強い南風が麦畑の土埃を舞いあげ、床もの(胡瓜、茄子等の温床)のムイカラの囲いの上に広がる空一面を、まっかにする春一番が吹きぬけると、そろそろこぶしの花も咲き始めお彼岸がやって来ます。
入りの日、前日から、父親が青竹を切って作って置いた花立ての束や、沈丁花、しきみの小枝、半紙にくるんだおさんご、一升瓶に入れた井戸水を持って墓参りに行くのです、お寺にも水はあるけれと、ご先祖様もお飲みになった吾が家の水も供えたいのです。何時も畑仕事や、家事労働で忙しい母親と一緒の外出は、一年中数えて見ても何回もありません。南蔵院のエンマ堂で赤鬼、青鬼、秤に乗っている人の首や、嘘をついて舌を抜かれ、白綿を頭から冠って坐っている婆さんや、いかめしいエンマ大王を見るのも楽しいけれど、一番嬉しいのは母観と連れ立って歩くことなのです。
彼岸の一週間は、ぽつりぽつりと墓参りの客が来ますが、その度毎に、母親は忙しい仕事のやり繰りを考えながらも、お愛想よく客と共に墓参に行くのです。大人がどうしても行けない時は、子供達がついて行くので、中日なんぞは何回となく墓参りをしてしまいます。
墓地の入口近くの道端には、六地蔵様があって、それぞれに一っ身の着物や、赤ちゃんの帽子、頭巾を冠っておられました。それは色褪せた浴衣であったり、未だ紅の色も鮮やかな綿入れであったりしました。これは可愛いゝ幼な子が、あの世とやらで、お地蔵様のみ手に縋れるようにと、子を失った母たちがせめてもの願いを込めて奉納したものなのです。
杉の落葉を燃やして線香をともし、何基もある石碑のお参りが済むと、次はおもて(本家)うら、新家(分家)の墓などあちこちと、親類縁者の墓参をして廻ります。生家の墓参の為帰って来た人々が会ったりすると、墓の真中でミニクラス会が始まったりします。お天気の良い中日や、日曜日なぞは、次々と幼な友達に会ったりして、とても楽しい雰囲気が墓地のあちこちに広がるのです。子供達にとっても自分のそばに「働らいてない母親が居る」と思うだけで、歌を唱い、スキップしたくなるのです。だから子供達は、お彼岸が大好きなのです。