黒磯駅周辺には、毛利(豊浦)農場と呼ばれる大農煬(906町歩)があった。東北本線をはさむ広範囲に及び、かつては全域が豊浦(大字豊浦)という、地名であった。
「豊浦」はほぼ東北本線(正確には原街道)を境に、上豊浦・下豊浦と通称された。
東北本線以西の上豊浦地区は市街化が進み、住居表示による新しい町名が多数成立した(一部に「豊浦」という町名が残っている)。
共墾社は士族授産にかかわる農場で、「共墾社」と「共墾社1丁目」という町名となっている。
改修前の第一分水 ※現、阿波町のあたり 〔昭和49.5〕
改修前の第一分水 ※現、阿波町のあたり 〔昭和49.5〕
改修前の第一分水 〔昭和53.7〕
フタがかけられ歩道となった第一分水 ※現、清住町 〔平成5.8〕
市街地を流れる第一分水の支線 ※末広町 〔平成13.4〕
第一分水沿いには、一部を除いて道路がある。開削工事や管理上からできた道路と思われる。
この道路は今でも重要な存在となっているが、板室街道と旧国道4号の間は市街化に伴ってより重要な道路となっている、そのため拡幅され、第一分水にはフタがかけられて歩道となっている、そして道路名は、「分水通り」となっている。
改修前の第一分水共墾社堀 ※現、共墾社一丁目 〔昭和50〕