新しく年が明けると、家長の仕事は先ず神仏への奉仕から始められます。一番はじめに若水を汲んで、神仏用の雑煮を作らねばなりません。囲炉裏に鉄鍋をかけ、馴れない手つきで茹でた八ツ頭や、ほうれん草を入れて作ります。出来上った雑煮は、曲げ物とまではいかないけれど、暮のうちに中新井の荒物屋で買って置いた雑器の一方の輪に餅を、他の一方に八ツ頭を入れて、神仏の数だけ用意します。お神酒徳利や灯明や、おすわり(供え餅)と一緒に、火打石でカチカチ清めてから供えるのです。仏様をはじめ座敷の棚のおゑびす様、大黒様、大神宮様、床の間の御嶽様や豊受大神宮様、へっつい(かまど)の上の荒神様、庭先の祠の三っ峰様、竹藪の隅の稲荷様、井戸神様、臼の神様、こうか(便所)の神様、そして年神様だと思うのだけれど、門松の芯にも落ちないように気を配りながら、雑煮や飯を供えます。これはすべて女の人の手を借りてはいけません。正月三ヶ日、家長みずから朝夕勤めなければならないのです。でも子供達は例外で、よく手伝ったものでした。夕暮れ時の竹藪は唯サヤサヤと葉ずれたけが聞えて、お灯明を持って竹藪を行くのはとても淋しく、祠の西側にある深い生簀でドボンと水音がしたりすると、狐に化かされるのではないかと本気で心配したものです。
又、正月の三ケ日は掃除をしてはいけません。でも炬燵のまわり等は密柑や、南京豆の皮で散らかってしまいますが、そんな時は、掃き寄せたゴミを三ケ日の間捨てないでとって置くのです。もし捨てたりすると、家の中の福の神まで外に出してしまうからなのだそうです。