葬式の日

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 会葬者に振舞う膳も整い、供養の為にもと、集って来た村の子供達に配る菓子袋も、どっさり用意されました。
 庭には何本かの新しい竹竿を立て、その先には、白い提灯や、ヒラヒラの切り込みのある梵字を書いた紙幟や、目玉をかっと見開いて、大きな口をあけている竜の頭が付けられていますし、白木の輿も置いてありました。
 出柩の時が来ると、輿の上にのせられた柩は白布で覆われ、浅黄色の長袢天を裏返しに着て、茶の細帯をしめた四人の男達に担がれました。柩は、先ず竹竿の廻りを三周して、生れた吾が家に最後の別れをすると、竹竿も人々の手に持たれ、おとむらいの行列が出来てゆきます。
 輿の傍には、背中を丸めて更に一段と小さくなったお祖母さんが、悲しみを編笠でかくし、白絹の喪服姿で従って居ます。お祖父さんが生前使っていたお膳を持って……。
 親族の女達や、仲人をして貰った嫁さん違も、白い喪服に、編笠を被り、藁草履ばきで従っています。生前に数多くの仲人をした仏は、白い喪服の人々も多いわけなのです。
 子供達は物珍らし気に、白い着物の母親について歩いて行くのです。もみぢしたクヌギ並木を、おとむらいの行列が続きます。棒の中央に吊された念仏講の鉦は、ニ人の男が担ぎ、打ち鳴らしながら墓地へと向うのです。
「カンカンカン……。カンカンカン……。」と
うら悲し気な余韻を残して、鉦の音は昼下りの森蔭に消えてゆきます。
「さようならー。さようならー。」遠くの田畑で働らいている中村の人々に永久の別れを告げている様に…。
大門(ダイモン)の裏の椿の生垣を左折すると、間も無く墓地の入口です。墓地には、すでに深い穴が掘ってありました。この穴は、組中の人で穴掘り当番に当っている者が、朝のうちに掘っておいたのです。これらの人々は、葬式の輿を担ぐ役目でもあるのです。あまり良い役目ではありませんが、順番制なので致し方ありません。もっとも家族に妊婦の居る人は除外されるのです。仏は無論のこと土葬ですので、穴を掘り進むうちに、昔の仏の天保銭が出て来たり、未だ土に還らない長い毛髮なんぞが、ばっさりと出て来たりして、胆を潰す事も有ると言うことです。
 柩は、二本の荒縄でスルスルと穴の中におろされると、人々は赤土の塊を穴の中に投げ入れて最後のお別れをするのです。
 新しい赤土の土饅頭には、青竹を折り曲げて十文字にさし、白い提灯や、竜の頭や、七板のうすい板に戒名の書いてある屋根付きの塔婆のようなものをさすのです。
 墓地の出入口では、親族の者は、被っていた編笠や、藁草履を脱ぎ捨てて、家から運んで置いた下駄と履き替えるのです。