千川用水は、元祿九年(一六九五年)に玉川上水から分水され、享保七年(一七二二年)には、灌漑用に使川することが許されたそうです。中村にも、千川からひいた小川が幾筋か流れていました。稲作もする農家にとって、用水は大切な流れです。冬の間中、何処かで眠っていたお寺の堀の亀たちが、元気に動き始める頃、村中力を合せて川浚いを行います。霜解けの岸辺から崩れ落ちた土や、枯草を取り除いて、やがて来る「代かき」「田植え」に備えて手入れをはじめるのです。又、秋の彼岸の頃には「川刈り」と云って、春と同様に灌漑用水の手人れをしたものでした。