那須町の見どころ

那須温泉郷
 那須温泉郷は、今から約1390年前の舒明二年、狩野三郎行広の鹿の湯発見に始まり、明治以前に板室、三斗小屋、大丸、北、弁天、高雄と次々に温泉が発見され、これを那須七湯といい、すでに江戸時代には世に知られていました。
「那須町観光協会オフィシャル宿泊予約サイト 那須温泉郷の温泉と歴史」で続きを読む

殺生石
 殺生石は、那須岳の麓那須温泉神社本殿より北に200メートル湯本温泉街湯川に沿った駐車場の奥、硫黄のにおいがただよう荒涼とした所にある。昔から「白面金毛九尾の狐」にまつわる伝説上の名所旧跡であり、全国的に知られている。
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奥の細道
 元禄2(1689)年、松尾芭蕉が奥の細道の途上で那須町に立ち寄り、湯本の温泉神社と殺生石、芦野の遊行柳でそれぞれ句を詠んでいる。昔から歌枕にもなる名所であった遊行柳は、芭蕉が『田一枚植えて立ち去る柳かな』と詠み、一躍有名になった。
「芭蕉と歩く芦野の里ガイドマップ 芭蕉と歩く芦野の里」で続きを読む

那須御用邸
 那須御用邸は、当時皇太子殿下であった昭和天皇の御成婚後の御静養の場として大正15年に設置されたものであり、天皇皇后両陛下、皇太子御一家が御静養の場として使用されている。
「日光国立公園那須平成の森 那須平成の森について」で続きを読む

レジャー
 那須温泉に関わりのあるゴルフ場としては、那須ゴルフ倶楽部がある。昭和11年開場。那須のスキーは、大正14年(1925)のシーズンに開拓された。明治後半頃、温泉街の娯楽施設として公園が整備された。湖月園(こげつえん)・占勝園(せんしょうえん)・東公園(とうこうえん)があったが、現在はいずれも閉園となっている。
那須町教育委員会『那須温泉史』(2005)より転載