はるのにしき

はるのにしき [目録]


 翻刻 (画像番号)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 |
46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52

<翻 刻>
 
管理番号 七四
 
間家史料番号 中山-補一六二
 
1     原本へ



はるのにしき
      間半兵衛秀矩
 
 
2     原本へ



二月廿日あまり三日といふ日ハいかなる
 よき日にか有けん 去年のけふは
 伊勢の大神ををかまんとて娘
 と共尓出たちけり ことしハ
 大君の御門をかまんとて同し
 娘をいさなひて未はかり立出けり
 幽顕二柱の神のくすしき
 御恵みなるらしとひそかにおもふ
 
 
3     原本へ



 ■■つゝまつ坂本の神尓
 詣て 大井にやとる この家
 ハ 市岡の土衛(ひじもり)かたからなり
 けりれハいとねもころに
 あるしす
廿四日 夜もすから降りける雨もなこ
 りなくはれて遠山見渡しつゝ
 槇ヶ根にやすらひて大湫に
 
 午はかりいたる 尾張の
 殿の人あまた行あへり細
 久手みたけを過て 伏見岡田
 尓やとる
廿五日 霞尓明てのとか也子守宮
 尓詣 太田河 岩屋より見おろし
 ていとけしきよし鵜沼尓
 昼ハとゝのへる時 みちのくの
 
 
4     原本へ



殿人 国の守の此すちのほ
 らすとてあわたゝしう行
 新加納尓休らひて加納に宿る
 けふは北のゝ神の祭也とて所
 所笛つゝミなときこゆ
廿六日 河渡川 くいせ川をワたりいつ
 ぬき川ハ赤坂の東を流るゝ川なめりと
 いふ尓土衛(ひじもり)
 
 名尓高く流れてあれしいツ(いづ)くとも
 ワたりかねたる伊都野の川
 といひつゝ青墓野を過て中山の
 大神をかミて関ヶ原ノ蛭子(えびす)屋ニ宿る
廿七日 不破の関屋尓しはしにて関藤川
 車返しの坂を過 ねものかたり尓
 やすらいて醒ヶ井尓いたりむかしの
 ことゝもかたらひツヽ■■■■(○ツヽゆく△)摺針手向(とうげ)
 
 
5     原本へ



にしはし時をうつし多賀大社
 尓詣て高宮にいたる○をすから(おのずから?)
 花のはかなくちり過きたるを
 あふミちはまたき桜の散にけり
 神のいふきのいつさそひけん△
 暮れてかふと屋尓やとる
廿八日 愛知川の河原尓殿の御むかひ
 なりとて人数多(あまた)しるしのもの立
 
 ていかふをとへハ陸奥守殿の
 京にまうのほりたまふ(のほらす)を赤坂
 といふ所まて迎まつるとなん
 清水ヶ鼻といふ所尓角田氏尓      (付紙)角田忠行
 あいたり都のことゝもひそか尓 
 
 きく■■■■■(きのふけふ共尓おくれ先たちたる)秋月左京亮殿
 林大学頭殿尓おくれぬ
 老蘇森(おいそのもり)御鎌の宮といふはたおし
 
 
6     原本へ



てゝ祭り也とゝハゝいさまし(む)
 安川水かれて渡り安し守山尓
 やとる  忘れたりむさ(武佐)より行
 困して駕籠尓のりて鏡山に至り
 これより歩行尓なれ又一里ほと
 行て駕籠尓のるいと/\わひし
廿九日 雨ふるに例のもの尓のりて大津
 富田屋尓やとる[脇本陣 冨之助]庭のしま山いと
 
 広やか尓池水尓舟なとうかへて見所多し
 けふは駕籠の内にかこみ(まれ)て草津(いし山)もせた
 も知らす来にけれハいともはれ
 かましく されと心地あしけれハふす
 やかて 土衛(ひじもり) 同しつま 供の人左次右衛門
 山本 竹村人々来 みつこ(子)がよめる
 池水の清きかゝミにかけうつる旅の
 やつれのはつかしきかな
 
 
7     原本へ



晦日 雨もおちされハまたのりて逢坂山
 を過て 京 いけむらにいたる 主し(欄外)とくいてゝ
 来る/\たせこ(子)かことなとかたらひ■■(ツゝ酒のむ)
 ■■ 岩崎長世 北原森太郎信允尓
 ニ逢 やかて 市岡土衛 同妻てるこ(子)間亀
 松尾 竹村 鶴田 みつこく(来)
 さてやとりハ いつこにやなとはかるに
 島田永助か家居奥まりたる所    (付紙)島田永助ニ披宿ノ条
(欄外)数ならぬ身も大君のへ尓こそと思のほりし都への空
 尓たせこかふるす尓仮初尓いね
三月朔日 池村亭(か家)尓野城廣助
 尓逢て 二月廿六日のことゝもきく
 飯田人 大原権蔵 慎三郎 吉川歌蔵
 桜井文治郎 桜井弥吉とひく(来)
 此人々と共尓 松尾竹むら鶴田なと
 岩(長世)崎尓随て  白川殿尓ゆく
二日 雨ふる 久野(医師)氏尓堺町三条下ルみつこゆく己ハ
 
 
8     原本へ



足いたみて外へも出す人々仙台
 の殿をそミ尓ゆく
三日 池(いけ)村の初節句なりとそ(れハ)雛をくる
 とて
 咲桃の花とほゝえむはしき子を君か
  むすこ尓あへねとそおもふ
 土衛 蔭高く生ふる此君おひつかん
 其子もおなじ千世をゝそへめ
 
          楹
 こはこのこの名を千竹丸となん
 いふにや かくハよミけん 長世
 あヤめたち世にぬけいてんめたし
 こをいもせの神はまつさつくらし
 午はかり 平田大人のもとに御室へ
 ゆく けふハ闘鶏の御祭ハ廃せられ
 しとなん こは御吉例なれはかゝ
 る世にはせさせ玉はんとまりけるにいと
 
 
9     原本へ



 本い(意)なしなと承る 野代清太夫
 権田直助 三木鉄弥ぬし 延太郎ぬし (付紙)権田直助ニ交ル
 にも逢 去年 大原君
 大御使尓たゝせ玉ひける序尓
  学習院へ奉りたまひし書を
  たゝ(祢)へ奉る(て)よめる長歌
 玉ちはふ神の皇国ハ神代よりう(う)ら安
 の国言挙せぬ国といひつゝ安国のお
 たしき国をさひつるや もろ/\から(唐)のしこ
 国ゆ書し まゐ来てきたなけき風俗
 のミかはいまハしき言もうつりてすなほなる
 うら安人をたぶらかすしこのみニく(久)さ
 しこ草としけりにけるを利鎌もて
 はらふか如く刈はらひ刈そけまして百とり
 のつくゑのもとにあかりひく日はくるし
 まてぬは玉のよのあくるきハみとる筆
 
 
10     原本へ



 のつかのミしかく命毛ハよしこえ
 ぬともする墨の色のこまかにおもひ
 かねおもひたらハし千万の書の
 ことくます鏡ミしあきらめて
 をしへこちいさなひませハますらをハ
 いやます/\尓たわやめもをゝしく
 なりて 敷島の 大和心のいミ柱太く
 ゆゝしく立ならひ立そ高へくもしほ
 
 くさ書とらせるをすれる巻うつせる
 巻も公(おほやけ)尓世にひろこらす埋水うもれ
 うもれたりしを殿人のよしとよくミて
 大宮にまちかく作る学ひやにたて
 まだせのかくはしきミことのまにま百
 たらす七十の巻をとりそろへまつ
 たてまたすこれやこの三室ぬし
 と君か代尓光あいたるあわ(は)ひ玉真
 
 
11     原本へ



珠白玉真心の玉
   反歌
 幽界にいる嬉しと畏しと吾御柱
 の大人見ますらん
 吾大人ハ神尓ましてか大君の御手ニ
 とらせる書作らしき
  盃とりかはしけるほと尓人々来りて
  明後日なん佐竹殿尓御いとまたま
 
 ハせけるまて(よし)内々もれきゝぬなと
 つけけるまゝ立出つ此ほとりは
 此ころ 足利三将軍の首とられ
 ける等持院となんいひける寺
 も隣なり 御室御所尓まうてゝ
 光幸(ママ)天王の 御凌(ママ)を 拝児桜
 は いと老尓けり
 寺中尓佐竹侯います
 
 
12     原本へ



 妙心寺のうら門より表尓いつ 仙台侯
 こゝ尓坐すとなん くれてかへる
四日 将軍家御入洛 拝んと朝とく
 三条へ行ニ過し時御入 城被遊
 けるといふ見上奉し人稀也とそ
 己はかり伊勢へ
 大御使として 橋本少将殿 柳原
   殿広橋   殿藤波三位卿
 
 下らせ玉ふ  吉田山より南禅寺門前に至
五日 水戸中納言殿御入洛いと美ゝし
 かりしと人々いひあへり
六日 白川殿江参入 御目見相済御門
 入いたし神拝式たまふやかて
 内侍所 拝かミ奉りて
  時しあれハ草はの床のひはりさへ
 雲井のそらにのほるかしこさ
 
 
13     原本へ



 午時より祇園へ詣て東山の
 名所めくり 松原いけ亀尓いこふ
七日 朝六ツ時よりあはたゝしう引
 おこされて中立売通堀川東江入
 所ニ莚敷て御参
 内を待尓来玉ハす貴賎男女
 のへだてなう 人々我れかち尓来りて
 都大路も狭しと見ゆやかて
 
 巳の中とおほしき頃 二条御
 城より堀川の西河岸を右尓折
 れて堀川(中タチウリ)御門尓入らす初
 麻上下の侍衆五六十程御先を
 はらわすいと/\ひそやかに通
 らす  あとより 一橋卿も
 ひそやか尓出たゝすいと本意なく
 ていかゝの世にやと人々いひあへり
 
 
14     原本へ



帰るさ 柳馬場丸太町下ル所ニ
 古川美濃守の旅館をとふ
  此夜下河原大谷タヒラノ所尓
  殺害されたる者あり後より
  きられひたひに疵アリその
  所尓紙尓歌かきてあり
   五有志にさわるとて(イキヽ)
  梓弓やたけ心のいとつよく
 
  ひきなたわミそ武士の友 孝光
 此外 祇園冨永町  屋根ニてむねニ
 またかり切腹の人アリ
 宮川丁ニ一人殺されてアり
 此外ニ今一所  八日朝連中の
 内見之  長藩ニて四人割腹
八日古川氏尓行 神拝式を学ふ   (付紙)木村数馬ハ白川神祇伯家の緒大
九日同し所尓ゆく 午過木村数馬来  夫ニテ勤王ノ志士屡ハ伯ノ使者トシテ
                  往復セシ人
 
 
15     原本へ



此人と伴 長藩へ行志道聞多ぬしニ
 逢 くれて此人いせ屋へ来
●九日 たせ子かゆくへのおほつかなけハ
  はゝ木々ハありヤなしヤとその原尓
  あらぬふせ屋をたつねわひつゝ
  八日 古川のもと尓半月といふ菓子をくるとて
 琴ならで君かひく手に久かたの
  雲の半の月をミるかな
 
●九日  伯家学士木村数馬来此人
   と伴て川原町二条下ル長州邸尓
   行 志道聞多ニ逢くれて
   同し人いせ屋へ来
●十日 黒谷素堂来夕かたより佐二郎
  太右衛門と共尓長藩時山直八ぬし
  を会し 婦人尓逢 平田若先生
  いせ久江来 明日の行幸拝ん
 
 
16     原本へ



 と亥はかり雨をしのきていつ
  主上を始め奉り 大将軍国もちの
  殿たちあまた加茂両社尓供奉
 車道とかいへる梶井の宮のまへ尓
 明るをまちてうつくまる
十一日猶ふりやます花やかなるいてましも
 かく雨の降りつゝきぬるそいとをしくなん
 弓矢もちたる殿人たち御先をは
 らハして関白殿ハ御騎馬にて雨
 にぬれ/\△とほらす●鳳輦を
  ●紫も朱もみとりも色はえてやまと錦の春に逢哉
 拝ミけるときハ 雨よりしけく
 なミたもおちて■平手うちツヽ
 ■人皆をろかむ尓
  かしこしとなへてをろかむ(かぬ人なき)泪
 かも(てう)雨と降けん(なりめ)けふのいてまし
十二日 風のこゝち(心地)にてふす
 
 
17     原本へ



十三日 平田翁ニ池村に(の家)て逢
 為伸と共ニ長藩 時山尓行入江九市郎逢 (付紙)入江九市ニ会見
十四日 北の平野の神尓詣て御室なる
 平田ぬしをとふ明日なんいてたゝんと
 ある尓
  庭のおも尓 さく藤浪のたちいつる
 君ハ 夏をもかけてあらなん
  此日 長門国
 
         広岡浪秀藤原
 を紹介す
 島原藩井上庄左エ門ニ逢左近衛大将ノこと
佐竹藩
 小川亀雄弐人 三木鉄弥ぬしハ在京也
十五日 楠の宮松尾をへて嵐山尓
 やと致し 西山わたり逍遥して
 あらし山尓ほはぬ雲にかけもれて
 花のあとゝふ春のよの月
 
 
18     原本へ



 土衛 大井川ゐせきのなミの立
 返り君か御幸尓あはんとやおもふ
十六日 臨川寺 天龍寺 野々宮 二尊院
 釈迦堂 広沢 御室 龍安寺
○等持院
   (上付欄外)等持院尓皆て足利三将をかまん
     とてゆく尓人なきかことくにて
     いたつら尓出て△
 △妙心寺を過てやとに帰
 平田の大人のきのふ立せけるなと
 きゝていと残り多し
 長世ぬしハ風の心地にて嵐山にも
 
 
 ゆかさりし
 おくれたりとて
 おくれつる心を空にかよハせて月と共尓
 や はしハ渡らん
●十七日 長門守様(との)大坂へ嶋津三郎ぬし
 出立 此島津ぬしは 十四日京
 着尓ありけるをことありとて
 国尓かへらすとなん
十八日 朝 三条川原へ坊主首
 
 
19     原本へ



二ツならへて 大悪也代天伐之
 天下義士とかすてられありとなん
    大逆
 天ニ代伐是也
 天下義士一ニ是ハ献毒之僧也とそ
 長藩明山氏をとふ市岡同伴
十九日 書とり同し所をとふ 長世下阪
廿日 いせ久ニ而終日遊一泊
 
 賎が家尓かへらんハをし内日(うちひ)刺(さす)
 宮古のはるのにしきかさして
廿一日井上嘉助より大宮人より恵
 まひける御肴也とておくりける尓
 さら月のかけは雲井尓とゝまりて
 落くる数のいをのさや(け)さ
 土衛  雲井よりたひへるはたの広
 ミのときけハ(尓うへる)ぬなわの長くわすれし
 
 
20     原本へ



廿一日 風の心ちにてふす人々御影供
 尓(しまハら)行
廿二日 石城一昨来りて終日物ら
 かたらふ  同しくふす
廿三日 けふもふす 竹村浪花より来
 やがて岩崎 北原 鶴田もく
 ミつ松原  うるし縣へ行
廿四日 けふも
廿五日 けふも 仙台水戸出立
廿六日 野村三治ノ宅尓のみ
 尓ゆく
  古川躬行か長世と共尓
  国にかえるといふ尓
 木曽ゆかはわかさゝのやの
 さゝふきに一夜ハやとれ露
 ふかくとも
 
 
21     原本へ



 返し      躬行
 露ならぬワか身なからも笹の屋の
 かりのやとり尓こゝろとまらん
          長世
 言の葉の露の光をよすかにて
 吾もやとらん笹ふけるヤ尓  なと唱ひける
 ため(土衛か)贈歌をきゝて 土衛
 家にあらハ置添へてた尓笹のはの
 さゝけき露もけ尓もらましを
   かへし      躬行
 君かもる玉笥のいひのたま/\尓
 わかとふものをにらすとそいふ
   かたはらに承りて 長世
 あらすとも君しとへかし垣にさく
 卯の花たにもあるしやハせぬ
            躬行
 
 
22     原本へ



卯のはなのうしともうしヤ杜宇(もりひさし)
 我ハ雲井尓すまぬものゆえ
   盛久の能を見て  躬行
 二度(ふたたび)ハしなぬいのちをものゝふの
 いまはのきはにおしむはかなさ
   御くちまねなから 長世
 いさきよくしぬへきものをさしも草
 さして仏をたのむをちなさ
   又念彼(ねんひ)観音力(かんのんりき)の文をきゝて
 いはけなき仏のうそや念彼たらハ
 ことわりたちて物ハいはましを
            躬行
 いつまてかしひことすゝむいつはりを
 たゝすのもりの神のますよ尓
   盛久にかはりて  土衛
 をしむとハ我ハなけれと段々壊(だんだんえ)
 
 
23     原本へ



をり尓あひたる御仏の慈悲
   かへし     ミゆき
 もとよりもむすはぬいとをほとけとて
 いまのうつゝ尓たのむはかなさ   (付箋)古川躬行 岩崎長世
   王照君をミて    長世
 影なれし半の月をたのますハ
 こしちの旅やいとゝうからむ
             躬行
 かきいたく片われ月のわれてよ尓
 すむともしらぬふるさとのうら
              土衛
 うハのそら尓まつる物と今ハたゝ
 おもひたのむのかりかねのこゑ
  なと人のうたふきゝて  秀のりも
 ことのはも通ハぬ国そかりかねの
 たよりまちつゝ数多(としハ)は経にけり
 
 
24     原本へ



 かへるさ 柳屋の別荘尓遊ふ
廿七日 小池屋敷吉岡美知を
 とふ尓去年の八月みま(か)りぬと
 きゝて
 しのひね尓我もなきけりほとゝきす
 ちりにし花のあとをとひ来て
 ふく風の音にもきかすはる花の
 君ハはかなく根尓かへるとは
  壬生のおとりを見て家尓
  かえる 夜 長世か甥也とて
 千代田源吉郎来 一橋家臣
 昨夜いせ久へたせ子来とて来
廿八(八)日 長世 森太郎 太衛門 貞造
 出立
 もろとも尓春のにしきをかさしても(ねツヽ)
 たちわかるゝハくるしかりけり
 
 
25     原本へ



 躬行主を白川はしの辺尓
 おくりて
 たまちはふ神や契りし白川の
 白しなかれ尓袖わかつとは
   権田       邦則
 
 
   権田 石城 邦則と共に
   霊山尓行て 水戸の臣の(有志の人々の)祭り
   しゝ所にて
 大君の辺尓さりまつれ武蔵野の
 露ときへにし霊のかす/\
    長門の臣の此ころ腹を切
    たりときゝし人々の墓ニ
    まうてゝ
 松浦冨三郎道一 中谷彪次郎源直彪
 
 
26     原本へ



勝木文三源久徴 楢崎仲輔源清武
 くれてたせこと共に時山尓
 ゆきて
 加茂川の水より深く大日吉の
 やまよりたかし君か恵ハ
   有志たちの歌よけれハ
 潜(ひそめ)りて草尓伏す身も久かたの
 雲尓ほこれる時をわれ見ん
 
    いけむらのあるしか
   かへし
 
  宇助清波か
 ほとときすなきていてつる今日よりハ
 
 
27     原本へ



森の梢のしたはれぬらん
   かへし
 郭公(ほとゝぎす) なきてわかるゝ けふよりハ
 雲井の空を ミてやしのはん
 
廿九日 とく立いてゝ五条の橋のうへ
 より大内をふし拝ミて
  たひ衣(ころも) 大君のへ尓 立かねて 重(かさね)し
 
 ものハ日数也けり
 東福寺をすきて いなり尓詣
 荷田大人のミはか尓詣て生
 藤社尓まうつ いにしへの
 うらふねのことともおもひ
 いてゝ いまのうつゝをいき
 とほりて
 わか国の神の気吹のかしこさも
 
 
28     原本へ



猶こそすまに よするうら舟
 左にをれて菟道の黄檗寺
 をよきりて 離宮大明神尓
 まうて 芝 扇の芝のむかし   かたり尓
 いかはかり 口惜(くちおし)かりけんとて
露むすふ扇の芝のしハ/\も
ぬるゝは人のたもと也けり
 うちより船尓のりて 伏見豊後
 
 はしを潜(くぐ)り美須ニ至乗替
 て狐渡り尓つく 八幡山尓
 まうてける尓行幸のよりひとて
 御道かり道共すりすとて賑ハし
 何事もむかし尓かへりていと/\めて
 たき御世なる尓わか身をくひて
○むら山のたてるハ中のをとこ山
 ワれハめゝしく何(のほるもおちなめゝしかる身ハ)うまれ兼
 
 
29     原本へ



はし本のしほや尓やとる
○卅日 淀 けふも乗りて浪花尓至
  柴田を訪て北福尓 酒のむ雨
●四月朔雨ふる 角の芝居見物 梅舎
●二日 雨ふる 中 の芝居  [多見三 莚三郎]
 三日 柴田翁 若と共尓高津生玉北向
  八幡宮尓詣て 清水 天王寺より西照庵
  ニ至 かへるに植谷兵助か宅ニ寄
 
 四日 稲荷 座摩ニ詣 東西本願寺の
  門を過て 御霊ニ詣[鎌倉権五郎 の霊とそ]
  天満宮ニ詣 東照宮ニ詣 御城の前を過
  て 帰る ■夕かた野之口千之助正武来
  ワかれの酒のミて
   君をけふみつのはまへに舟うけて
  かたらふひまも夏の夜の空
   かへし        正武
 
 
30     原本へ



夏のよそいとゝみしかき今日更尓
  君をハミつのうらのミるめも 又
              土衛
  うれし雲みるめかりけり渡辺や
  大江のきし尓浪まくらして
   かへし        正武
  ワかるとも忘れさらめや渡辺の
  大江のきしのむかし語(り)を
 
             たせこ
  よとゝもになからの川のなからへて
  君尓あふせをまちワたるなり
   かへし       正武
  なから川ながらへて我君またん
  日本魂をあらひ/\て
●五日 雨いミしうふれハけふもやとりて稲荷
 尓詣
 
 
31     原本へ



●六日 けふもふりぬれと かくてハあらし
  と 供尓立出て 今宮の恵比寿広田
  社尓詣て 天下茶屋是斎か家尓いこひ
  庭なと見て二三丁行左手尓御陵
  のかたしたるあり里人尓とへハ
  帝(テ)塚山となんといふ行て見るに
  御陵なるへし四吉の 右尓をレ
  土佐国守の陣屋きらひやか尓門なと
 
  構へたり こは一昨年   の頃出来
  ぬとそ住のえの神尓詣る頃雨いみ
  しうふりてはまへハ水たゝへ
  たりとて 不行 灘波屋のまつ
  をミて 妙国寺へハ人々をくれて
  門を過綱引天満宮尓詣て
  さつまヤ尓宿る
七日 道の右手尓方違の神社あり
 
 
32     原本へ



詣如何なる神を祭りけるにや物
 しる人尓たつねまほし石の
 玉垣広く作りてかりそめならす
 河内国嶋泉といふ所尓雄略天王
 の陵あり いと大きやうなる池の
 中尓嶋山あり 去年の師走十日
 頃戸田和三郎 今大和守 京都  (付箋)谷森直男ノ父
 谷森外記 副大沢要 など御陵
 
 調とて来りしより道に垣して
 直人は登りえす 池のこなた
 より伏拝ていとも/\かしこき
 共尓かへりたることをかしこみ/\も
 よろこびあへり 道明寺天満宮
 尓詣 藤井寺を過て誉田八幡宮
 尓詣 右のかた尓社あり其奥尓御陵
 物ふりてむかししのはるゝ此の御陵
 
 
33     原本へ



より山次き尓 松杉生茂りて今
  こし道にも御陵あり
  此神の御とく思ひたれと別
  神にや きかまほし古市の
  川舟にて渡る此ころの雨続にて
  水嵩増りたり 大黒村を過て
  壷井八幡宮の前にいこふ 是ハ
  義家朝臣 東夷征伐のをり
 
  弓もて巌を穿ち給へハ泉湧出
  たる壷尓入てこゝ尓投し給ひたる
  となん 遍法寺ハ義家朝臣を初
  三将軍の社あり 上太子といふ所
  尓聖徳太子の 御陵所なり此辺ニ
  用明天王 敏達天王 推古天皇
  光徳天王の御陵ありとそ聞ぬ
  れと え詣て侍らすいと口惜
 
 
34     原本へ



しきこと尓なん 春日の里尓腹あ
  しき人の家尓酒のむ 山田の
  里を過て 手向(峠)あり雨いさゝ
  かふり出しぬ 竹内の里 八幡宮ニ
  詣て当麻尓宿る
 八日 当麻寺を右尓をれて 染井寺
  を過て下田米屋尓いこひ 達摩寺
  より大和川を舟にて越 立田川
 
  の下流を越て 龍田の社に詣
  たせこと共尓町を西へ下りて
  立田川見尓ゆく いにしえのおも
  かけ見えていとゆかし
  此宮の 荒尓荒たるさまいと/\
  物くるし 信楽なる多羅尾某ハ
  うケ玉ハる所
  支配なりとかや 心なしといふ
  へきを 此頃より修理尓かゝ覧
 
 
35     原本へ



  とて十人あまり 歩の人いそし
  みあへりすへて寺はきらひ
  ヤかなる尓 神の社の淋たるハ
  むねつふるゝ心ちす 西の京
  の薬師の庭をすきて招提寺
  の門前にいたれと内にもい
  らす 足いとつかれたれと菅原
  の伏見の神に詣んとて行手
 
  尓大きなと池あり中尓御陵
 あり去ル三月廿九日に大御使たゝせ
 玉ふとそ蓬来山 垂仁天皇御陵[アリ いと大也]
 壱丁程西の方に安康天王の
 御陵なりといふ されと いとちいさ
 く ませハことに陵にや
 北の方廿丁ハかり山の上尓
 神皇后(功皇)皇の御陵あり[俗ニジン コブ山ト云]
 
 
36     原本へ



山の梺(ふもと)尓 御陵村 神野村二村
 ありとそ 日かたふきぬれハ
 えまうてゝ 蓬来村より
 はるか尓拝み奉る
 菅原天神宮ハ思ひしより小社
 にて いと力なし
 いにしへ尓心ひかれてのる駒の
 あゆミもおそき春の大和路(くめくる 国原)
 
 左か辻尓いてゝ 奈良のさと河内屋
  尓やとる 猿沢の池を前尓ミて
 月は画尓いりぬ いとけし
 きよけれハよもふけぬ
 菅原の神のほとりにて
 おもはぬは栄 おもふはおとろへて
 心つくしの神のいかきや
 
 
37     原本へ



九日 日和よのハ先うれしうて
  髪かきあけつゝさる沢のいけ
  うねめの宮 詣かけ柳 飛火野
 春日野 十三鐘 はしり本 大国 春日の
 鳥井ハ御普請なりて 色とりなとし
 けり 若宮 本宮へ詣 御修理中
 にて工なと帽子にてすミことす
 いと古代めきてたふとく見ゆ
 
  御仮宮ニ而御札 御供なといたゝき
 火打焼ニ腰打かけぬ 若草山の梺(ふもと)
 三笠 武蔵の茶店ニ酒のミて
 手向山八幡宮ニ詣 四月堂三月
 堂 二月堂 若狭井大仏
 尓詣て
  大仏見れハむかしそ 泪そこほれ
 ぬる 銭にもかもとおもひつゝけて
 
 
38     原本へ



興福寺の庭をすきてヤと尓帰
  春日明神 四社
 鹿島 香取 児屋祢命 仝后神
 おひとけの池のほとりをすきて
 市の本 柿本明神 業平明神    (上付欄外)櫟本
 尓詣て古の社尓詣 内山の         石上神社
 観音 池尓魚の遊ふをミる此魚       布留村
 の名を 馬魚といふこは 神武天王     石上村
 
  の御馬此所尓死して御精魚尓
  化したれ 草をくふといふに
 草を与ふれハ魚集りてくふ
 いとくあやし 野道を
 ゆきて 往来尓いつれハ鳥井
 あり 三丁西の方の奥まりたる
 所 三社あり 東向尓大和神社
 尓詣 林(ママ)名ハ新泉村といふ
 
 
39     原本へ



神領なし 十ヶ村氏神四月朔日
 御祭礼アりとそ
 祭神 右ニ大歳神中大国玉神左須勢
 理姫の神
 去年禁理より三十石奉納ニ
 なりしとそ 是ハ 大和七社之内
 三十石ツヽ 三輪 布留 新田 川合社 広瀬
 よしの郡 尓婦社 五十石春日社
 
  なりとそ 物かたりきゝける内
 日はおちぬ 夕かた辻村といふ
 所ニ至れハ 鳥居あり 穴師社
 とゑりし石たてり 遥に拝て
 くれて 三輪 竹田屋ニやとる
 十日 三輪社尓詣 亀吉浦吉にワかれ
  て耳なし山尓登り 山口神社ニ
  詣 天神宮とも[云小社なからコマ犬の 高さ壱丈弐尺程土台とも]
   (上付枠外)つまこひのむかしをとへと耳なしの
        山の山彦 こたへさりけりた尓せぬ
 
 
40     原本へ



○木原○石原△葛本△キタヒアケ○新賀
 △壺井△常盤△高さくち 今一村わすれ
   半分ハ■■ オフの宮  配札なし
  うねひ山の丑寅ニ当御陵あり
  文政ハ乙酉年 石玉垣願主
  大坂三上大助英時と云石立り
  石垣廻り八十五足  あヤまりて
  神武天王御陵と云 石立り
 
  御前に文化五年石とうたち有
  御陵の上ニ大松アリ
  此御陵より五六丁ハかり午未尓当
  神武天王 御陵在 御陵山ハいさゝ
  か墨木壱本残りて皆田畑
  となりぬるを 物識たちかれ
  これあけつらひてなけき来
  しを 戸田大和守の功にて
 
 
41     原本へ



公尓なり尓たれハ 三月末
  大御使たゝせ給ひしより矢来
  建廻して真砂蒔縄張して
  松の丸木の鳥居など建さ
  せられいとめてたき事と
  なり尓たるハ えもいひしらぬ
 めでたき事尓なん


  (上付枠外)耳なしの山ハしらしと畝火山
       神の香子山かたらひらしき
 
 
42     原本へ



堀深 壱丈弐尺
  広八間
  但丸石垣
 御陵 山本村
  畝火山の子丑
  のかた尓在
 字 つかねかさねミさんざん
 一字 ジムダ
 
  (上付欄外)耳成の山はミやひつ畝火山 雄々しく立ぬ天のかく山
      いつれにか つまためセし


 
かく山へ廿丁
 左の方へ当
 三輪へ二里
 ■寅のかた
 耳成山へ
 廿丁丑のかた


 
 
43     原本へ



里人 ウ子ピ スミテ云
   又ウ子ボ ニコリテ云
   又スミよし山
 こは峯尓住吉の神
 を祭る故なり
 とそ
 


 
 いにしへの神の御陵のうねほ山
 ほ尓あらハるゝ御代そかしこき(ときハきにけり)
 辰の方へさして廿丁ハかり香具山
 へ登りて
 のほりたち国見をすれハ国原
 ハ麦穂な(さなへ)ミよる天のかく山
 末はかり南都へ出てひるいくふ
 文珠堂
 
  (上付欄外)うねひ山御陵もいつの(神の御陵の)荒小田と(を)なりにてし
       よを今さら尓むかし尓かへす時ハ来尓けり
 
 
44     原本へ



 北のかた麓ニ天香具山神社
 あり 御山いと広し辛う
 して安部へ出 めしくふ
 文珠堂奥まりたる所より
 桜井へ出ル 是より追分へ半道
 はせ尓大鳥居あり 故をとへハ
 観音の 御脇立は 天照大神
 春日神を祭尓よりて鳥居
 
 ありとなん いとかしこし
 駕籠尓のりて よなはハりを
 経て はいハら油屋ニヤとる
  歩行(あるい)ても這いてもゆけぬはひ原ハ
 四ツ手の駕籠尓のるへかりけり
  (上付欄外) 萩原(ハイバラ)より一里半南ニ宇多郡宇多里在りとそ
十一日 伊賀越にや ゆかん 田丸にやいて
 んと いひあへれと いにしへ飛鳥
 のさとより大御神のいせに
 
 
45     原本へ



 いてましの道すからなれはとて
 右尓をれて 阿は弥尓いたり(てんとて)
 ゆくこむらの端川あり木津かハの上
 なりとそ壱里ほとゆきて赤羽根
 室生辻 宮の奥屋尓いこふ[左ニ室生 の道在]
 はせ屋より馬尓のり二軒茶屋に至[但赤羽根 三リと云所]
 [正シ二リ半 計]山坂こえツヽ冑岩ニ併し山粕村
 唐ものヤ 佐吉ニ昼いひくふ 桃の股 菅
 
 野なとへて神末(カウスへ)尓やとる
   (上付欄外)菅野の所の出口尓大神宮御手洗
       の水といふ立札ありいと心得ぬ事(いかなることにや)
 けふの道すからハ 山間二里ありて
 次の里へいつるには 峠をこへさるは
 なし 水清らかに風すゝしく
 木曽路をゆくにさも似たり
 今宵のやとりはいとよき所
 にて 西表尓河流れたり木津へ入る
 けふハ八幡行幸也と聞ける尓■■■
 
 
46     原本へ



 のひつれハ 四日 ほととぎすの初音を
 きゝて
   ほとときすその一(初)声を をとこ山
   けふいてましのみちすからなけ
  (上付欄外)此所毎年大御神へ
       供奉るとそ
十二日 神末より一里ハかり東尓(いしか原)姫岩明神
 あり 女石尓いとゆえありけ也 三国山
 左尓ミゆ 坂を下りていせの堺あり
 和ハ神末 いせハ 杉平 市志郡
 
 奥津村 宮城村(シロ川) 末ハ雲津へ出
 たげむら ひつ坂峠とにかきの堺尓
  「川上若宮八幡宮 丹生山」へワかるゝ立
 石あり にかき村より川添尓来
 て 大石(オイシ)まつや尓ヤとる家の前を
 川なかれてけしきよし鮎なと
 つりて 人々あそぶ 稲木川の上也
  (上付欄外)むかし宮木ハ此所より出たりヤ
十三日 此所を川に添て 東にゆく尓岩不動
 
 
47     原本へ



 の滝あり つるといふ所ニ而川をワたり
 おくかより人々尓先たちておくかを
 へて田丸尓いつ 宿間皆野原にて
 休らふ所もなし 川はた村 宮川
 をたつて山田堤せこ太田氏尓やとる
十四日 外宮尓詣て内宮ニ参入けふハ
 御衣の祭りとて ●長官(大宮司) 神ぬし 宮司
 たちかしこみ/\も御そ奉る
 
 大御使柳原中納言殿へ橋本少将殿
 藤浪三位殿内見尓参入らすを
 すきミしていとかしこし
十五日 御木引見尓宮川尓ゆきて頓而(やがて)
 河崎小川氏尓やとる
十六日 けふおなしやとり尓遊ふ[桧垣賢之助 度会常俊来ル]
十七日 けふも 人々朝熊山尓のほら
  んとてゆく尓雨ふり出しけれハとて
 
 
48     原本へ



 午過るころかえりく
十八日 桧垣ぬしと共尓二見へゆきて
  玉くしけ二見浦をふたとせに
 ふたゝひ見るそ嬉しかりける
 日高けれハこゝかしこ消(ママ)遥して
 雌雄の石をひろいて
 
 夷舟のよする料尓とて台場といふ
 もの 津の殿のつくらす所なと
 見て よふけぬれハ又うミ尓
 いてゝ月をみる
十九日 日の出拝んと朝またきより
 うミ尓出てみれと空うちくもり
 申しかひなし ぬれば
  いせのうらは真玉しら玉多
 
 
49     原本へ



 かれとまつかいもなき朝日かけ哉
 御塩殿 二宮ヲ祭る 高城のはま 台場を廻
 りて今一色村より舟尓のる 右に大湊
 神社村左ニ汐合浅間山を見ていと
 よきけしき也 田尻といふ所にて
 塩かまをみて 川崎小川尓帰
  (上付欄外)神社村ニ森ニ外宮持社御食神社
 いさや出たゝんとする尓
         あるし
 
 古郷ハ恋しくもあるか旅ころも
 つはめ残して君ハたちけり
   かへし
 川崎の小川のやとのすゝしさ尓
 たひの衣(ころも)もたちそかねつる
 未尓なん/\とする頃ミや川を         *未=午後二時
 わたり無宮のむかししのひつゝ孫川
 くし田川をワたり左尓をれて
 
 
50     原本へ



 山室山尓詣ころハ日もくれ蛍なと
 飛かふ道を かなたこなた尓さ
 まよひつゝ妙楽寺尓つやし 籠
 りて去年手向侍りし長歌
 を用共 いさゝか 人の筆かへたる
 まゝ尓又さら尓書改めて手向
 侍る
 
 父とゝ(秀のり)も尓御山尓こもり侍りて
             ミつこ
 手向つることのはくさもなつむしの
 うすをあつめて守る通夜かな
             たせ
 あしひきの山むろ山をなつかしミ
 なつ野わけいりてさゆりはな
 をりてそたむく文さし尓さゆり
 
 
51     原本へ



 ても来ん時をこそまて
    又
 千万の後もにほはんさくら花
 山むろ山のときハかきはに
廿日あるしの僧と 松阪新町へ桜宮の辺へ
  出 左尓をれて 大和屋 三木氏なと訪
 主しハ留主ニて不逢 立日月もと雲
 出川をへて 高茶屋ニ酒のむ 津ニ而
   (上付欄外)京ヤ棚杉ニ桜ニ伝馬丁袋元蒲広小路也
       日の光覆(おおう)大樹をこそにけて曇らぬいせ尓逢よしも哉
 
       正方寺御園伏見ニ桑名町長嶋長者本町としれ
       七間丁御服伊勢丁大川丁鍛冶ヤ久屋ニ武平丁有り
 市岡始尓おくれたる事をきゝて
 上のをへて 白子に宿
廿一日 玉垣ノ口戸へ寄 主人留守 神戸
   高岡川をへて汐はまへ 西岸寺
 浄福寺ニ[はしだ主し 庄屋加藤]なと左に見る追分
 日永はし   ■■■
  四日市 噎 冨田 朝明川 安永
  まちや川おふけをへて桑名より
 七ツ半舟出   夜五ツ頃
  川舟ニのり佐屋恵比寿ヤ藤八
 
 
52     原本へ



廿二日 津島の宮に詣 勝幡より人々尓おくれ夕かた
 ナコヤ
  岩井仮住ゐをとふくれて御園○文ニ森助ニ逢
  て 大つ町にやとる  朝加藤五左エ門 宗之助を訪
 廿三日 熱田宮尓詣て 白又ニやとる
 廿四日 御園丸文ニ森助を訪
 廿五日 かち川をかち渡りして内津ニヤとる
 廿六日 多知見ニ酒のミて神篦ニやとる
 廿七日 家尓かへる
 
 
 
        (了)