(1)岩崎隧道(ずいどう)(一番隧道・東隧道)出口 ※那須塩原市西岩崎

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 那須疏水の最初の(第一次)取入口は、絶壁の下にトンネル(隧道)を掘ったものであった。百数十m下流で西岩崎の河岸段丘に上がって開渠(上があいている水路)となるが、その辺は深い堀割となっている。
 このトンネルは岩崎隧道もしくは一番隧道と呼ばれ、明治19年(1886)当時の資料では長さが73間(約132.7m)となっている。隧道は切石を五角形に組んだもので、幅が約161cm高さが約167cmであった。
 開通当時、水を止めたり調整したりする水門はトンネルの出口にあって、取入口には五角形のトンネルがあるのみで石垣もなかったようである。
 前記のように明治39年(1906)に予備の水門として石垣が積まれ、昭和3年(1928)になって出口にあった水門を取入口に移し、この水門や管理する人を崖崩れから守るためにアーチの石積みが行なわれた。
 岩崎隧道を出た水路は、二百数十m下流でトンネル(亀山隧道)に入る。亀山隧道(二番~四番隧道)の長さは、開通当時の資料では約921.7mで、那須疏水の工事で最も大変な所であった。 [『那須疏水百年史』ほか]

改修前の岩崎隧道(一番隧道)出口のあたり
改修前の岩崎隧道(一番隧道)出口のあたり 〔昭和48.7〕
 ※隧道上から下流方向
改修前の岩崎隧道(一番隧道)出口と下流部
改修前の岩崎隧道(一番隧道)出口と下流部 〔昭和48.12〕

 岩崎隧道と亀山隧道の間の水路は、開通当時の資料では約267m。大半が深い掘割となっており、やや下流部に疏水橋がかかる。
 ※岩崎隧道は平成29年(2017)に国の重要文化財に追加指定された際、「東隧道」と名付けられた。
 ※岩崎隧道は、那須塩原市西岩崎にある西岩崎は、明治12年(1879)まで岩崎村と呼ばれ、同年に西岩崎村と改称された。そのため、西岩崎は単に「岩崎」とも呼ばれた。

改修前の岩崎隧道(一番隧道)出口
改修前の岩崎隧道(一番隧道)出口 〔昭和48.12〕
 ※出口上部にはケンチ石による石垣があり、水路の両岸にもケンチ石が積まれていた。
 ※出口石垣上部の段には水門跡があった。
昭和49年(1974)の岩崎隧道
昭和49年(1974)の岩崎隧道(一番隧道)出口のあたり 〔昭和49.5〕
 ※隧道上から下流方向

・左の写真は、隧道出口のあたりは未改修で、すぐ下流部は総合開発事業の一環としてコンクリート化されている。
・古い水路と新しい水路の幅の違いがわかる。
・「岩崎第一号開渠水路」の改修は、『那須疏水百年史』に「昭和48年3月」となっているが、筆者撮影の何枚かの写真を見る限り、昭和49年と考えられる。

平成6年(1994)の岩崎隧道
平成6年(1994)の岩崎隧道(一番隧道)出口とその下流部〔平成6.5〕 平成12年(2000)の岩崎隧道
平成12年(2000)の岩崎隧道(一番隧道)出口とその下流部〔平成12.4.25〕
疏水橋・亀山隧道周辺略図
疏水橋・亀山隧道周辺略図
 〔『那須野ヶ原の疏水を歩く』〕
平成24年(2012)の岩崎隧道
平成24年(2012)の岩崎隧道(一番隧道)出口とその下流部〔平成24.4.29〕