真黒に煤けて、戒名も何も見えない遠い昔の仏たちは、どんな時代を過して来たのでしょうか。
百姓たちが、汗と涙でやっと納めた年貢米は、幕府や大名、旗本などの財源でしたので、更に働らかせて年貢を納めさせるべく、権力者はいろいろと本百姓の支配体制を整えて行きました。慶安二年(南蔵院が、家光よりご朱印領を賜った頃)の御触書は、百姓は牛馬の如く働らく為に唯生きていれば良いとの考え方に立って、百姓の心得を示したものですが、それによりますと
○普段は、麦、粟、稗、野菜等食べて、なるべく米を食べないようにせよ。但し、田植え、稲刈り等は、普段よりいくらか食物をたくさんとって働らけ。
○飢餅の時を考えて、豆の葉、さゝげの葉、芋の葉等捨てないようにせよ。
○茶ばかり飲んで遊び歩いたり、寺参りの好きな女房は離縁してしまえ。
等とあります。遠い昔の仏達は、数に於てはほんの一握りの権力者の為に、自分で作った米も食べず、蚕を飼い、自分で紬いだ半衿さえも掛けられず、唯々、年貢を納める為に働らいて居たのでしょうか?
若い嫁さん
金(カナ)こぎで、一株一株こそげ取られた
麦の穂は、
けいど一面にひろげられ、
くるり棒を廻す人々に
初夏の太陽がギラギラと照りつける。
二組になって向い合い、交互にくるり棒で
叩くのであるが、
厚目にひろげた麦の穂は
なかなか落ちず、
汗ばんだ肌には、麦ののげが刺って
痛がゆい。
若い嫁さんは男衆に混って
懸命にくるり棒を叩く。
血の気の無い顔色で、土色の唇を噛みしめ
頑張っては居るものゝ、
くらくらと崩れそうになる自分の体が
地面に吸い込まれそうに苦しい。
嫁さんは、
赤ん坊生んでから未だ四日目なのである。
でも嫁さんは、
猫の手も借りたい位の穂打ちの頃は
のらのらと家の中になぞ入って居られない。
穂打ちの手伝いに実家(サト)に来た
心やさしいお福儀姉さんに助けられて、
家に入らせて貰った嫁さん、
明治も終り頃の
若い嫁さんの話である。
母と子
三時の茶受けが済んでから
随分時間が経ったように思うけど、
六月の太陽は一こうに
札もとの森にかくれてくれない。
背中にくゝり付けられた赤ん坊は、
さっきから、むずかって泣いて居る。
幼い姉ちゃんは
何とか寝かしつけようと懸命である。
「いゝ子だよォ、ねんねしなァ…」と
赤ん坊を撫ぜたり揺ったりしているけれど、
姉ちゃんの背中で、ふんぞり返って泣き止まない。
お茶受けに、おしめを替えてもらったきりで、
きっとお尻がびしょびしょなんだろう。
お腹も空いて来たんだろう。
幼い姉ちゃんは、どうする事も出来ないのは、
よく承知はしているけれど、でも、
「待ってなょ、母ちゃんとこに連れてくから…」
と、とぼとぼと畑道を歩く。
今日も亦、
「忙しいから、学校休みな」
と言われ、朝からの子守で、
小さな肩は、めり込みそうに痛い。
母ちゃんは
四、五人の男衆に混って
せっせと働いている。
肩から肥たごを掛け
ダラ肥を手つかみにして
ポイポイうねの間にまいている。
「母ちゃん!、赤ん坊が泣いちゃうの…」
と、幼い姉ちゃんも一緒に涙ぐむ。
「何だょこの子は、大きい癖に泣いたりして…。
待ってな、これだけまいたら帰るから」
と、口では強い事を云うけれど
母ちゃんも泣いて居る。
姉ちゃんと一緒に泣いている。
心の中で泣いている。
一緒に働らいていた父ちゃんは、
仕事じまいも待たないで、ふいっと消えてしまった。
今頃は、トマ店の上りがまちに腰おろして
コップ酒でもひっかけて居るのだろう。
お舅様たちに気がねして
気儘な父ちゃんの分まで働らかねばと
頑張る母ちゃんである。
赤ん坊の泣き声に
乳房も張って、せつない。
「まってなょ…。もう少しだから…」
母ちゃんは、心の中で泣きながら、
黒い大地に、ダラ肥をまいている。
一歩、一歩、まいている。
昭和の初め頃まで、触書のように、田植え、刈り上げ、蒔きあげ等、農作業が一段落した時だけ白米を食べ、粗衣粗食に甘んじて働らき通し、家を、田畑を守って来た仏たちが哀れでなりません。