亀山から東原の第一分水口までは、亀山の河岸段丘から那須野ヶ原の台地に上がる所で、ところどころに深い掘割が見られる。
なお亀山隧道出口から第一分水口の間の一部は、江戸時代初期に開かれ、まもなく廃絶された大規模用水の長島堀跡が利用されたようである。
[『那須野ヶ原の疏水を歩く』]
亀山隧道を出て間もない本幹水路(亀山)〔平成12.5〕
亀山隧道出口~「亀山道」間の本幹水路(亀山)〔平成12.5〕
「亀山道」やや上流部の本幹水路(亀山)〔平成8.5〕
「亀山道」~「文化人村」間の本幹水路 〔昭和50.4〕
「文化人村」別荘地近くの本幹水路(小結)〔平成12.5〕
「境橋」やや上流部の本幹水路(小結)〔平成12.5〕
「境橋」あたりの本幹水路(小結)〔平成12.5〕
「境橋」下流部の本幹水路(小結)〔平成5.5〕
「境橋」(小結)〔平成12.5〕
第一分水口上流部の本幹水路(小結)〔平成8.5〕
第一分水口上流部の本幹水路(東原)〔平成22.5〕
第一分水口すぐ上流部の本幹水路(東原)〔平成8.5〕
黒磯上水道の取水ロ 〔平成5.6〕
※第一分水口すぐ上流部(東原)
※黒磯上水道は、昭和9年(1934)に栃木県3番目の上水道として完成した。当初は、那須疏水第一分水から取水していた。