(3)洪水による蛇尾川伏越の露出と撤去・復元

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 平成10年(1998)8月末、那須地区北部に数十年に一度の豪雨があり、那須町や周辺地区にも極めて大きな被害をもたらした(那須水害)。
 この洪水の際、蛇尾川にも大水が出たが、蛇尾川伏越の出口近くが深くえぐられ、ふだんは蛇尾川河床の砂利の中にある伏越の一部が露出した。
 この情報を得た筆者は、10月中旬に行って写真を撮ったり状況を観察したりした。そして翌年1月末に再び行ってみると、業者が撤去工事を行なっていた。
 これにより、切石で組んだ五角形の水路の中はコンクリートでふさがれていることがわかった。新しい水路を造った後、不要になり、かつ河川の管理からコンクリ一卜を埋め込んだものと思われる。
 あくまで出口近くの一部に過ぎないが、出口近くの構造がわかったことは幸いであった。
 なお、この時に引き上げられた石材を利用して、近くに伏越の一部が復元された。

那須水害で破損した蛇尾川右岸の護岸
那須水害で破損した蛇尾川右岸の護岸(上横林)〔平成10.11〕 ※那須疏水蛇尾川サイホン下流部
那須水害で大きく削られた蛇尾川伏越出口上部の堤防
那須水害で大きく削られた蛇尾川伏越出口上部の堤防 〔平成10.11〕
平成5年(1993)の疏水橋
那須水害で露出した蛇尾川伏越の一部(左やや下)〔平成10.11〕
 ※五角形の水路(隧道)の屋根上部(合掌石)とおおいの玉石の一部
那須水害で露出した蛇尾川伏越の一部
那須水害で露出した蛇尾川伏越の一部(上横林)〔平成10.11〕
 ※前ページの写真と同じ所
那須水害で露出した蛇尾川伏越の「おおい石」
那須水害で露出した蛇尾川伏越の「おおい石」(仮称)〔平成10.11〕

・「おおい石」は正式名称不詳。石組みのトンネル(伏越)を洪水から守るために、玉石を並べておおい保護したもの。
・露出した「おおい石」を見ると、どの石もつなぎ目あたりがっまっ白になっていた。
・伏越工事にはイオウがたくさん使用されたが、この玉石のつなぎ目にもイオウが使われたのかも知れない。

同上 ※ヨコ
同上 ※ヨコ 〔同〕
合掌石上部(右)と「おおい石」
合掌石上部(右)と「おおい石」〔平成10.11〕
蛇尾川伏越の石材撤去工事(上横林)
蛇尾川伏越の石材撤去工事(上横林)〔平成12.1〕
 ※掘り出された石材

蛇尾川伏越の石材撤去工事
蛇尾川伏越の石材撤去工事 〔平成12.1〕
 ※石材の内部(水路部分)はコンクリートでふさがれていた

蛇尾川伏越の石材撤去工事
蛇尾川伏越の石材撤去工事 〔平成12.1〕
撤去される石材(右)と水路に注入されたコンクリート
撤去される石材(右)と水路に注入されたコンクリート 〔平成12.1〕
復元された蛇尾川伏越
復元された蛇尾川伏越 ※上横林の蛇尾川伏越出口近く 〔平成19.10〕
 

サイホンの原理は応用されていない「蛇尾川伏越」


 一般に蛇尾川伏越は、サイホンの原理が応用されている、と言われる。そして『那須疏水百年史』には、図入りで説明されている(この部分の執筆は筆者)。 しかし実際は、応用されてないのでないかと思われる。
その理由は、
 ①現地をよく観察すると、入口・出口とも深い堀割となっており、サイホンの原理を応用した際の堀割にそぐわない。
 ②使用中の出口の写真を見ると、自然流下の流れと同じである。
 ③断水の際に伏越の中を通り抜けた人(品川弥三氏)の話によると、出口近くはほとんと上向きになってなかった、と言う。
 ④平成10年(1998)の那須水害の際に、蛇尾川伏越の出口近くがえぐられて露出した。その際、筆者は2度行ってつぶさに観察したが、出口近くの水路はほとんど水平で、サイホンの原理を応用した構造とは思われなかった。
等々である。なお筆者は前々から疑問に思っていたが、露出した状況を見て疑問が確信に変わった。

撤去される石材(右)と水路に注入されたコンクリート
露出した蛇尾川伏越の出口近く 〔平成10.11〕