改修工事が始まった本幹水路 〔昭和46〕
改修工事後の本幹水路 〔昭和60〕
箕輪は、江戸時代以前に開けた集落(いわゆる「旧村」)である。
那須疏水本幹水路のほぼ中間に位置し、近くに熊川、少し南方に蛇尾川が流れる。那須疏水は、この二つの川を「伏越(ふせこし)」と呼ばれるトンネルで横切ったが、その工事は非常に大変なものであった。
そこで箕輪には、土木局の出張所が設けられた。
「伏越」工事は、大分県・山口県から招いた石工集団(約30人)があたったが、その人たちは箕輪の農家に宿泊していた。
また伏越工事には、多数の囚人が使われた。その総計は、4,943人で、一日あたりでは最多で134人であった。この囚人も、箕輪の農家の納屋などに分宿していた。
もっとも石の切り出しは板室温泉近辺で行なわれ、近くの百村の農家にも囚人が分宿していた。
[『那須疏水百年史』]
※囚人が多い時には、箕輪・百村以外の集落にも分宿していた可能性がある。
東那須野上水道の取水口付近の本幹水路 〔昭和60〕
※鹿野崎(かのさき)用水路は、那須野ヶ原総合開発で新しく開かれた水路。ほとんどすべてが暗渠水路。
鹿野崎用水路の取水口付近の本幹水路 〔平成29.5〕
熊川サイホンに向けて深く掘られた本幹水路 〔平成17.5〕
熊川サイホン入口 〔昭和60〕
熊川サイホン出口 〔平成8.5〕
熊川サイホン出口下流部の本幹水路 〔平成8.5〕
高林街道・巻川用水横断地点の本幹水路 〔平成8.7〕
改修工事が始まった高林街道上流部の本幹水路 〔昭和47.11〕
改修工事後の高林街道上流部の本幹水路 〔平成2.10〕
高林街道下流部の本幹水路 〔平成18.4〕