お祖父さんの死

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 何となく騒々しい人声に、寝ぼろけ眼を開けて見ると、近所の人の顔も見えます。「おかしいな?、何時も夜の九時頃には皆寝静まって家の中は真暗なのに」。そう思って起き出して見ると、こんな夜更けだと言うのに、一年中閉め切ったまゝでいる出居(でい)の帯戸も開け放たれています。出居はお祖父さんの部屋で、一年間に一、二度しか入った事の無い部屋ですが、人々の後から恐る恐る入って見ました。お祖父さんは、白い小さなちょん髷だけ出して、顔に白布をかけて眠っていました。枕元には一枝のしきみと、小さい団子が五、六ヶ置いてあり、藍色の菊の花模様のついた手織木綿の掛け布団の上には、お祖父さんが日頃愛用していた小刀も光っていました。お祖父さんは枯枝の朽ちる如く、静かに死んでしまったのです。
 
 死ぬまで ちょん髷を落さぬ位、
 頑悶でこわい年寄でした。
 朝の縁側で、
 眉毛をそり落しお歯黒をつけたお祖母さんから、
 何時もちょん髷を結って貰って居たお祖父さん。
 毎朝囲炉裏に一本の線香をともし
 何やら祈っていたお祖父さん。
 家族が食事する板の間より
 一段上の囲炉裏端で、自分一人白い御飯を食べていたお祖父さん。
 滋養が有るからと生卵をすゝり
 細長い牛乳瓶から、毎日一合づつの牛乳を飲んでいたちょん髷頭のお祖父さん。
 新旧入り交った人でした。
 いつも十何人は居る家族に
 睨みをきかせていたけれど、
 一本筋の通った年寄りでした。
 
 夜明けを待って男達は、遠方の親類まで沙汰に行くのですが、必ず二人連れで行くのです。
 一方、おもてのおばさんの指図のもとに、暗い戸棚から黒塗りの会席膳や、大小様々な碗を出したり、うどんを打ったり、煮〆を作ったり、家の内外の掃除をしたり、組中の女衆や男衆の手によって、通夜の準備もたちまち整えられてゆきます。