暑い寒いも彼岸迄とか。彼岸を過ぎると農家の仕事は、大忙しとなって来ます。床ものの植え替え、代かき、田植、麦刈り、麦こき、穂打ち、田の草取り、そして一日置きの前栽物の出荷等々、猫の手も借りたいのが東京近郊の農家だったのです。学童も高学年になりますと一家の労働力としてあてにされ、働らいたのです。
「ただいまぁ…」と帰っては見たけれど、男の子を待っていたものは、今日も亦、大きな米揚げざるに山盛りされた水餅だけであった。
広い板の間は、ガランとして、ひんやり冷たい、
教科書なんぞ放り出して、
息つく間もなく、茶受けの用意にとりかゝる、
カマドの上にはホーロクと、もう一方には水を入れた茶釜が掛けられ、
すぐ使えるようにと、ムイカラの束も置いてある。
若い母親のせめてもの心遣いであろうか。
ムイカラを燃やして水餅を焼くのである。
寒のうちに、競い合うようにして搗いた何俵もの餅は、味噌部屋の四斗樽の中に蓄えられて、
麦刈り頃までの茶受けに食べるのである。
半年近くも水の中にあった黍餠は、
ホーロクにのせると、ベタリと付いて、裏返しがむずかしい、
どうにかこうにか、嫌になる程焼いたつもりでも、
ざるの底は、まだまだ見えない。
カマドの煙も、見にしみる。
パチパチと、ムイカラを燃やしなが、
男の子は、だまって水餅を焼くのです。
その他、子守、風呂焚き、米とぎ、お使いなど、子供にも出来る仕事は何でも手伝ったのです。