まえがき

 二人の娘も成人し、ほっとして来し方を振り返る時、出生地で過した日々がなつかしく憶い出されてなりません。私の小学生の頃、つまり昭和初期の中村(練馬区)は、ひろびろと広がる田圃や、大根畑のあちこちに、高い屋敷林に囲まれた萱ぶきの家が点在する農村でした。
 しかし、戦後の中村は、すさまじい程に都市化が進み、屋敷林の欅の大木も次々と切り倒され、平家螢の飛びかっていた小川も、下水溝となり果てゝ、地中にかくされてしまいました。そして、江戸時代から農家に受け継がれて来た年中行事も、戦後すっかり影をひそめてしまいました。これも亦、いずれそのうちに、忘却の闇の中に埋められてしまうのだと思います時、誰かが、今のうちに書き止めて置かねばと考えるようになりました。
 月日を経て、とかく薄れ勝ちな憶い出でしたが、南蔵院さんや、星川節子さんのご協力を頂き、兄妹、従兄弟たちの助言を得て、何とかまとめる事が出来ました。
 まことに拙い筆ですが、中村のむかしが少しでもお伝え出来ましたら嬉しいと存じます。
    昭和五十一年五月
                         菅原シゲ子