明治18年(1885)に開通した那須疏水は、その後川の流れの変化や、洪水時の砂利の流入・取入口上部の崖くずれ等により取入口トンネルがふさがれるなどし、通水不能になることが少なくなかった。
そこで取入口の変更が取り沙汰されるようになり、組合では明治34年になって取入口変更の工事設計をすべく、技手の派遣を県に要請した。技手による設計によると、百数十mほど上流部に新たに取入口を設置し、低い段丘に百数十mの水路(導水路)を開き、その下流部に水門(西水門)を設け、百数十mのトンネルを掘って、旧来のトンネルにつなげるというものであった。
この工事には多大な資金を要するが、組合では東北本線を経営する日本鉄道株式会社にその大半の2万円の資金提供を要請した。日本鉄道では、これに応じた。なぜ日本鉄道でこの大金を支出したかというと、当時黒磯駅や西那須野駅では大量の水を必要としていたが、その水は那須疏水の水を利用していた。そのため、要請に応じたものである。
こうして明治36年(1903)9月に着工し、同38年(1905)6月に完成した(11月8日に開通式)。新しい取入口は(第二次取入口)、右岸近くにあった巨石(長経約7m)が利用された。
工費は2万4150円であった。組合では2万円を資金提供をした日本鉄道株式会社に感謝し、明治38年6月、「那須疏水渠口改築記」と題する記念碑を水門近くの石垣にはめ込んだ。
[『那須疏水』・『那須疏水百年史』]
昭和46年(1971)の第二次取入口やや下流部の施設 〔昭和46.12〕
那須疏水の取入口周辺略図
第二次取入口からの導水路 〔昭和49〕
※西岩崎頭首工(第四次取入口)工事に先立ち仮水路として利用するために整備中(この少し前まではシノが密生し人が入れないような状況だった)。
導水路末端と西水門 〔昭和49〕
※仮水路として使用するために整備中
仮水路として使用中の第二次取入口 〔昭和50.1〕
仮水路として使用中の第二次取入口 〔昭和50.1〕
※上流側から
仮水路として使用中の導水路 〔昭和50.1〕
※両岸は蛇籠で補強された。
仮水路として使用中の西水門 〔昭和50.1〕
仮水路としての役目を終えた導水路 〔昭和51〕
※昭和51年(1976) 4月、新しい取入口(西岩崎頭首工、第四次取入口)が完成し、仮水路は役目を終えた。
第二次取入口わきに横たわる水量調整施設〔昭和62.8〕
平成9年(1997)の第二次取入口 〔平成9.6〕
公園整備にあわせて整備された第二次取入口近く〔平成12.5〕
公園整備にあわせて整備された導水路末端部 〔平成12.5〕
平成8年(1996)の第二次取入口 〔平成8.7〕
公園整備にあわせて整備された第二次取入口下流〔平成12.5〕
公園整備にあわせて整備された導水路 〔平成12.4〕
公園整備にあわせて整備された西水門のあたり〔平成12.5〕