明治18年(1885)、西岩崎集落のすぐ南側に那須疏水が開かれた。ここには集落南側の畑や他の集落、あるいは草刈りに行く際に通る道があったようである。
それが広い水路ができたことにより分断される形となるが、那須疏水関係者は当然ここに橋をかけた。
ただこの橋は簡単な橋で(恐らくは丸太を並べてそこに板をはったものと推定される)、傷みも早い。
そんな折り、明治38年(1905)には取入口が変更されることになり、水路やトンネルに大量の石材が使用された。
これにあわせて石材を調達し、この橋を架け替えることになった。恐らくは西岩崎の人々の強い要望があったと思われるが、ことのほか西岩崎の人々に世話になっている疏水関係者もこれに応えたのであろう。
橋は切石をアーチ形に組んだ永久橋で、疏水橋と名付けられた。アーチ形が水面に映るとメガネのように見えるので「めがね橋」とも呼ばれた。
この橋の開通を記念して、明治38年11月に「疏水橋之記」と題する記念碑が建立された。 [『那須疏水百年史』]
昭和46(1971)の疏水橋 ※下流側から 〔昭和46.12〕
昭和48(1973)の疏水橋 ※上流側から 〔昭和48.12〕
※上流側はコンクリートによって拡幅されている
平成5年(1993)の疏水橋 ※下流側 〔平成5.8〕
・疏水橋は、長さ13.1m、幅3.2mで、県内の石造アーチ橋では最古という。 [「那須エクスカーション資料集」]
県道のつけかえ工事中の疏水橋 ※上流側 〔平成6.4〕
県道のつけかえ工事完成後の疏水橋 ※上流側 〔平成7.10〕
疏水橋はいつの頃か、那須温泉と塩原方面を結ぶ県道として利用されるようになった(通袮「横断道路」、現在「主要地方道矢板那須線」)。
しかし県道としては橋が大変狭く、いつの頃か橋を拡幅した。具体的には、上流側に1.7mほどコンクリートで広げた。
しかしそれでも橋の部分は狭く、大型トラックと普通乗用車がすれ違うことができないほどたった。そのため平成7年(1995)になって、疏水橋のすぐ下流部に新しい橋がかけられた。
なお新しい橋は、「疏水橋・そすい橋」と名付けられた。元々の橋と同名にしたのは、混同を招くため残念なことであった。
新しい橋ができたことにより、従来の疏水橋は拡幅したコンクリートの部分を撤去し、明治38年(1905)当時の姿がよみがえった。もっとも欄干は、新しく鉄製のものが設置された。
新しい橋が完成後の疏水橋 ※下流側 〔平成8.5〕
復元された疏水橋 〔平成18.4〕
※欄干は復元時に設置
疏水橋の下部 〔平成3.9〕
疏水橋の上部 ※主要地方道として使用中 〔平成6.7〕
疏水橋の説明板 〔平成19.4〕
平成18年(2006)の疏水橋 ※上流側 〔平成18.4〕
平成22年(2010)の疏水橋 ※下流側 〔平成22.4〕
新しい橋が完成して間もない頃の那須疏水と西岩崎の里 〔平成8.10〕
・那須高原大橋は、主要地方道矢板那須線の路線変更にともない平成6年(1994)11月7日に開通。
疏水橋と那須高原大橋(うしろの赤い橋) 〔平成18.4〕
「疏水橋之碑」と疏水橋の親柱 〔平成14.6〕