米三斗俵ニ込米壱升五合込
 三里払米念入、二重かわニ〆、すりなわニてかゝり、太繩すりなわ二て、
 ふたうをかけ、内之俵ハ三所たばね、上へ上かわきせ申候、尤、なわ之
 
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 手本廻り申候、御払方、金拾両ニ何拾何俵かへと届之者より・直に
 御代官所え御願申上、庄屋元ヘハ、どこ村たれへ、米何十両分、何十
 何俵相渡し可申と御差図之御書付渡り、払渡し申候、尤・
 段々願ニ付・御案内見として、先ッ当壱ケ年切ニ御上払ニ被 仰付侯
 由、御触ニて御座候
一 右御上払、御尤ニも不被思召候や、壱ケ年切ニて御差止可被成之旨、
 元文元辰ノ八月八日ニ被 御付、御触廻り申候、御代官小池磯兵衛様、
 右ニ付、百姓方より願書差上申候、左に記
    奉願上候御事
一去卯ノ御年貢米、御上払ニ被遊候処、当辰ノ年より去々寅年迄之通諸
 事被 仰付候趣、村方百姓中え申聞候得は、村方百姓奉願上候ハ、
 去卯年之通、何とそ此以後共ニ御上払ニ被遊被下難有奉存侯、
 左候ハヽ年々残米も無御座候へハヽ御未進金御憐愍之上口口
 
 以上納仕度奉存候、古来之通被仰付、奉□□(虫損)畏
 残米多出来仕侯故御未進も減り申儀無御座候間、永ク
 御上払ニ不被成候ハヽ十五ケ年か十年程之間、御上払ニ被為遊候て、
 御見合被遊被下置、右願之通被仰付被下置候ハヽ難有仕合
 奉存候 以上
   元文元丙辰八月廿六日
高山村庄屋 庄兵衛 同村与頭 甚八郎
同村与頭 忠左衛門 福岡村庄屋 孫六郎
同村与頭 弥七郎 同村与頭 儀兵衛
同村与頭 孫兵衛 同村与頭 彦左衛門
下野村庄屋 清兵衛 同村与頭 平二郎
同村与頭 兵吉 田瀬村庄屋 五兵衛
同村与頭 小十郎 同村与頭 利右衛門
上野村庄屋 吉左衛門 同村与頭 弥次衛門
同村与頭 次左衛門 坂下合郷庄屋 吉兵衛
同村与頭 伝六 同村与頭 清右衛門
坂下町組庄屋 恵七郎 同村与頭 彦兵衛


 
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     同村与頭   林右衛門    坂下村下組庄屋 八郎衛門
     同村与頭   兵右衛門    同村与頭   宇之右衛門
 
    小池磯兵衛殿
右之御願達て申上候得共、相叶不申、先年之通ニ成申候
    ○槻末物出候事
一享保二十乙卯春勢州本〆三郎右衛門同国大みなと橋本宗十
 濃州上有知脇よこごしと申所後藤幸助右三人高山村
 リトソボ武右衛門取次願ニ而けや木末口物三本并小長物角平物相添
 木数五拾五本仕出申候右之内未口物壱本福□(虫損)山より
 仕出末口物壱本ハ黒川村いとごへと申所より仕□(虫損)
 
 高山村より芋畑入より仕出右之末木ニ而角平物□(虫損)仕□(虫損)
 右御間尺同六月廿四日ニ相済申候 御改証文一目録
 ニ而高山村庄屋正兵衛 福岡村庄屋孫六郎 黒川村庄屋小吉
 右福岡黒川数人ハ名代出ス 右連判ニ而相済申候 右高山
 いも畑より出申候けや木見事ニ成玉もく有之こつ□□かぶ
 まて取とハたろい申候 右出道一本木と申所より壱本ニ付村より
 御用三人宛川渡迄毎日出候筈先年より出来候外ニ草山□
 より道代として十一人ツツ御用出来候得共今後ノけや木ハ
 大分之御運上金上り申事ニ候間三郷之郷持さへ御の太き
 之事□□被仰付候間今度計り右出人之義も用捨いたし
 候様ニと山奉行衆山内武助殿御申候被成候得共先年より之
 格合きへ申候様ニ成候間達而御願申候所左候而も御為之
 
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儀ニ候間けや木斗出人用捨致し候へ重而之義ハたとへ
けや木たり共例ニハ被成間敷由御代官小池磯兵衛様より
被仰付候ニ付用捨いたし申候 重而ノ例ニハ被成間敷□
此度右之木の外ニ高山御山よこ手の山の神のひの木
茂仕出申候高山忠左衛門 孫十郎 助左衛門として請出申候
末口物此義ニ候故是ニハ定リ之通出御用出申候以上
    ○高山森より杉末口物出候事
一享保二十乙卯六月高山南宮森より杉末口物弐本本伐
 仕同廿一酉辰六月庄屋川を出申□場ちん取申候村御用
 十八人ツツ毎日川入迄出申し候 田地□より場ちんの□□
 
 壱軒より壱人ツツ其田地通り申内斗り川入まて出申候
 たとへハ弥四郎田地へ還り候日より弥四郎方壱人出夫より外之者之
 田地へ懸りかへ□其地□より壱人出し弥四郎よりハもはや出不申候
 一場ちん覚金壱両弥四郎へ弐百文七兵衛へ五百文伝兵衛へ金三両弐分
 庄屋壱分六百文与十郎へ三分六衛門二郎作へ壱分八厘伝兵衛へ弐百文□八へ
 右之通出申候但し庄屋田地之義七本〆へ少わけ有之ニ付三両弐分
 ニ而通し申候重而之義其金六両余取候而能有之此末口物
 忠左衛門もういうふすなの上葺仕候本〆勢州宗七郎濃州
 幸助右両人ニ而出申候
 
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    ○年号改元之事
一享保ニ十一丙辰七月年号改元被 仰出候
 元文元丙辰と御改規七月より用之申候
    ○金銀吹替へ[享保金を古金といふ、一両ノ目四匁八分 壱分ハ壱匁弐分つゝ有、銭かへ壱□□ 新金ハ文金といふ、一両目三匁六分、一分九部つゝ 銭かへ其頃ハ一分ニ七百五十文かへ]
一元文丙辰、金銀吹替被 仰付、所々え新金相廻り申候、
 文金といふ、目一両、三匁六分つゝ有り、殊之外悪しき金也
 
 古金二百両ニ、文金百六拾五両ニ引 かへ候様ニと被
 仰出候、又其後ニ古金百両を、文金百両ニ引替
 候様ニと被仰出候、右引かへ所ハ、江戸町人、拾人へ
 被仰付候由ニて、委細は触状写ニ有之候 以上
    ○御朱印御顕之事
 内難見 [但し山丸之中のほしハ朱ニて 三字ハすミニて]
  右之通之御朱印従
  公儀御顕被遊候間若所持之者有之候ハヽ
 
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 吟味之上当役所江可被差出候以上
   元文二年
    巳正月三日   御触  東 新五左衛門
                曽我郷右衛門
      差上候一札之事
  一御顕之御朱印取持仕候者吟味候得共当村中ニ無
   御座候証文仍如件            高山村 与頭 甚衛門
                       右同村 同断 忠左衛門
                       右同村 庄屋 吉左衛門
      元文二丁巳四月九日
              小池磯兵衛殿
    ○上田犬地山論之事
一上田村と犬地村と山論有之候ニ付論所御見分として
 御郡奉行東新五左衛門様御目付宮地兵五右衛門様
 
  御勘定方より山中重左衛門様地方御役人後藤与左衛門様
  山方御役人松崎伝右衛門様 元文弐丁巳四月九日御通り
  中三日御逗留ニ而四月十三日暮合七ツ頃ニ御帰り被成候
  庄屋吉右衛門与頭甚八左衛門 定文助左衛門知原江□□申候
  御駕籠人足四人分持三人馬三疋差出申候
    ○中原幸右衛門様御用人役之事
一元文弐丁巳八月十七日御触中原幸右衛門様御儀今度
  新知百石被下□□御用人役ニ被仰付之旨御触之
  右幸右衛門様 御中小姓ニ而若殿様御守役ニて 御郡方 東新五左衛門様
                            曽我郷右衛門様
         直ニ御用人ニ御成被成候    御代官 小池磯兵衛様
 
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    ○南宮社上葺之事
一 元文弐丁巳七月より南宮社うわ葺ニ取懸り日八月十九日
  御せんぐう相済申候与頭忠左衛門社木もらい候ニ付寄進
  仕候掛銭三社に壱□五百文弓□るに木綿壱反紙壱米五帳
  あふぎ六本麻苧百五十匁大工江右社にかけ申候旦堂入
  之道に敷申候木綿壱反岩松寺江則神入ハ岩松寺御せん
  ぐうに神酒斗り也大工ぐせう嶋源七とセきや新左衛門両人也
    ○下切之者、こくさ霜ニ打れ芝札出候事
一 高山村下切之者、草山両度霜ニうたれ、少も無之故、
 
 作り成不申段願申侯ニ付、願主之面々、当年取山、□メ
 山共、其あざ名を付、印形之書付取之、其上庄屋・与頭
 見分いたし、願主之内、少々宛霜打申者のけ只今
 至極難儀之者斗え惣山之内、所をさし壱日取りつゝ芝
 とらせ、割判いたし壱人札を出、前日之タ方札渡、翌日ノ
 晩札受取申侯、壱人札[小まい 大かいと]二郎右衛門、一同[弐まい 同所]庄六一同[壱まい おこし]与蔵、
一同[壱まい 大かいと]吉右衛門一同壱まい[与十郎 久左衛門、]一同壱まい[清蔵 伝]一同[壱まい助左衛門 ミやゝふ、彦右衛門、]
 〆札九まい也右之通、四月十二日晩よひよせ札渡し、同四月
 十三日、一日とらせ十三日晩、其札不残、庄屋元へ取上ケ申候
 元文三午四月十三日   庄屋 後ノ正兵衛
             与頭 甚八郎
                忠左衛門
 
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    ○鍛冶太助黒川江参候事
一高山村助十郎悴太助義中津川伊兵衛と申鍛冶方へ享保
 十三甲年弟子ニ参十一年相勤元文三戊午六月廿八日嫁
 もらい罷帰り則黒川村与頭圓右衛門と申者きもいりニ而黒川へ
 細工ニ参申度ニ付黒川村庄屋小吉方へ頼之状遣ハしくれ候
 様と願申候ニ付書状出申候状之文てい諸事一印之下書状ニ
 有り其後黒川村ニ而田地相求黒川村江引越申候
 以上   元文三戊午年七月三日ニ黒川庄屋へ状遣申候
 
    ○庄屋正兵衛名替り侯事
一御金奉行ニ棚橋圧兵衛殿と申人御座候ニ付、御城
 金之手形なと差上候節、同名ニて不宜候間、相替り
 候様ニと、御代官小池磯兵衛殿より御差図ニ付、相改申候、
 庄屋清九郎と相改申候ニ付、御役所御役所え届ケ書
 仕上ケ申候、右庄屋名替りハ、先達て御代官え願状上ケ、
 被 仰付候上ニて所々御役所、宗門御奉行所えも御届ケ
 書上ケ申侯、判かへなとも其通りニ御座候 以上
     元文三戌午 八月廿五日
 
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    ○尾州様御材木一川を二川ニわけ、かり申度旨請頭より願
     申候ニ付、以後例ニ成不申段証文取申候事
一 元文四己未六月六日、尾州御材木ニ付、佐口吉左衛門と申、木曾
 之請頭ニ福岡村庄屋孫六郎方へ罷出願申候ハ、此度之川狩之
 材木ニ、私仕出申侯材木、別ニ御改請申度候間、二川ニ分ケ候て
 狩申度候、然時ニハ四十人之出日用、弐十人つゝ、二川ニ四十人御出被下候
 ハヽ二川ニ仕度、達て願申候ニ付、我等方へ右相談之書状、孫六方より
 被差越候、則福岡より之書状此内ニ有り、右之儀、以後之例ニ不成
 候様ニ証文ニても取之、かゝせ候様ニ可被成と返事申遣候、又八月朔日ニ、
 福岡村庄屋孫六方より申越候状写し
 先達て御相談申候通、尾州様御注文川狩之義ニ付、仕出頭佐口
 吉左衛門と申仁より段々願有之候、当壱ケ年、二川ニ狩下シ、手前
 
 之仕出之材木御改請申度旨、依之、両度ニ狩下シ申度由、
 達て願有之候、以後之例ニ致間敷候間、出日用廿人つゝ、両度ニ差出
 呉(くれ)候様ニと、達て願ニ候、依之、例ニ被致間敷旨、書付壱通相認被差
 越候、段々之願侯間、当壱ケ年之儀は相談可成ニ申遣候間、当壱ケ年
 之義は二川ニわけ、狩下し被申候ハヽ一川え廿人つゝ差出候様ニ被成
 被遣可被下候、右為御相談如此御座候、則彼方より書付差遣候、御披
 見可被成候、後ニ此方へ被遣可被下有之侯恐惶謹言
     七月晦日 後藤吉右衛門様           西尾孫六郎
          野村九郎左衛門様
    一札之事
一当年仕出申候・尾州御材木、当九月一川ニ狩下シ申筈ニ
 御座候、就夫、出日用弐十人つゝ両度ニ御出シ被下侯ハヽ二川ニ狩下シ
 申度、先達て御相談申上侯処、以後例ニ不罷成候ハヽ、両度ニ狩下し申様ニ
 
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 ニと被 仰下承知仕候、
 御公儀より、一川四捨人つゝと相定り侯得は、重て例ニ不罷成候、当年
 之義は一川を二川ニ仕、狩下シ申候間、一川え出日用廿人つゝ御出シ
 可被下候、以後之例ニ仕間敷候、為後日一札如此ニ御座候 以上
    元文四未六月
                     尾州御本切方
                     請頭 吉左衛門印
    福岡村庄屋
      西尾孫六郎殿
 日比野高山御両所へ宜敷様ニ被仰上可被下候以上 右之通ニ申来候 以上
 
    ○橋子坂より樫木の鍬べら仕出候事
一高山村橋子坂、樫木鍬べらに仕出申候、本〆久田見、紋右衛門
 願仕出申候、取次願、高山忠左衛門、きっミ沢太之右衛門取次願申候、
 右之末木、忠左衛門願おこしすミも出申候、皆苗木えうれ申候
     橋子坂樫木御改之事
 一五駄也 但し壱駄ニ付四十貫目       くわべら
  右ハ高山村階子山より仕出、御改請申所相違無御座候 以上
  元文四己未十二月十五日  久田見本〆 紋右衛門印
  山内武助殿        高山村与頭 忠左衛門印
               右同村庄屋 清九郎印
  但し御運上-壱駄付、文銀三匁友五分弐厘申候
     橋子山樫木御改之事
 一四駄と三十三貫目 但し壱駄四十貫目 樫くわべら
  右之通、御改請申所相違無御座候 以上
     元文五庚申二月廿九日 久田見本〆 紋右衛門
      山内武助殿     高山村与頭 忠左衛門
                右同村庄屋 清九郎
 
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    階子坂樫御改之事
  一五駄と三十三貫目 但し一駄四十貫目  樫くわべら
   右之通御改請申処相違御座無候以上
       元文五庚申五月二日   久田見 本〆 紋右衛門
                   高山村与頭  忠左衛門
                   右 同村庄屋 清九郎
        山内武助 殿
  其後も所々書く申候 下書帳ニ有之ニ付 爰ニ不記候畢
    ○橋子坂山より弓木出申候事
一高山村太兵衛取次願ニ而橋子坂より弓木西美濃のりミつ村
  儀兵衛と申本〆出し申候
       高山村はしご山弓木御見尺之事
   一五本  長七尺五寸       丸太末口七寸
 
   一七本  同長          同   六寸
   一弐拾壱本同長          同   五寸
   一弐拾七本同長          同   四寸
   一弐拾壱本同長          同   三寸
     木数八拾壱本
  右之通御改請申所相違無御座候以上
       寛保元年辛酉九月三日  願主高山村太兵衛
         小林彦八郎殿    右同与頭 清左衛門
                   右同村庄屋清九郎
 
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    ○御未進金古金壱両を文金壱両弐分ニ
     直之帳面仕直シ五分増之事
一元文四未年御未進金之義五割懸ケ候様ニと被 仰付
 候ニ付村方百姓へ申渡候所御改之願差上候得共御聞届
 無之御請証文差し上げ候様ニと御座候ニ付
      口上之覚
  一前ニ御願申上候御未進金五割増之義御百姓共へ申
   渡候得共御請相難仕文金御引替ニ奉願上候得共
   御領内御請相済申し候得者無是悲御請仕候様ニと
   役人共より押て申付先為御請仕候以上
        元文四己未八月       高山村与頭 甚八
                      右同村与頭 忠左衛門
                      右同村庄屋 吉衛門
        小池磯兵衛 様
    ○大坂天王寺勧化之事
一大坂天王寺勧化ニ付役僧村々順行之由 依之御領内惣
 代として福地村三右衛門他領今泉村瀬田村江両度遣
 村々順行被致候義断済勧化金高文金五両帳面ニ相記
 外ニ文金弐分三右衛門両度両人ツツ年□ニ付村々より遣筈ニも
 都合文金五両弐分を割賦候間 村々より左之通来六月五日
 迄ニ差越可申候
一文銀十一匁壱厘四毛 高山村 一文銀十九匁五分壱厘三毛 福岡村


 
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一文銀十一匁弐厘四毛 下野村 一文銀八匁弐分三厘壱毛 田瀬村
一文銀七匁弐分四厘弐毛 上野村 一文銀十三匁弐分四厘弐毛 坂下合郷組
一文銀十九匁三厘八毛 坂下町組 一文銀十七匁三分四厘壱毛 坂下下組
〆百六匁六分三厘弐毛


            元文四未五月廿一日触
 右之通御領内中御割賦有之候
 右大坂天王寺役□一組先月晦日下飛州江被通候ニ付上地村
 より付知村迄休泊り駄賃左之通差出可被申候尤先年もケ様成
 頼ハ御領内中より出来候由ニ付而如此候割ん儀左之通
一文銀十八匁右之内
一壱匁八分六厘 高山村 一三匁三分壱厘五毛 福岡村
一壱匁七分三厘五毛 下の村 一壱匁四分壱厘七毛 田瀬村
一壱匁弐分弐厘三毛 上の村 一弐匁壱分七厘五毛 坂下合郷
一三匁三厘六厘四毛 坂下町組 一弐匁九分壱厘壱毛 坂下下組
〆十八匁也 元文五甲ノ七月廿九日 小池磯兵衛様より御触也


 
    ○殿様御家督ニ付、御料理被下置候事
遠山和泉守様、
一 御家督為御祝儀、御料理被下候間、御祝儀差上、庄屋・
 与頭・御被官・長百姓斗り可罷出候、九月廿五日、地廻り五ケ坂下蛭川
 南方、同廿六日ニ中通り北方罷出候様ニ何心得候、尤・右之節、庄屋
 病気ニて、御祝儀以名代を相勤候共・此節本腹候ハヽ、罷出御祝ひ
 頂戴可仕候 以上 元文五申九月十七日  東 新五左衛門
                     曽我 郷右衛門
 右御代替りニ付、村々ニ有之侯、制札御名為改直、石原喜平次を
 明廿八日被遣候、順書之通、軽尻壱疋、挟箱持壱人つゝ可被差出侯
以上
     申ノ九月廿七日     東 新五左衛門
                 曾我 郷右衛門
 
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    ○庄屋家普請願之事
一元文五庚申ノ閏七月廿八日御願申上之通ニ被 仰付
 甲ノ冬より取懸り同六酉ノ四月出来仕立申候大工ハ
 とミ□小里村半右衛門下大工大勢いさいわ下書
 一ノ印ニも有別ニ普請一色之帳有り 作事帳ニも有
 諸事めいわくニ有之候
    ○くりや元仁右衛門家火事之事
一元文五庚申ノ七月廿七日之夜九ッ頃、くりや元、仁右衛門家出火有之、
 能ねいり候や家中へ火廻り侯て、仁右衛門やう孫をたき候て、
 
 にけいで申候、諸道具一切得出し不申候、早々御届ケ申上候処、小河又吉殿
 御出被成候  差上申一札之事
一当村兵六郎与下、仁右衛門と申者、今廿七日之夜、手あやちの
 出火二て、長五間・巾四間之家不残やけ申候、村役人共、立合吟味仕
 候得共、付火其外まきらわしき儀無御座候 以上
    元文五庚申閏七月晦日 五人組頭代判  高山村 仁右衛門
                       右同村与頭 甚 八
                       右同村与頭 忠左衛門
                       右同村庄屋 清九郎
     小河又吉殿
 右仁右衛門印判やき申候ニ付、五人与頭丘六郎代判仕候、印判やき申侯段、
 宗門御奉行塩冶平次右衛門様へ、与頭甚八郎遣申候、仁右衛門義ハ太兵衛方ニ
 かりすいニてい申候、御代官様より遠慮被 仰付候、右火事之義、古キ年寄共
 申候ハ・むかしょり当村ニて家やき申候事、咄伝へニも無之候、此度初て之事
 之由申候
 右火事、秋前之事ニ候故、取納成不申候ニ付、こやかけ之願申上候
    願上候事
 
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一当村兵六郎与下 仁右衛門義火出ニ而家を不残やけ申候
 秋前取納之時節御座候旨等と住居申所何う様ニもふや
 かけ仕度奉願上候右之通江 仰付被不置候ハハ 難有奉存候 以上
     元文五申八月五日          高山村預に 仁右衛門
                       五人与頭代□
                右同村与頭  甚八
                右同村与頭  忠左衛門
                右同村庄屋  清九郎
       小池磯兵衛様
 願之通被 仰付 こやかけ仕候
    ○御山にて弓木御停止并植木之事
一弓木大小木ニかきらす此以後一切伐取不申様ニ堅く
 御申渡可被成候 此儀相触候様ニと被 仰付候故如此候以上
       酉二月十三日            山内茂助
            福岡村 高山村江     小林彦□
 
一去冬申触候杉苗木村々ニ而かげ木ニ成不申場所見分道□り
 川筋山洞ニ而も湿地之場所ニ植置可被成候木数何ほとと書付
 差越可被成候去冬ハ役人御廻し可被成と申触候得共役人ハ
 御回し不被成候宜敷場所見立村々ニ而植可被成候畢竟村法之
 為をも成可申候□ニ而被仰付候其旨相心得可被成候去冬申触
 通当春杉苗すへ置可成候以上         山内武助
     甲二月十九日 御領内中村々江    小林彦八
  元文五庚申二月右両品共ニ被 仰付候
 
   ○御代替りニ付、御名代として東新五左衛門様御領内
    御廻り被仰渡 并御触写之事
一御代替り二付て、御百姓共え被 柳波候御用之儀ニ付、村々相廻り候、且又
 
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 村々御境目見分候様ニ、江戸表より被 柳下之侯間、近々可令出足侯
 一切馳走ケ間敷儀可為無用候、日限之義は追て可申渡候・先為心得相
 触置候 以上
 酉二月八日      東 新五左衛門
 小池磯兵衛支配所、藤田仲右衛門支配所、小木曾藤右衛門 支配所、石原岡右衛門
 支配所右庄屋中
 先達て申渡候通、来ル廿七日今発足候、被仰渡候儀有之候間、判
 頭之者共、壱人も不残、庄屋元へ相揃候様ニ可申渡候、村順書之通
 相廻候、泊り之義有増申渡之候、御境目見分之事、若相違
 程も難斗侯、庄屋・与頭・五人与頭印形之候間、其旨心得可有之候
 以上酉二月廿三日      東 新五左衛門
 地廻りより御廻り、坂下五ケ村より蛭川村へ御廻り、御領内仲不残御廻り、
 御泊り二月廿七日坂下村、廿八日福岡、廿九日黒川、晦日神土村、三月朔日
 成山、二日名倉村、三日切井、四日福地、五日下立、六日何合・七日蛭川
 
     覚
一上を大切ニ奉存、万事御為可仕候、且又丈母え致孝行、兄弟
 姉妹それ/\に取廻し可申候事
一元来之田畑大切二取廻し、并新田畑切広め候所も有之
 候ハヽ、改を請可申候、年久敷作り来、若今ニ見取も無之場
 所ハ随分隠田不仕候様ニ一村々相互二致吟味、庄屋与頭弥
 支配下其筋無之候様、常々心懸ケ可申候、毛頭私無之
 様二可仕候、若邪気之者有之、訴出候族も有之時ハ、其村ハ
 不及申、近郷迄も咎に成候間、兼々其儀を可存候、新田等
 之義は可然土地も有之侯ハヽ、見立相願可申侯、且又御為ハ勿論
 之事、百姓之渡世ニも相成候間、吟味之上可申渡候、然共、
 本田之障にも相成候得ハ可為無用候、年々水難等二て永引
 受候場所、田畑共ニ其地主より囲ひ置、少々宛も取立作
 
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 物仕附候場、多年所々役人も不致吟味、為作置、
 役所えも不相達所も有之族ハ、向後年々庄屋与頭共
 端々迄も見廻シ訴可申事
 附、他領御境目等出入無之様、常々心懸可申旨、小百
 姓迄堅く可申渡候事
一其年々年貢ハ不及申、未進金義百姓前面々精出し
 可相納候、庄屋共つねづね精出し百姓前より納させ
 可申侯、近年別て
 御不勝手ニ候間、諸事御手支ニ候、随分御為奉拵、
 何も精出し可申候事専一候事
一御蔵米仏代金并未進金万金等、御代官前え差出候
 金子高、致書附、毎年暮ニ郡奉行前え可差出候、
 
 此段前々無之事ニ候得共、従
 公儀、百姓前勘定等之儀ニ付、被 仰出候趣、当春
 相触置候間、猶又今度申渡之候事
一村々に有之候御立山之義、随分山廻り相廻、大切ニ仕、火之
 用心堅く相慎、且又百姓立山を仕候義、先年之通可心
 得事
 附、往還大道筋、橋際等可燃場所連々見立、右為
 用木・桧・椹・杉・栗木之類可植直事
一少々不作に侯得は、翌春作扶持等相願候、不作ニ侯ハヽ
 稲不刈取以前、相願見分を受可申候、無左候て翌
 春八木相願候共、御貸不被成候事
一商人類他所より入込、殊屋な商人別て多く、令
 
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 徘徊侯、はくゑき等堅ク御吟味有之候
 御代替りニ付て、 一入破仰出候間、つねづね小
 百姓迄不残可申渡侯、此辺ハ渡世心懸候者、
 皆同様之品斗を考、曾て面々の助にも難成
 筋二候、遠方より持参候て、所ニて売レ侯物を心掛
 可申事
一諸職人、従也所入込、今渡世候 、生所慥者ニ候ハヽ、
 格別左も無之候ハ、一夜之宿もかし申ましく候、
 所々次男・三男にても、其思用々々にて心懸ケ
 いたし習ひ候ヘハ父兄之世話二も不相成候、たとへ
 
 惣領二ても、其方に志有之候ハヽ、次男・三男え
 田地為作、自分ニハ其業を心懸可申候事
 附、坊主・神子・山伏并陰陽師類、一切宿仕間敷候、
 尤例年、宗門奉行よりも申渡候へ共、尚又今度
 申付候事
一村々の儀、上え善悪共ニ委細相知レ申事ニ間、
 つねづね
 上え相知レ申間敷と油断仕間敷事
一男女奉公人之儀、人別ニ吟味仕候て御代官所迄、
 書付出候様ニと、日限を定め相触候得共、心得違候故か、
 願又ハ役前より申渡候儀、疎略に存候故か、年々
 
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 相違之村も有之事ニ侯、万端右之族無之
 様二心得可申侯事専一候、小高之百姓、わつか之
 田畑を取持、大勢取込及難儀候間、亭主ニて
 の外、ロすきいたし方、何をいたし候とも不相知
 候ものハ・庄屋・与頭より致吟味可申上侯、男女共ニ、年
 久敷致奉公抔候得は、衣類も出来、父兄之造作
 も不相添、一分の働を以、身上ニも可有附候、且又、
 男女共ニ随分賄之筋、精出し侯様、役人共より常々
 可申聞事
一堤川除之儀、先年申渡候通、弥相改可存知侯、
 去秋水損之場所、御領内数多有之候、当
 
 不足、永不足并使扶持大分之事ニて、諸事御
 手支侯之間、能々考可申事
 右之趣・先年も被 仰出候得共、猶又今度
 令増補被 仰付候、堅く町相守者也
 (一七四一)
 元文六辛酉年二月[○右ニ付のり廻シ山境之義道上 之事にて いさいニ新五左衛門様へ申上候 いさいわ二印下書帳ニ宣し候有]
    差上申御請之事
一今度被 仰渡侯趣奉畏候、常々心懸、庄屋・与頭ハ勿論
 五人組より其与下之者共え急度申聞、相守可申候 以上
 元文六辛酉二月晦日
               高山村五人与頭 平四郎 同断 音右衛門
                    同断 宗右衛門 同断 九兵衛
                    同断 彦右衛門 同断 兵六郎
                    同断 藤四郎  同断 安左衛門
               右同村与頭 甚八郎 右同村与頭 忠左衛門
               右同村庄屋 清九郎
 東新五左衛門殿
 
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    ○知原桴流侯事
              (いかだ)
一元文五甲年六月、満水二知原桴流申候二付、桴木願申候
 ニ付、願之通被 仰付、則御見分請申侯、椹長三間之五寸ニ七寸
 之角、七本願申侯
    高山村御巣山桴木御見分之事
一椹七本 但、本木ニて廻り弐尺八寸九寸位之木
 右之通、御見分請申所、相違無御座候 以上
    元文五庚申六月晦日   高山村与頭 忠左衛門
                右同村庄屋 清九郎
     小林彦八郎殿
 右御願申上候まま里ニ候様桴林へ外惣敷成候ニ付其後相願申候
 御所可被 仰付候間氷餅御山のけて其外ニ而見立相願申候様ニと
 被 仰遣候得共いつれの山ニも無御座候様其其後願上申候重も
 
 桴木ニ成□木□□(虫損)申候ハヽ又々御願申上候様ニと被 仰付候□
    ○年号改元
一元文六辛酉年三月十二日年号改元被仰付
 寛保元辛酉年と被 仰出之候以上
    ○殿様御殺生二犬地村え御出之事
 (一七四一)
一寛保元辛酉年七月廿六日、犬地村え御殺生ニ御出
 被為遊侯二付、道橋至極念之入、道芝義石など皆取
 出し、土すくなき所ぇ土入、御順見道のことくニ仕立、
 
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 知原川越ハいかたニ御召被遊候、庄屋袴羽織二て、
 川も俘之先二立、御案内申候、大勢ニて、いかだ水ニ付、・中持ニ
 仕御越被遊侯、桴より上之方ニ、水切ニ大勢立ならひ候て、
 随分あぶなく無之候様ニ仕候、川越人足、福岡村より
 三捨人呼申候、尤、御代官小池磯兵衛様より御触有之侯、
 磯兵衛様も、も々引ニて知原へ御出被成、川之御支配被成候、
 尤、殿様ニも御も々引御召被為遊、御出被成候ニ付
 如此ニ候、茶ニ 御殿立念之入、板敷ニ仕、上も新敷、おが
 板ニて屋ねふき、後の方屋ね迄とゝき候様ニ、ひの木の葉
 二てかきね仕、両脇之義も、ひの木の葉二て中こしがぎニ
 仕、新敷竹をわり、見事ニ当テ侯て拵申候内、新敷へ
 り取を拵、壱まいしき申候、つき  之衆、御殿のくろニ
 
 へり取なと敷申侯、庄屋献上物、先例之通、うなき弐本
 とり、新敷かの桶いわせ、青竹のさん付ふたをこしらへ、
 中ニまなご石を敷、右之うなきを入レ、大ざこなと少々
 入、献上仕候、日々野境迄御むかいニ罷出、又蛭川のり廻し迄
 御案内申上侯、御目付衆より庄屋へ被仰渡候ハ、
 御上ニ上意二ハ、御殿なと殊之外見事二手がるく拵、
 川越迄庄屋心労之段、御満足ニ被思召侯由被仰聞、
 難有仕合ニ奉存候、御機嫌川御越被遊候段、早速与頭
 壱人、郡奉行衆へ御注心申上候、其後庄屋、御代官より
 郡御奉行衆迄、其日之タニ罷出いさい申上侯、右御荷物
 大分之事ニて、川はたより小川之向二道を付、うりやの下ニ
 はしをかけ、御荷物はこび申侯、御殿前ハ通し不申候ニ付
 
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 如日此候、苗木えも御用・ニ付、大分人足入申候ゆへ、人足は
 よけい寄置可申侯、それ/\ニ、村ニて支配人相立置
 可申候、御帰り迄、御殿ニかきをゆい、人かまい不申様ニ可仕侯、
 御たばこ盆新敷を出可申候、御帰りニも村境迄御迎ひ
 送り可仕候、御荷物、御長持、釣台、鍋箱等・大分ニ参申候、
 御供之衆大勢也、人足ハ念入申渡、さかやけ等能すらせ、
 無礼等無之候様ニ可申渡候、諸事一切之書付、別に
 帳面有り尋べし
一曽我郷右衛門様御用人役被蒙仰候 諸役吉田半蔵様へ
 被 仰付候 寛保元酉十一月三日
 
    ○御上御婚礼之事
 (一七四二)
一寛保二戌之四月十八日[殿様初之御名丹後守と奉申侯得共、御老中 土岐丹後守様出来申侯二付佐渡守様と御改被遊候]
 殿様御婚礼首尾能、御調被成侯[殿様ハ遠山佐渡守様、奥様ハ 遠山和泉様、御姫様也]
 御部屋様[遠山和泉守様 御部屋様也]五月三日江戸御出足二て、苗木江御入被遊候、又
 右、御婚礼為御祝と、来ル十八日、地廻り五ケ坂下、蛭川南方・庄屋・
 与頭・御被官・長百姓・神明神主、何れも上ケ物一品つゝ持参罷出、
 御祝儀申上、御祝ひ頂戴可仕侯、且又同廿日、中通り北方、右同様ニ候間
 上ケ物一品つゝ持参御祝義申上、御祝ひ頂戴可仕候 以上
        寛保二戌六月七日       吉岡半蔵
                       東新五左衛門
 
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    ○河州誉田八幡勧化之事
一河州誉田八幡之勧化相願被 仰付候其節 上并御家中
 与利之勧化物被遣之御領分へハ不被 仰付候得共右之社僧より
 頃日御領分之勧化折々致催促ニ付而今度被 仰付候
 間左ニ相記割賦之通可被差越候
  一銀三拾匁九分壱厘内
   三匁弐分   高山   五匁六分四厘 福岡村 三匁壱分八厘 下野村
   弐匁四分三厘 田瀬   弐匁壱分   上野  三匁七分四厘 坂下合郷
   五匁六分八厘 坂下町組 四匁九分四厘 下組
  寛保二戊ノ十月晦日       藤田仲右衛門
 
     ○犬槇と申木御尋之事
一寛保二戊十月江戸表より被仰下候ハヽ橋杬ニ相成申候犬
 槇と申材木御用ニ候間私領林寺社百姓林等ニ有之
 候ハヽ吟味之上木数寸間書付来月中迄に神尾若
 狭守方へ可被差出候江戸相廻候儀者若狭守可取斗候
 右之通江戸表より被仰下候由ニ付御領内村々江御尋之御触
 有之槇と名の付候木不残取木のゑた葉上候様ニ与有之
 上ケ申候其内飯地村ニ有之由注進申候ニ付東新五左衛門様
 御出御改被成候得共犬槇ニ而無之由ニ而御領内ニ無之段ハ領内
 村々より書付御取無之由被仰上候由ニ而
 
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一大久郷山田地かげ木成ニ付御願申上候処折々之御見分
 ニ而かげニ成分御払ニ被仰付御触廻り申候寛保三亥
 年伐申候
   南宮勧化之事
一寛保三亥年南宮社大披ニ付修覆渡為助力勧化御免
 寺社奉行連印之勧化状持参当亥年より丑年迄御領私領
 寺社領共ニ可致順行候間志之輩物之多少ニよらす可寄進□
 被仰付候御免之国々美濃国近郷国伊勢国終国加賀国
 越前之国飛騨国右之通御免ニ而右南宮社惣代として
 元上浣相廻り候筈之処苗木町役人新五兵衛長右衛門より勧化之義
 
 御代官所ニ而取あつめ上可申由断ニ付相廻り不申候
一銀四拾三匁八分五厘内割賦
   六匁六分八厘 下組 七匁七分六厘 町組 五匁五分   合郷 弐匁八分壱厘 上野
   三匁弐分七厘 田瀬 四匁弐分七厘 下野 七匁六分八厘 福岡 四匁三分三厘 高山
  右之通郡奉行中より先達而御触被成候南宮之勧化銀并ニ
  社人上下三人当町田瀬村休泊り入用金三分余共ニ到割
  賦相廻候間我等方迄可被差出候 亥七月十四日藤田仲右衛門
  右勧化銀当町より為持飛州江飛騨入用十三匁八分五ケ坂下ノ分
  内壱匁四分五厘 高山弐匁六分五厘福岡壱匁四分下野壱匁壱分七厘田瀬村
  八分五厘上野壱匁五分八厘合郷弐匁六分七厘町組弐匁壱分八厘坂下下組
    ○年号改元之事
一寛保四甲子三月年号改元被 仰出之
 
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   延享元甲子年と改元被仰出之候
    ○公儀御尋者之事
一当三月中頃年頃三十余相見へ丈ケ六尺程有之
 骨柄弁舌等勝候男重サ三十貫目位之笈之
 様成箱を背負右箱之内ニハ刀脇差具足
 等之兵具を入胴金を打候棒を突キ丹波国
 桑田郡辺を致徘徊徳川何某と申者ニ而
 諸国順行致し候段申候由ニハ右躰之者罷
 通り候ハヽ其所に留置御領者御代所私領ハ
 領主地頭江申出夫より江戸京大坂向寄之
 
 奉行所江可申達候尤見及聞及候ハヽ其段
 可申出候若隠置後日脇より相知候ハヽ可為曲事
 候   延享元子四月御触也
 右之者京都ニ而とらわれ江戸へひかれ候由承候へ共いか様
 成申候哉其後さた無之候由ニ候
    ○嵯峨法隆寺勧化
一上ニテ勧化御付被遊御割賦被 仰付之
 銀九匁七分九厘内
  壱匁五分七厘 下組 壱匁八分町組 壱匁壱分八厘合郷 六分六厘
  上野 七分六厘田瀬 壱匁弐厘下野 壱匁八分福岡 壱匁弐厘高山
 右之通法隆寺勧化御願相済依之従江戸表春頃
 
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 被仰出候間別紙之通可被差出候以上
  延享元子五月廿二日  藤田仲右衛門
    ○上地村弥四郎欠落之事
一延享元子之八月上地村弥四郎と申者不届御座ニ付
 手錠御差被成候上地村へ御預ケ被成候所取にかし申し候
 高峯山ニ而手錠打はづしにけ申候ニ付番太ら江被
 仰付相顕候所見出し召捕来候処犬地村番人
 方ニ而取逃シ申候由其節弥四郎をにがさしと
 仕候処弥四郎番太小八郎ガわきざしうはい取候而
 政右衛門と申番・ 向いニ切付とやかく仕候間ニ取逃シ申候
 其後ハ何方へ参候哉手ニ入不申候
 
    ○殿様御養子之事
一殿様遠山佐渡守様 御養子 佐吉様御願之通、
 被 仰付之、只今より若殿様と可奉称旨被
 仰出之侯 以上 延享二丑二月十日 東新五左衛門様より御触也、
 村方勝手次第御祝儀可申上候、上ケ物ニ不及候、延享四卯正月、
 御疱瘡かるく被遊、正月三日御酒湯之由、右御祝儀として村々より上り申候、上ケ物ニ不
 及候由被 仰付候、若殿様御目見へ、寛延弍年巳五月十五日、相済申候由御触、
 同年五月若殿様御袖留被為遊候、御祝義ニのほり申侯
 一延享二丑四月鈴木主馬様御用人役被 仰付之
 右之通丑四月九日東新五左衛門様より御触也
 
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一同年十月神山新左衛門様御用人役被 仰付之由本役江
 御留守居之御役ニ而候丑十月十三日東新五左衛門様より御触也
    ○諸職人御運上召上之事
壱人にて
一大工御運上  八匁つゝ  一 木挽壱人 六匁つゝ
一桶屋壱人 四匁つゝ
右之通り従当寅ノ暮、運上銀可召上旨、被 仰出候、村々
大工・木挽・桶屋え被申渡、村々ニ何人有二侯や、人数
書付、可被差上候旨、被 仰出候間、如此ニ御座候 以上
    (一七四六)
    延享三寅ノ二月八日    藤田仲右衛門
 
    ○飛州御番所御役銀取納入札之事
一飛州所々口留御役銀取納之儀入札ニ被 仰付候ニ付
 飛州御代官所より御廻状并役を取候品々御帳面ニ
 御仕立一冊御添御廻し被成候則写いたし別ニ紙袋ニ
 入帳たんす之内へ入置申候右之御請書仕笠松之
 御役所江上ケ申候御代官一御手長ニ而壱人ツゝ右請書
 持参仕候様ニと有之咲かした村庄屋八郎右衛門参申候延享
 三寅十月也
  右飛州入用并さが勧化入用惣〆御賣三百四十壱匁十石ニ付四十三匁五分
  懸り申候由 高山村出分六百八十八匁御代方様へ上ル御領内中へ遣也
 
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    ○御尋人日本左衛門か事
十右衛門事
一 濱名庄兵衛  日本左衛門ともいふ 右人相書
 一 せい五尺八九寸 小袖くしらさしニて三尺九寸
 一 年弍拾九歳  見かけ三十壱弐才と見へ申候
  (さかやき)
 一 月額濃く引  疵壱寸五分程 一 色白ク歯常之通
 一 鼻筋通り 一 目中細 一 向いおも長之方 ゑり右之方へ常ニ[かたき 被下候]
 一 ひん中ひん中少そり元結十ヲ程まき
 一 逃去候節ハ着用之品、こはくひんろうし綿入、但紋、丸之内ニ立花、
   下ニ単も物もへき色、紬紋所同断、脇差長弐尺五寸、つば無地、
   ふくりん金、福人模様さめ、しんちう筋金有り、小柄なゝこ生物色々、
   こうがい赤銅 無地、切羽はゝき金、さや黒小尻ニ少し銀はり
 一 はな紙袋もへきらしや、但うち金入
 
 一 印籠、但し鳥のまき絵
 右之者、悪党仲間ニてハ、○名日本左衛門と申候、共音ハ曾て
 左様ニ名のり不申候、右之者於有之ニ其所ニ留置、御領ハ御代官、
 私領ハ領主地頭え申出、夫より江月・京・大坂向寄之奉行所江可申
 達練、尤、見覚聞及候ハヽ、其段可申出、若、隠匿、脇より後日相知候ハヽ、
 可為曲事候
          (一七四六)
           延享三寅ノ十月之御触也   東新五左衛門
 右之者、京都ニてとられ・御しおきに合申候・日本国中ヘ御触候
 ゆへ自身なのり出申侯由ニ候
 
    ○木の子御運上之事
一延享四年卯年被 仰出候ハ、若山・八本山・瀬戸山・若次山木の子御運上
 として、つげまつたけ成候を十本か、又ハ〆治五ざし十れんか、かわ
 たげ五つざし五れんか、木の子不都合ニ候ハヽ、代銭廿四文つゝ
 
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 右之通被 仰付、木の子取として山へ入込候者ハ、腰札御台所より
 被差出候問・拝借仕、其上山へ入込候様ニ被 仰付候 陶山半五郎
 
    ○黒川清十郎鎌売蛭川藤蔵馬売買之事
一黒川村清十郎、御領分え鎌売広め申度由、其通りニ被 仰付、他国より、
 かま買来り駄おろし等為仕申間敷侯、尤、御領分鍛冶之義ハ御構ひ無之候
 清十郎かま直段、少々宛外より下直ニ可仕候ニて、他前より相調来、用ひ
 申儀は不苦候  辰ノ正月廿九日      陶山半五郎
一蛭川村藤蔵、馬売員之義ニ付、願申上侯ニ付、弥願之通被仰付侯、
 村々ニて毎年願書之通、小役人致吟味、庄屋中へ相届、庄屋
 元より極月上旬、書付役所へ差出候様ニ被 仰出候、御詰之義、今月
 中ニ委細可被申上候 以上  辰ノ三月二日       陶山半五郎
 右之通被 仰付侯ニ付、村々より願状差上相上申侯、委細は下書
 
帳ニ有り
          延享五辰ノ年被仰出候、
藤蔵より願状ハ三印之御触状写し帳ニ有り、願状等も下書有り、
右之うりかい、藤蔵手をはなれ、右之通、壱疋ニ付、五分つゝ之御運上、当一ケ
年差上可申出願申上、其通ニ被 仰付候 以上
   ○年号改元之事
一延享五丙辰年号改元被仰付之七月十八日より
  寛延元丙午年と被 仰出之候以上
       辰ノ八月七日  東新五左衛門
一寛延元年丙辰八月廿日 加藤七左衛門御用人役被
 
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 仰付之以上   辰ノ八月廿日御触也  東新五左衛門
一同年九月十三日神山新左衛門様 御家老役被
 仰付之由九月十三日御触   東新五左衛門
   ○本願寺を浄土真宗と改事
一本願寺宗を今後 公儀願書宗門御改之節
 宗名浄土真宗と相認候様ニと久田見村法誓
 寺より御奉行東新五左衛門様へ申来候由ニ付村々江
 御触相廻り申候寛延元丙辰十月七日法誓寺名付
 閏十月二日ニ御触廻り申候 東新五左衛門
 
一寛延二己八月曽我郷右衛門様二十石御加増被成
 御老中役ニ被仰付之由御触 己八月十六日 東新五左衛門
一同己九月曽我主礼様郡奉行役被仰付之候□□(虫損)
    ○琉球人美濃国往来ニ付御役銀之事
(一七五〇)
一寛延三午正月十三日触、琉球人美濃国路往来、
 御国役金九両銀拾匁、五ケ坂下蛭川分右割賦、
 壱両壱分式匁、下組、壱両壱分十五匁、町組、三分十五匁、合郷、三分
 八匁五分、上野、弐分八匁五分、田瀬、壱両弐分、福岡、三分六匁・高山、
 壱両弐分八匁、蛭川
 右上通、当月中ニ上納可被致候 以上 午正月三日    陶山半五郎
 
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一寛延三午正月大浜一学様御用人役被仰付
 候よし  午正月廿八日触    東新五左衛門
    ○大御所様御他界之事
一宝暦元辛未六月廿日ニ御他界被為遊候ニ付六月廿五日より普請時物殺生
 御伝心自殺義ハ相知不申候□□御・・・儀ハ各別他所者一宿も
 成不申勿論他出之義御伝心往来者一宿ハ勝手次第之事ニ候又触諸職人
 宿ニ而細工仕候事セうばい人かけらとして他所へ罷出候儀御赦免被成候
 又触普請之義他所往来他所者出入之儀御赦免被成候
一穏便之義七月十五日迄ニ而御免十六日より御構ひ無之由御触
    日数                東新五左衛門
 
 又未ノ八月十二日御触ハ此度江戸表より申来候於彼表穏便
 御免ニ而ハ候得共慰躰之時物之儀今以御慎ニ而ノ其儀無之候間
 此旨相心得村々祭礼之儀先延り可申候至□□順達可有之はや
 又触村々祭礼延引可仕旨申渡候得共此節より可為□□
        未ノ九月二日    東新五左衛門
      ○年号改元之事
 一寛延四辛未年号改元被 仰付十一月三日より
   宝暦元辛未年と被仰付候以上
       未ノ八月十八日   東新吾左衛門
 
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外之帳面より後ニ爰へ出ス
   ○木積沢安右衛門ニ同所勘左衛門手を負セ候事
一延享四丁卯年四月十四日八ツ時にきつミ沢三郎右衛門より以
 高山善蔵[三郎右衛門と いとこ也]を庄屋元へ申越候ハ私兄安左衛門方ニ
 今日馬の七やて洞中を呼酒ふるまい申候段ニ酒も
 呑申候而其座敷ニ而何かいしゅ御座候哉勘左衛門が
 安左衛門ニ切かけ手を負せ申候ニ付大こんらんニ而御さし
 □内私おも切可申と申候ニ付高山与左衛門方まて
 立去りい申候右之御届ケ申度候得共右勘左衛門鉄炮ヲ持
 高山ニ参申候故油断成不申候間私得不参候ニ付
 善蔵を頼申上候由申受候ニ付夫より勘左衛門高山村
 平蔵方ニ居申候由承候ニ付人足十四五人も安左衛門方へ
 
 番人ニ遣又人足大勢出勘左衛門持い申候鉄炮を
 受取可申候と先ツ三郎右衛門を平蔵方へ見セニ遣申候所
 はやきつミ沢江罷帰り申候由ニ付追々追かけさセ
 庄屋与頭も参申候而見申候得者火縄三口に
 火を付鉄炮と刀を持い申候勘左衛門母を呼長右衛門
 相添へ庄屋口上ニ而申遣候ハ御大切之鉄炮殊ニ飛
 道具之義ニ候間夫を持いたし而後日之た免不宜候間
 相渡し申候様□と申遣得ば勘右衛門申候ハ御尤ニわ
 奉存候得共御役人衆御出火下候ハヽ一通り申上度
 筋御座候間一通り申上候而其上事ニより相
 渡可申候と申候由ニ付庄屋与頭罷越勘左衛門
 
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 よこ座江庄屋参い申候而勘左衛門なんと口ニいたし候を
 よひ出庄屋申候ハ何か一通り申度筋有之由に而
 □付罷越申候間存寄之筋申候様ニと申候ニ付口上
 書ニ有之通り申候ニ付一通り承庄屋申候候ハ一通り
 承知申候扨鉄炮持い申候儀ハ如何と尋申候所
 勘左衛門申候ハ右申上候通ニ付安左衛門相果申候と
 承候ハヽ女房を切ころし腹きり可申候其時若
 死そこない申候時此鉄炮ニ而相果申覚悟ニ而如此
 御座候由申候庄屋申候ハ成程左も有□候得共
 飛道具と申ハ大切之事ニ而後日ニ其元越度
 ニ成事ニ而尤有之身ニ而も不届者と成事ニ候間
 相渡申候様ニと申候ヘハ左様ニも候ハヽ相渡し可申とて
 
 鉄炮相渡し申候ニ付受取長左衛門をよひ右之鉄炮を
 相渡し申候扨刀おも渡候様ニと申候所勘左衛門申候ハ
 是ハ御断申候子細ハ安左衛門を切あふせて候覚申候得共
 手廻り申候哉打わふせ不申候安左衛門相果申候ハヽ
 直ニ女房を切ころし此刀ニ而はらきり申度由申候
 庄屋申候ハ尤之事ニ候へ共侍ならぬ身百姓之身がらと
 して刀を以人ヲなやめ其身も刀ニ而腹切候ハヽ定而
 御倹便も有之時御覧被遊候ハヽ甚不埒ニも被思召
 其死後之とがかろからず候時ニハ諸一門共迄
 之たたりも無心え候間只今我等へ其刀渡候ハヽ
 刀之義さたなしにて仕候外ニわきさしも有之候哉
 と尋申候処成ほと弐候て有之と申候庄屋申候ハ
 
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 人をころし申儀ニ候ヘハ成程覚悟尤ニ候間右之□□
 候わきさしニ而相果申候ハヽ御倹便之時も首尾
 合可然様ニ為候間刀之義者渡候へと申候ニ付左候ハヽ
 相渡可申とて刀渡候故庄屋へ受取又長右衛門をよび
 相渡申候夫より万人大勢付置申候高山村中
 よせ置申候勘左衛門口上之義ハ別ニ口上書御座候
 夫より安左衛門方へ参候而夫婦之者口上書いたさセ
 申候両人口上書ニ而委細ハ相知レ申候故爰ニ不記
一村中之者共勘左衛門方へ番人ニ遣申候者大勢朝
 替り晩替りニ仕大勢番人付置申候勘左衛門手ば
 なしにハ晩も難致由番人申候ニ付棚橋三之丞様へ
 御からめ置被下候様ニと申遣候得ば三之丞様より被仰下
 候ハ洞中之者にからめさせかせいいたしくれ候様与
 
 被仰出候洞之者ニ右之段申付候得共此勘左衛門常々
 少々心懸ケ有之者ニ候故むてんぼう之私共からめ
 申候事得不仕候段申候洞之衆さへあの通り被申候
 間高山之者かせい仕候事成不申由申候又なぎより
 御使参申候初而之御使ニハいため不申候様ニからめ申候
 様ニと申参二度目之御使ニハぶちたをし候而も不苦候
 間何与仕候而成共からめ申候様ニと之義ニ候得共常々
 心懸ケ有之勘左衛門義ニ候故何様ニ被仰付候共得からめ不
 申由洞之者申候ニ付其段申遣候
一同五日之晩夜五ツ時に下御目付田口蓄右衛門殿外ニ
 御足軽衆七人[山田義助殿田口甚左衛門殿親子 佐々木弥右衛門殿不存人三人]御出被成与作方ニ而
 御仕度被成夫より勘左衛門方へ御出被成候庄屋御案内□候
 
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 勘左衛門方よ古座ニ庄屋すわりい申候而庄屋申候ニハ苗木
 より御同衆御出御尋被成候義御座候間罷出候様ニと申候
 ニ付祢候所より罷出私い申候所ニい申候故御目付様之前□外
 也下座へ下り候様ニと志かり申す候ヘハ上りはなまて下り
 申候故右御足軽衆後よりからめ被成候女房も
 御からめ両人□所に差置皆様御帰り被成候ニ付高山
 役人共も何か諸事能洞之者并番人ニ申付置□
 帰り申候明ケ八ツ頃ニ引申候
一同一七日ニ下御目付田口蓄右衛門殿へ外ニ御足軽衆弐人[玉木文内殿 忠七殿]
 御出被成手錠御打被成候
一同廿日頃なぎより人参候而勘左衛門斗ニふたし御打被成候
 よし□申候
 
一棚橋三之丞様御親父様五十日之御いミあき申し候へ而
 御知行所田瀬之宮脇高山之きつミ沢両所共ニ御相続
 被 仰付候由尤五十石ハ上り申候よし右御祝儀として
 酒壱樽肴御家来ニ為持被成て則庄屋吉右衛門方御袋様
 より御手紙も相添へ被遣候卯四月七日
一棚橋三之丞様より木積沢之事世話ニいたしくれ候ニ付
 御礼として酒弐樽するめ十枚御家来ニ為持被遣候
 御書付そい参申候其書付此内へ入置申候則写左ニ記
       口上
 今度木積沢一儀ニ付其村役人中初段々御□いり候処
 昨日事過半おち付申候而今安堵候如何敷ニ候得共
 
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  酒弐樽するめ十枚遣し候近頃軽少相□□申すましく
  候得共此間骨折此面々来々まて宜敷様ニ御振舞□□
  以上    卯月十六日   □□□
  右ニ付同十七日一組へ一樽するめ相添候五人与頭方へ相渡
  七組共ニ寄合のミ申候よし
一五月四日父伝七郎ニ酒弐升するめ五まい為持候而なき
  棚橋三之丞様へ御家督御相続之ご祝儀として
 遣申候
一安左衛門儀五月十三日明け方ニ相果申候由届有之養生仕候□
 阿らや小池庄三郎様方へ参い申候て殊ノ外大切ニ相身へ申候
 ニ付五月十一日苗木より帰り申候そのれい七ツ時之時節あらく
 人数之高山より□・・・□善蔵文助嘉吉吉六苗木より
 小池庄三郎様并不代伝七なぎより御家来洞中不然右之通ニ候申候
 
一なぎより儀右衛門ニ申来候ハ勘左衛門ニ安左衛門相果申候よし申聞セ
 たばこなとのまセ不申なわなときびしく仕候様ニと
 申参候由且又安左衛門相果申候儀高山村役人方へ届
 候哉手ぬけ無之候様ニ仕候様候と幸纈勘右衛門様より仰候よし
 初終共ニ幸纈勘右衛門様棚橋庄兵衛様 吉田半蔵様右御三人
 御一ツ也此御衆中御取りさばき也
一四月十四日安左衛門を勘左衛門手負之段伝兵衛□十郎両人を以
 御内々ニ而御代官藤田治右衛門様棚橋庄兵衛様へ御届ケ申し候て
 同日夕方ニ勘左衛門持い申候鉄炮は物を取申候段与頭新八
 金兵衛を以治右衛門様庄兵衛様へ御届ケ申上候
 同十六日勘左衛門御からめ被成候段御三人之方并御代官へ
 御届ケ申候
 
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一是迄ハきつミ沢御地頭様御き中殊ニ御家督御相続も無之
 きつミ沢庄屋安左衛門手負申候ニ付支配仕候者無之ニ付高山より
 支配仕候得共御家督御相続有之義ニ候故もはや高山より
 所々之御届ケ不仕候
一棚橋三之丞様へきつミ沢洞中六月三日ニ不残よバれ諸事
 御とい被成候由先達而諸事御書留置被成ニ而御とい被成候由
 帰りニ水出商人斗越残之者翌日越申候よし圓右衛門
 私方へ寄申候ニ付吉衛門気を付申添候ハ洞中留るニ候故
 勘左衛門番等気を付洞中火之用心盗人之用心かたく仕候
 様ニと気を付申遣之洞中之者共より一々口上書御取被成候由
 及承候且又勘左衛門口上書高山村役人中へ申候通り
 書上候様ニと御一門中預被仰候故明四ツ寄申筈之由申候
 
一同五日嘉内苗木より帰かけニ庄屋へ寄申候勘左衛門口上書を
 見せ候而三年以前より不儀仕候と申儀ハのけて書上候様
 と御座候由申候ニ付志からハ段々不儀と申所要八相届
 な□申所もぬきして可然哉と者那し申候
一六月十日ニ勘左衛門夫婦洞中三之丞様へ御召被成御吟味
 被成由勘左衛門いさいわ得不申上候よし承候女房申候ハ
 四月五日ニ初而不儀ら志き儀一度ならてハあと先
 無之由申候由ニ承申候いさい之義ハ高山より役人不参候故
 不承候もとり等水出川越人足出スきつミ沢頼候故
 出申候御地頭様よりと御口上添申候よしニ而□日川越
 帰リ申候
一勘左衛門安左衛門両人鉄炮弐挺取よセ御蔵江入置□□
 
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 六月十六日御預リ証文□□平沢右衛門様口上江□後安左衛門
 鉄炮ハ安左衛門弟伝之助相□願相済伝之助へ渡ス勘左衛門鉄炮
 之義御預リニ預り置延享五辰ノ春   召上ら連候ニ付与頭
 新八を付きつミ沢長八ニ為持城宅江納メ申候
一木積沢勘左衛門一義御地頭様ニ而相済不申卯六月 御城江
 召連平蔵次御長屋ニおゐて東新五左衛門様上之御役人様方
 并ニなきより御家門も御立合洞中之者勘左衛門夫婦高山より
 圓助親子要八召連御吟味被仰付候不残御とい被成候
 勘左衛門女房志ずニ御とい被成候ハなんじハ安左衛門と不儀らし
 き儀ニ有之間敷候有之候哉と御とい被成候所成ほと一度
 不儀仕候由申候ニ付又なんじ能よくふんべツ仕有ていに
 申上事不儀成事ハ志わせまいがと御とい被成候ニ付庄や
 
 吉右衛門も申候ハ御上よりも御念被入御とい被成候間不儀之義有之
 ましく候間不儀不仕段有ていニ申上よと申候所ニ□
 申上候ハ成ほと一度ならでハ不儀不仕候よし申候志からバ
 一度ハ不儀仕候哉よく申上よと被仰候へハ成ほと一度仕候よし
 申候ニ付無是悲事ニ而たとへて見バ其むかし八百
 やお七か御吟味に一しき事也ぜひもなき事と
 皆人申候弥々勘左衛門ハ白状残る方なく申上右之
 つミとが相莢申候弥きつミ沢江御あつけきびしく
 番仕候よし高山より庄屋吉右衛門与頭甚八新八要八か五人与頭
 伝吉御城江罷出申候人足其外ハ不残木積之者ニ而つ
 承出申候高山役人ハ知原ニ而出合参もとりにも知原切
 ニ而きつミ沢江不参候
一卯八月十三日勘左衛門ハ死ざいニ被仰付女房ハ登□□より
 
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 御もらい被成岩松寺太□□座共ニ御出被成かミをおろ被
 くすミを過越被成候御地頭代として幸纈勘右衛門様御出
 御目付岩井正助様御出被成候其外御足軽御中間勘左衛門ハ
 上地へ御足[本太刀 嶋右衛門殿 助太刀壱人]殿御きり被成候先ず切役[本太刀 小藤次殿 助太刀壱人]中間四人
 下御目付田口岸右衛門殿
一宝暦十二閏午閏四月より御用有之候間参候様ニと被仰下罷出候処ニ
 木積沢勘左衛門鉄炮上り候ハ何ノ年之何月何日ニ而候哉いさいに
 書付上ケ候様ニと有之一段書付候ヘハ又被仰候ハ勘左衛門先くわし□□之
 義不事と覚申候 其事共ニ一切いさいにちよと書くれ候様
 ニと有之ニ付書出申候書付下書左ニ記
       覚
一延享四卯四月十四日八ツ頃ニ木積沢に同所勘左衛門手負セ
 申候此起リ之義ハ勘左衛門女房と安左衛門不儀仕候由ニ付刃上
 に及申候由ニ御座候
 
一棚橋三之丞様御父親様御忌明不申御家督御相続無御難
 間之義殊ニきつミ沢役人安左衛門手負申候ニ付高山村役人共
 世話ニ仕候其後御家督御相談相済申候ニ付右之者共なぎ
 江召連候節ハ高山村役人共立会不申候 其後
 御上江召連候節ハ高山村役人共も相添罷出申候
一勘左衛門安左衛門鉄炮弐丁早速御蔵へ入置御預り之證文
 卯四月十六日塩冶平次右衛門様へ差上申候其後安左衛門鉄炮
 ハ弟伝之助御願相続仕候勘左衛門鉄炮之義者翌辰ノ二月
 被召上候
一右勘左衛門鉄炮持居申候候安左衛門相果申候と承候ハヽ女房を
 切殺其身相果申覚悟ニ御座候万一其節死そこない申候ハヽ
 鉄炮ニ而相果申覚悟ニ而持居申候ゆへニ勘左衛門申候以上
    午ノ閏四月廿一日   [高山村 無下ニ起ル]吉右衛門
 
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    東新五右衛門様
 右之通相認上ケ申候へ共いさいに相知レ□・・□申被成候
    ○御領内大道脇之木之事
一御領内中大道筋自今両脇共壱間通り松青木
 類相立候様ニ可致候なへ木なと無之所ハ青木類植付ケ
 可申候自然田畑之障り相成候所ハ可為見合次第候
 此段急度相守候様端々迄えも可申渡候若又難
 呑込筋も有之候ハヽ市岡新兵衛迄可相尋候尤村力
 順達可有之候者也
                 東新五左衛門
    宝暦二申ノ三月廿九日
一御領内中大道筋自今両脇共壱間通り松青木類相
 立候様可仕候なへ木等無之場所ハ青木類植付ケ候様先
 達て申渡候得共差急キ値付不及申当秋時節見合
 植付可申候若又付兼候ハヽ来春植木可然時分ニ
 相改値直し可申候勿論後々無油断相改此段急度
 可相守候尤村方勝手次第順達可有之者也
    申ノ五月六日       東新五左衛門
一戌三月十一日之御触ニハ申五月六日申渡候通弥無油断相心得候
 様ニとの御事ニ御座候端々小百姓共迄堅申付間違無之候様ニとの
 事ニ候
 
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    ○はかり御改之事
一諸秤之儀古来より守随彦太郎役人相廻し相改候所近年
 ハ私事之様ニ心得候や諸秤数多所持候者も秤少々出し
 見セ不宜敷秤ハ隠置或ハ秤所持不致旨申改請さる
 者も有之様ニ相聞候前以相触之通守随方より役人相廻し
 候節諸秤不穏置不残出し改請候様二可致候尤紛敷秤
 ハ取上ケ筈ニ候此旨急度可相守者也
 右之通先年相触侯得共近年ハ又々私事之様ニ心得候や
 不用者も有之様相聞候前々より相触候通西三十三ケ国
 之秤ハ東三十三ケ国ニて通用無之取上ニ相成候筋之秤守
 随方へ急度可申候勿論諸秤新古ニかぎらす守随方
 之外ニて一切売員仕間敷候尤秤手前ニて
 
 衡并錘取かへ其上緒をも手前ニて取替候者有之候ハ
 急度咎メ可申付候
 右上通先達て相触候向々え猶又可被相触候
    八月
 右之趣江戸表より被 仰付之候間端々迄えも申渡、急度
 可相守者也 申ノ九月十三日   東新五左衛門
 宝暦二申九月
    ○山御法度之事
一高峯山岩須山八本木山若山右御立山□木□、松栗生
 木御停止、兼て被 仰付置候、猶又、一切伐取申間敷候、且栗
 之儀、枯木たり共、自今一切伐取不申侯様、被 柳出之候
 間、村中へ堅ク可被御申付候、村々預り場所、御山番等無油断、
 可被相廻候、為其如斯御座候 以上 宝暦二甲十月十九日    山番
                  地廻りより坂下五ケ蛭川と 市岡新兵衛
 
78     画像(翻刻付)

 
 又右之通之御触、申ノ十月廿日、御代官陶山半五郎様よりも御座候
一今度蛭川村御預り、於八本木山ニ、木数大分伐荒候処、御吟味之上、
 高山村藤助与下善吉弟、喜十郎及白状ニ侯ニ付て、御領内追払二
 被 仰付候間、其旨相心得、従令近親たり共、一宿も宿も不仕候様
 端々迄急度可申渡候 以上
      申十一月十四日     東新五左衛門
一宮地多聞様 宝暦二甲十一月三日御老中職へ被
 仰付之候由御触 甲十一月三日    東新五左衛門
 宝暦二甲年之
    ○殿様御不快并御他界之事
一宝暦三癸酉五月 殿様御勝不成候処御差重候□
 
 惣名として一村より壱人ツゝ罷出可相伺御機嫌五月十八日 東新五左衛門
一右御不快ニ付御領内中として龍王院ニ而二夜三日之御き祷
 御執行相済御礼并供物五月廿四日八ツ時当町作右衛門
 日比野村野村九郎左衛門高山村吉右衛門罷出受取御台所江差上
 則江戸表江被遣之候右龍王院御礼為惣代右三人罷出相済申候
 間外村よりハ罷出ニ及不申候金三分御きたう料金三□礼金〆一匁遣申候
 右御領内ならし百石ニ付九十弐□ツツ
一殿様御病気不被送御養生今朔日之夜御卒去被
 遊候依之普請鳴物御停止穏便被 仰付之候日数之義ハ
 諸より可相触候御家督御相続之義ハ
 若殿様左吉様江御願首尾能相納申候可存其旨以
 佐渡守様          宝暦三丙ノ六月六日
 小石川より御出之方 御卒去也    東新五左衛門
 
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御法名ハ
一大工木挽桶屋鍛冶細工之事商人商売躰之事
 右之分六月廿二日より御免之義ニ而酉六月廿一日  東新五左衛門
一六月廿四日江戸より御尊骸御着棺ニ候雲林寺へ御入被遊候
一普請之義六月廿九日より且又家業ニ付而他所江罷出候儀
 両様共ニ御免之事ニ候
一穏便之義酉七月廿五日限廿六日より御免被遊候[酉七月廿二日 東新御左衛門]
一殿様御継目首尾能被仰出之旨奉恐悦候酉七月朔日触
一殿様御家督之御礼先月廿八日ニ被 仰上候右御祝儀上物一品以上御
 台所迄可罷出候 御隠居様へも御祝儀可申上候尤上ケ物一品ツヽ
一御家督御祝として御料理被下候酉九月廿一日之触  東新五左衛門
一御入部被遊右御祝ひ御料理被下一所上物仕候 戌五月廿四日 □
 
    ○西美濃川さらへの事
一美濃国川々之儀瀬替り段々水行不宜御領私料村々年々
 水府廻及難儀御普請被仰付被下候様ニ度々願出候旨先
 達而高木頼兵衛高木求馬高木内膳青木次郎九郎申聞候
 ニ付此度見分吟味として御代官吉田久左衛門并御普請役
 元〆壱人御普請役弐人被差遣候勿論新兵衛求馬内膳
 次郎九郎久左衛門より於彼地役人呼出し可遂詮議候間見
 分之節も相返無之様委細吟味之上存寄之義共無残申達
 評議之上御普請積り出来候様ニ可被心得候且又見分之節
 差支無之様ニ村中へ可被申渡置候
     酉五月
 
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 右之通江戸表より被 仰下候間村々為心得申達□□
 順達当村より可相戻し者也 酉五月十八日 東新五左衛門
一此間東新五左衛門殿より御触被成候西美濃川並就御
 見分今五日六日頃迄ニ笠松御役所江村方より証文
 差上候様ニと被仰付候依之庄屋并与頭壱人百姓代
 弐人印形持参明二日触届次第可被罷出尤証文此方ニ而相認
 可候申候事ニ候間其心得可被出候も酉六月一日 甲ノ上刻
 右之証文候紙 御上より尺勺上出御城懸りニ而相認上申候
一右御書付笠松并多良御役所江差し上候御書付
 東新五左衛門様持参被成被差上相済申候以上
      宝暦三酉年 右証文下書ハ下書帖六印ニ有之候
 
一小川政右衛門様御用人役被 仰出之候由之御触
   宝暦三酉九月七日       東新五左衛門
一左巻のかや上来ノ村坂下村町組切井村河合村柏本村
 右四ケ村より上来ノ所今年ハ小粒ニ而御問合不申外村之内ニ
 有之候ハヽ可被差上候以上 酉ノ十三日  東新五左衛門
   ○琉球人来領御国役之事
一琉球人来願美濃路通路ニ付国役掛割賦
 金八両三分拾五匁三分五厘坂下蛭川
   高百石ニ付三十四匁三分懸り
 
81     画像(翻刻付)

 
一金壱両壱匁壱分八分四厘  坂下下組  同壱両参分十弐匁弐分  同所町組
一同三分十弐匁九分八厘   同所合郷  同弐分七匁三分三厘   田瀬村
一同壱両壱分十弐匁六分弐厘 福岡村   同三分四匁四分四厘   高山村
一同三匁六匁九分四厘    上野村 〆 八両三分十五匁三分五厘
    ○御囲籾之之事
宝暦三酉秋納分
一公儀より被 仰出之候、御囲籾壱万石ニ付、千俵つゝ
   三百四拾九俵也、石〆百四石七斗也、坦三斗入也
   右ハ坂下五ケ蛭川八ケ村分 [惣高千弍俵四升五合六勺 御領内ニて納可申候]
   内
   一九石六斗 籾三斗入〆   高山村
    俵数三十弐俵也
 
   一戌年分も去酉年之通被  仰付之候
    籾高千俵ニて御割賦去年之通也
 
一中原惣右衛門様宝暦四戊四月御用人役被 仰付之旨
 御触有之戊ノ四月廿三日 東新五左衛門
一加藤七左衛門様今度五家老役被 仰付之候旨以
 触戌ノ十月八日  東新五左衛門
 
82     画像(翻刻付)

 
    ○御制札御書直し新成候事
一御制札之事、古札御取上ケ、今度新敷御書直し
 懸り申候、折釘三本つゝ相添御渡し被成候
(一七五四)
 宝暦四ノ十一月十日 御代官より触 吉村与次右衛門
    ○改暦之事
 貞享改暦以後是迄貞享暦相用い候処ニ
 違有之ニ付而測量ニ被 仰付今度於
 京都改暦 宣下暦号定陣儀被 遂
 
 則新暦号宝暦甲戌暦与被相定之候
 依之 来亥暦与り新暦領行之事□□
    宝暦四戊ノ十一月触  曽我万右衛門
               東新五左衛門
   ○犬地村と小原村山番之事
一御領所小原村と犬地村との山論今度おふ里村
 尾州領飯森善助御領所水戸村渡部久助名倉村
 庄屋原兵衛同村百姓扱いニ而相済申候以上
     宝暦五亥十一月四日   吉村与次右衛門
 
83     画像(翻刻付)

 
   ○お志け様福嶋へ御縁組之事
一お志げ様遠山和泉守様御姫君様也 信州福嶋山村甚兵衛様
 御子息外記様と御婚礼宝暦五亥十一月十一日ニ
 首尾能相済申し候同七年丑三月御死去被成候御かいたい
 ニ而御産の志つらいニ而御死去被成候ニ付三日穏便被仰出候
一江戸お栄様丑七月御逝去被遊十日之穏便被仰出候
一 江戸御部屋様丑七月御逝去遊廿日之穏便被仰付候
   ○三州伊賀八幡美也勧化之事
一三州伊賀八幡宮大破仕候ニ付 公儀江相願勧化
 参河 尾張 美濃 遠江 駿河 相模 武蔵
 
 右七ケ国御免宝暦四戌二月御免八幡神事紫田式部
 右割賦金各三分勧化銀拾匁泊り雑用酉九月より利足共ニ
 高山村分壱匁八分五厘高百姓ニ付壱匁弐分壱厘□□[亥十一月十八日 ニ差出候]
       御代官所中之触 吉村与次右衛門
 
一伊藤清左衛門様 宝暦六丙子四月御用人役被仰付之候
               札御事
         子四月七日 曽我万右衛門
               東 新五左衛門
一大濱権左衛門様同七丑四月御家老役被 仰付之候
 旨御触有之候丑四月十九日曽我万右衛門
               東 新五左衛門
    ○京極大仏殿権化之事
一京都大仏殿勧化日本国中被 仰付子より丑迄三ケ年
 
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 之間御免被成候則江戸江御取集之由ニ候
一金三分銀ハ〆四十八匁御領内中御割賦高山村分銀壱匁
 五分三厘当り申候宝暦七丑八月廿八日 宮地新太郎 藤田政七
                   井沢□兵衛 吉村与次衛門
    ○蛭川村石木数右衛門相果御吟味之事
一蛭川村いしき与右衛門悴数右衛門何方ニ而候被殺候哉高山だうだふち
 と申所流れ懸りい申し候ニ付蛭川与右衛門方へ届ケ候処引取其後
 御吟味を与右衛門御願申上高山村文六 二郎八 兵衛右衛門喜兵衛御
 上江召呼連御吟味被仰付候得共高山ニ而ハ古ろし不申由ニ
 申上候得共二年越ろうしや被仰付候得共相知不申候
 右数右衛門とはくえき仕候由白状仕候ニ付其人数不
 残御追払被仰付候 殊之外大こんらんニ而御座候
 
 いさい之儀ハ一之印下書き帳二之印下書帳ニめいはくニて
 ゆへ爰江出し不申候一二之印下書帳ニくわしく有之候
   元文五甲之二月之事也
 
    ○若山ニて日比野村者もやのかり置仕 松栗類有之
     御吟味之事 尤高山より相改吟味之上申上候
一宝暦三癸酉二月十一日、木積沢之者共、大川平えふじきりに
 参候処、ふじも無之罷帰侯処、大ぼら并大洞口と申所ニ、もや
 大分かり置御座候ニ付、壱人ニて四束つゝ、兵吉・兵左衛門・清吉
 右三人ニて、もや十弐束持帰り、兵吉ハ清吉方ニ預ケ置、兵左衛門ハ
 宿へ持参候て、兵左衛門・清吉ハ少々宛火ニくべ申候所、日比野村与八
 と申者、翌十二日、木積沢え参り[但、日比野村忠助と申者・きつミ沢へ作人ニ家 こし仕、荷物持はこびニて、与八やとわれ]
 
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 [参申候由 右もやを見付]清吉方へ申候ハ、私共若山ニもやかり置申候所、
 各々方御取被成候故、とめ付申候其もやくれ候様ニと申候由
 ニ付、もやくれ申候由、夫より兵左衛門方へ与八参、右之段申候よし、
 清吉もくれ申候事ニ候ハヽ、くれ可申候由、火えくべ申候もやハ
 無之由申候由、与八申候ハ、此方ハ山沢山ニ御座候得共、私共
 殊之外不自由ニ侯間、少々山ニて被下候様ニと申侯由、くれ可申候
 よし申候て、此もや之儀、少々御法度之諸木も見へ申候ゆへ、
 セうこの為取参候得共、、吟味ニてハ六ケ敷也候間、役人衆中へハ、
 さたなしニ可仕候間、以後ケ様之義、不仕候様ニと申渡し候へハ罷帰り
 申候、同十三日、きつミ沢三郎右衛門・長右衛門方へ、日比野幸吉・与八・
 八十吉・堂八右四人より書状差越申候、きつミ沢兵吉・
 兵左衛門・清吉存候ハ、役人之方ヘ書状付申候ゆへハ、もはや内々ニ
 ハ成不申候ニ付、右之段、三郎右衛門・長右衛門方へ相届ケ申候由・
 
 書状之趣左ニ記ス
   以上
一其元清吉殿・兵左衛門殿右三人之衆中、此方
 私共かり申候もやをぬすミ取被申候、此段昨日相改
 申候得ば断被申候得共、其分ニてハ相済不申、盗人
 之儀ニ候間、棚橋三之丞様へ御届ケ可申上と存候、
 為御案内如此御座候 以上
     酉二月十三日       日々野村 与八郎
                      八十吉
  きつみミ沢
     長右衛門様            幸吉
     三郎右衛門様           堂八
 右之趣、申越候ニ付、三郎右衛門・長右衛門両人として、清吉・兵吉・
 兵左衛門を召寄吟味いたし侯所、木積沢之義ハ山元之
 義ニ候間、庄屋元より御念被入、山番之節ニて無之候共、御山
 不埒等有之候ハヽ常々気を付居申候て、左様之筋も
 
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 候ハ、早速届ケ可申旨、被 仰付生置候故、御法度之木
 もやの中ニかり込有之候故、セうこの為取参候
 由申候、時ニ三郎右衛門・長右衛門、右三人士者へ申候ハ、セうこの
 為取参候て、手前ニて火へくべ申候訳ハいかゝと吟味仕候
 所、成ほと御尤ニ者存候、私共山ハセうこの為とて持出候へ共、
 道すがら相談仕侯ハ、今日ニ至て、私共山番へも無之、殊ニ
 詮議ニ及侯てハ殊之外六ケ敷相成候時ハ、日々野村
 之者、何様成難儀ニ候とも不存候、左ある時にハ、かたき
 成候てハ後日之うらミも気のとくニ存候間、このもや取リ
 申候ハハこり可申候間、手前ニて火へくべ申間敷やと
 申合、少々くべ申候処、与八参、内々之申合ニて被帰候
 ゆへ差置申侯所、ケ様ニ各方へ状付申候故ハ御
 
 届ケ申上候よし申候ニ付、三郎右衛門・長右衛門右両人
 参、庄屋元ヘ相届ケ申候、尤、日比野村幸吉[五人与頭仕候 よし承候]
 方へ両度あいさつ申候由、是ハロ上書ニ有り、夫より庄や・
 与頭寄合相談仕候処、又翌十四日朝、長右衛門・三郎右衛門、
 庄屋元へ参申候ハ、日比野より三右衛門[是ハ前度 与頭役仕候者也]被参
 被申候ハ、とかく日比野村四人之者、殊之外不調法
 不届者ニ御座候間、忠助私両人もらい度候間、御内々ニて
 御済し被下候様ニと達て被申候間、御了簡被成被下候様ニと
 申候得共、庄屋・与頭了簡として済申義、御(大事)上えた
 いじ・軽ニ候間、了簡得不仕候よし申候て、市岡
 新兵衛殿へ右之訳御内々ニて、与頭伝吉を以申上候処、
 則、新兵衛殿御出、御内見被成候、御改之もや数
 
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 天洞頭ニもや十三束[但し細松 少々有り]大洞ニもや三十三束
 [但し向松 栗も有り]右[松くり百五十本程有リ、其後ニ 松くり之分取すて申候由、株ハ有り]右同所ニもや
 十弐束[きつミ沢、兵左衛門・兵吉・清吉 右三人ニて、きつミ沢ヘ引取申候]右日比野村与八取もとし
 参候、残八束只今有り、一同所ニ一所○弐束、 一所ニ弐十束、 一所ニ
 三十三束、〆百八束、何れもかな木斗り、一ぐみかうと
 もや四束[但かなぎ斗 外ニ松一本弐ツ切有り]同所ニ四十弐束[右きつミ沢ニ有之候もや 八束之内五束有、三束ハ清 吉くべ申候よし]
 右何れも新兵衛殿、御書付被成御預ケ被成候、新兵衛殿御申
 被成候ハ、両村より口上書仕、差上候様ニと有之ニ付、口上書
 仕上ケ申候
     口上書覚
 一私共三人、今月十一日ニ若山大川平え、こぎのふじ
 取ニ参候処、御山之内ニ、もや大分刈置御座候・見申
 
 侯得は松栗なと刈込有之候、兼て高山村庄屋元
 より、月々被申渡候ハ、若山御山番等、御大切ニ相勤可申候、
 殊ニ山元二儀ニ候間、常々気を付、若、不埒等有之侯ハハ
 早速可申達之旨、被申渡置候故、右之もや見付申
 候故ハ・吟味之せうこの為と存取参候、道すがら私共
 存候ハ、御法度之諸木相見へ申候得共、今日ニ当り私共
 御山番ニても無之、若、六ケ敷和成候てハ、先様えかたきと
 成申事、以後之うらみも気之毒ニ存候故、ケ様ニもや取申候
 故ハ重てこり候て、もやもかり申間敷聞、役人へハ届ケ
 なしに、此もやくべ申候半やと致相談、罷帰り候て、兵在衛門・
 清吉ハ手前へもや持参仕候、兵吉ハ清吉ニ預ケ置申候、
 清吉・兵左衛門ハ、もや少々火へくべ申候、翌十二日之朝、日
 
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比野村与八郎と申者、清吉方へ被参、もやくれ侯様ニ
と被申候ニ付、右もや遣申候、夫より与八、兵左衛門方へ被参、
もやくれ候様ニとの事ニ侯ゆへ、清吉方のもやも、もらい被
申侯ハバ、成ほと遣可申候間、以後あの様なるもやハ、かり
不申様ニと申合もや遣申候、互ニ出人無之様ニ内々ニて
相済ミ申被帰候処ニ、長右衛門・三郎右衛門方へ書状差越被
申候由承り申候ニ付、右もや取参候段、私共より早速、
長右衛門・三郎右衛門方へ相達置、兵左衛門日比野村ヘ如何と存、
様子承二参候処、日比野村幸吉、被申候ハ、其元方は、
棚橋三之丞様之御山斗之吟味可致候、若山之義は構ひ
無之所ニ、いらさる吟味おき可申候と被申候ニ付、左様ニ
思召儀ハ如何、思召ちかいニてハ無御座候やと申候へハ幸吉
 
八十吉被申侯ハ、成ほと咄し聞候得共、其元方ハ、棚橋
三之丞様御山斗り預リ之場所、若山之儀ハ御預りニて
無御座被候故、被申故ことバ詰メ仕、罷帰り申候  以上
       酉ノ二月廿日   きつミ沢 兵  吉印
                     兵左エ門印
                     清  吉印
     同所
       三郎右衛門殿
       長右衛門殿
右之末ニ紙次、役人両人之口上書有り、右之通二仕
取、新兵衛殿へ上ケ申候、両村々口上書御引合、日比野村不届
ニ付、殊之外御しかり被成侯よし、右御山ニかり置申候もや
半分ハ高山村被下、高山へ取申候、残半分ハ以後控の
為とて御山ニ残し、御上より札六月十五日二以村次、被遣則
日比野村受取候、同六月十六日ニ若山もや有場ニ、使[伴助 定吉ニ]
 
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 為持遣候、しやくをゆい廻し其中二立置申候、右之
 御札文言左ニ記ス
     覚
一 御山之内、先年より、かり置御停止之場ニ候所、
 かり置いたし置候、依之、もや半分ハ高山村え
 相渡候、半分は此旨為可申達残し
 置候 以上
 酉ノ四月       市岡新兵衛
右之通之札御立被成候て、其もや山ニてくさり捨り
申候、右之御札之御手、御ゆう筆衆御手と見へ見事ニ候 以上
   宝暦三癸酉年
 
   ○高山御山太兵衛伐跡ニ而福岡村よりかしすミ願之由
    市岡新兵衛殿より御知らせ被下候ニ付差止申候事
一高山村御山之内太兵衛伐跡之山ニ而かじすミ屋き申度旨
 福岡村より願申候ニ付山御奉行市岡新兵衛様より御知らセ
 被下候ニ付而右願之義ハ御差止被下候様ニ御願申上差止メニ
 成り申候此以後共かじすミ等其外村之まかいニ成候斗ハ
 当村より御願可申上候外江願之義御無用被成可被下候勿論
 御本地之御山火之用心も当村之者と違そまつニ先年も
 仕候事間々御座候殊ニ大切之青木山之義ニ御座候故
 みたりニ入込候而御吟味も難成事ニ御座候由新兵衛殿へ
 申上置候 則新兵衛様より之御書状此内ニ入置申候則写ス
 
90     画像(翻刻付)

 
以村次致賄上侯弥
御無事御暮候由珍重
之御事ニ候然者其元
太兵衛願伐跡場所
福岡村入合之場所之由ニ而
彼村より鍛冶炭願
有之候其村存寄も
無之候哉承度候間
与頭申ニ而モ明日ニも御城
まて可被差越申候為其
此如御座候 以上
     市岡新兵衛
 十一月二日
     市岡孫右衛門
高山村庄屋
 吉右衛門様
 
91     画像(翻刻付)

 
  以御手紙致啓上候弥御無事御暮之由珍重ニ奉存候
  就は其元太兵衛伐跡場福岡村入合之場所之由ニ而
  彼村より鍛冶炭願有之候其村存寄も無之候哉
  頼度候間組頭申ニ而も明日ニも御城迄可被遣候為
  其如此候以上           市岡新兵衛
         十一月二日     市岡孫右衛門
     高山村庄屋
         吉右衛門殿
  右之通ニ御手形被遣候ニ付御願申上差止ニ成申候
  事ニ入合之場所なとと候申義不届成申方故相止申候
 
    飛州口留三十三ケ所入札触之事
一延享三丙寅ノ十月飛州口留三十三ケ所御役取上ケ
 之儀請負申度者有之候ハヽ以入札可被仰付候旨併
 村々ニ届之者有之候ハヽ壱ケ所弐ケ所又ハ六ケ所七ケ所ニ而も届
 次第其所ニ応シ田地質入いたし請負可申候届之者
 有之候ハヽ飛州御役所江罷出引合可申候旨委細有
 無之御届ケ笠松御役所江可申上候旨被仰付御触
 并役上り候品々之御帳面相廻り申候右御触御帳面共ニ
 苗木御代官所より相廻り一年長切ニ庄屋壱人ツツ笠松江
 罷出村々より壱届ツツ之弐届ケ書差上申候五ケ坂下蛭川
 惣代として坂下村下組庄屋八郎右衛門江被仰付十月廿五日ニ
 出立被参候五ケ坂下蛭川御代官藤田治右衛門様也高山村庄屋吉衛門
 
92     画像(翻刻付)

 
右之御触御帳面写し証文箱ノ内へ入置申候
       飛州御代官 幸田善太夫様
       笠松御役所御郡代
             青木次郎九郎様
   延享三丙寅十月
 大坂天王寺伽藍修覆ニ付日本国中寺々
寄進被 仰付候御帳面之寺数
一天台宗 千八百廿ケ寺 一真言宗 壱万八ケ寺
一律宗 九千百ケ寺 一法相宗 五千三百廿ケ寺
一禅宗 壱万七ケ寺 一浄土宗 十四万廿ケ寺
一遊行宗 六万七十六ケ寺 一大念仏宗 千五百十ケ寺
一日蓮宗 八万三千廿ケ寺 一西本願寺 四万五千十八ケ寺
一東本願寺八万百弐ケ寺 一高田宗 七千五百四十ケ寺
一仏好寺宗八千五百廿ケ寺
寺数〆 四十六万三千四十一ケ寺


 
93     画像(翻刻付)

 
 右寺々壱ケ月ニ鳥目三銭ツツ壱ケ年ニ三十六銅ツツ十七年
 之間銭高〆十六万六千六百九十四貫七百六十穴右銀ニ直シ
 千九百十六貫八十九匁七分四厘十七年之惣銀合三万弐千五百
 八十貫八百廿五匁五分八厘金ニ〆五十四万三千十三両三分五分八厘也
 右之金子を以御修慶仕候様と被仰出国々より差上申候
 享保年中之頃也
    長命隋應(ズイオウ)ガ事
一近江国志賀といふ所江浪人来ル住居仕候ニ其年百六十四歳ニ
 成者ゆへめつらしき長命故公方様江被召中津
 川を通り笹屋伊吉方ニ泊り先程之申候長命なれバ御
 壱家皆なくたび住居之心之由守なくもらい申度よし
 
 申候所長命ニ而何かてたき事無之う連いがちニ而候間
 あやかり申事いらざる由申候志かれ共おして願候ヘハ□□
 なとくれ申候由笹屋ニ而届候ニ付□かきくれ申候ニ付かけ物仕□□
 其前ニ長命ハあさおきしてひる称せす大食せすにひと
 里称をせよといふ外書しくれ申候中津川ニ而げたか□(虫損)尤
 あ流き申候由 宝暦の初より十年も前之事ニ候由 右此者ハ甲斐
 之信玄公の侍ニ而信州河中嶋合戦之節かけ落仕江州志賀へ
 落行住居申候由ニ而河中嶋の合戦之咄シハ能仕申候よし
 
94     画像(翻刻付)

 
       神社之事 先年之帳面久々ニ成くり申候ニ付
            書直し置候 水帳之はしニ記有之
            右私帳少し斗帳長持之内ニ有り
一脇立白山大明神 ミとのまへと申所七とうがらんの時のちんじゅ也
         中山道此筋を通候節之事也依テ其跡をミとの
         まへといふ
一脇立熊野大明神 くまのひゝといふ所西ノ山ニ有り 依テ其所を
         くまのひらといふ
一本社南宮大明神 下森といふ所山の頭ニ有り依テ其跡を下
 金山彦尊也   森といふ
右三社を今の森江よセまつる養老元丁巳春祭ル
一若宮八幡宮 上高山とこなへといふ所より少上ニ祭ル頃ハ神森
       甲子ノ八月祭ルとこなへくりや元弐軒之うふすな也
 
       今ハとこなへ組一組のうふすなとする
 宝九巳卯ノ九月廿五日御上江神社之書上ル京都より日本
 国中神社御尋ニ付外之神社も書上ルいさいわ八印下書
 ニ有り