「那須疏水」は明治18年(1885)に開かれ、那須野ヶ原の開拓を強力に推進した大用水で、那須地区では言うまでもなく栃木県の歴史の中でも主要な事項となっております。その「肩書」はたくさんありますが、主なものだけでも表紙の上部に記した5つがあります。また小学校社会科教科書にも載るなど、この分野では全国的にも知られた存在となっております。那須疏水を扱った文献・論文は枚挙に暇ありませんが、主な文献だけでも下記のようなものがあります。
◎那須疏水を主としたもの
◇『那須疏水』(田島董編、昭和31年、那須疏水土地改良区発行) ◇『那須疏水における開田と水利慣行』(農林省関東東山農業試験場、昭和36年) ◇『那須疏水の水利秩序の形成と農業経営』(農林省農事試験場、昭和42年) ◇『那須疏水百年史』(同編さん委員会、昭和60年、那須疏水土地改良区) ◇『那須疏水写真百年史』(昭和60年、那須野ヶ原開拓史研究会編・発行)
◎那須疏水が多く扱われたもの
◇『那須開墾誌』(矢板武、大正15年) ◇『西那須野町史』(同編纂委員会、昭和38年、西那須野町) ◇『栃木県史』史料編近現代五(同編さん委員会、昭和50年、栃木県) ◇『黒磯市誌』(同編さん委員会、昭和50年、黒磯市) ◇『印南丈作・矢板武=那須野が原開拓先駆者の生涯=』(西那須野開拓百年記念事業推進委員会、昭和56年、西那須野町) ◇『栃木県史』通史編8(同編さん委員会、昭和59年、栃木県) ◇『明治の開拓と那須疏水』(昭和60年、西那須野町郷土資料館編・発行) ◇『那須野ヶ原の疏水を歩く』(黒磯の昔をたずねる会、平成9年、随想舎) ◇『西那須野町の開拓史』(西那須野町史編さん委員会、平成12年、西那須野町) ◇『近代を拓く』(平成16年、那須野が原博物館編・発行) ◇『近代を潤す 三大疏水と国家プロジェクト安積疏水・那須疏水・琵琶湖疏水』(平成21年、那須野が原博物館編・発行)
◎小説・戯曲など
◇『小説水』 (栗山瀞子、昭和34年、仁書院) ◇戯曲「水に憑かれた男|(松本優、昭和39年)※40数枚の物語り風の絵(草野栄龍画)からなる「那須疏水郷土史話」に「那須野の水」がある
那須疏水関係の写真は、那須野が原博物館で相当収集し、那須野ヶ原総合開発水管理センターには総合開発事業に伴う写真アルバムが数百冊あり、この中には改修直前の状況を写した貴重な写真が多数あるものと推定されます。
こんな中で、個人撮影の写真集など発刊する意味があるのか、といぶかしく思う人も少なくないことでしょうし、自分自身でもこれを感じない訳ではありません。実は3~4か月前までは、自分でも全く考えていませんでした。
ところで私は、大学時代から「将来『那須野ヶ原開拓史』を書こう」という夢をもっていましたが、年齢を重ねるにつれ「集大成の大事業として『那須野ヶ原開拓史』の発刊を実現させよう」と強く思うようになりました。昨年10月、自分の住む地域(那須塩原駅周辺地区)についての本を発刊し、開拓史・湧水関係を除いて「やるべきことをやった」という心境となりました。そこで本年(平成30年)1月、いよいよ『那須野ヶ原開拓史』の執筆・編集に取りかかりました。
個人で行なうには余りにも大きな事業ではありますが、「3年計画で自分なりにやれる範囲でやってみよう」、という固い決意でこれに着手しました。ところが着手して間もない本年5月末になって体調が悪化し、実現が危ぶまれる状況におちいり、最終的に断念することになりました。これまで個人としてはかなり膨大な文献・資料・写真や、調査・聞き取りメモ等を収集していただけに、極めて残念に思いましたが何とも止むを得ないことでした。
そこで、以前から少しずつ進めていた諸々の資料の整理に本格的に着手し、写真は項目ごとにアルバムに整理しました(未完)。その中で那須疏水関係の筆者撮影の写真が、多数(約3,000枚、昭和41年~平成30年)あることを改めて認識しました。これらの写真の一部は、これまでにいろいろな本に掲載してきましたが、枚数は限られ、カラー撮影のものも多くは白黒で、またサイズも小さくて訴える力が弱いものが多くあります。
そこで主なものを選んで場所や路線ごとに編集し、カラーで大きめに印刷すればわかりやすくかつ訴える力も大きいものになると考えました。また本にすることによって整理した形で後世に伝えることもでき、手間暇・経費をかけてきた写真も活かされると思うようになりました。それに加えて那須疏水だけの写真集の編集なら期間も短くて済み、何とか体力がもちそうなので、7月になってこの発行を決意し編集に踏み切りました。
もちろん最初から写真集の発行を考えて計画的に撮ったものではなく、撮影枚数も地域的に大きな偏りがあります。また昭和40年代など、「なぜあの時に撮っておかなかったのだ」と今になって後悔しています。したがって、全体的にみれば断片的な写真に過ぎません。それでも手前味噌ながら、中には貴重な写真が含まれているように思われます。
ところで私と那須疏水とのかかわりは、下記のようでした。私が高校3年だった昭和37年(1962)12月、朝日新聞栃木版に「老体にもめげず町史完成 西那須野町」と題し、中心執筆者の田島董氏(元西那須野町長)を大きく扱った記事が掲載されました。「将来、趣味として郷土史研究をやろう」と決意して間もない私は、早速ハガキで連絡をした上で田島氏宅(西那須野町二区)を訪ねました。温和なクリスチャンである田島氏は開拓や那須疏水について丁寧に話して下さった上、帰りには『那須疏水』という本を戴きました。『西那須野町史』は翌38年に発刊しましたが(頒布第1号は私)、これらを読んでいる間に那須野ヶ原の開拓に強い関心をもつようになり、自然にこれを卒論のテーマとしました。
卒論の際は文献中心で現地調査はあまりできませんでしたが、昭和45年(1970)には『黒磯市誌』編さん専門委員となり、かなり本格的に那須疏水を含む開拓史に打ち込みました。昭和50年代後半には『那須疏水百年史』編さん専門委員として研究を深め、その後編集の『那須疏水写真百年史』にも深くかかわるようになりました。
その後も『那須野ヶ原の疏水を歩く』・『西那須野町の開拓史』等の執筆・編集や、「栃木県の近代化遺産」にかかわる調査、国指定にかかわる調査に協力する機会等々があり、加えて平成17年(2005)からは県の文化財保護指導委員として毎月パトロールをするなど、ずっと那須疏水と深くかかわってきました。そんなこともあって、写真を撮る機会にある程度恵まれました。今回、思わぬ形で那須疏水の写真集を発刊すことになり、感無量と言ったところです。
最後に、これまで那須疏水や開拓史全般についていろいろご指導・ご協力をいただいた多くの方々に厚く御礼を申し上げるとともに、長年にわたる郷土史研究・写真撮影・自費出版等に深い理解を示し陰の力となってくれた妻の美智子、そしていつもいい本づくりにご尽力されている松井ピ・テ・オ・印刷様に深く感謝致します。