前の井戸のタタキの中や、大根畑に置いた小判型の大盥の中で、表皮までむいてしまう位に、鮫の皮でつるつるに洗った大根は、五、六本位づつ編んで、縄梯子のようにします。太い矢来に吊された真白い、みずみずしい練馬大根は、初冬の日に眩しく光るのです。
練馬大根と云うと、ことに女子学生などは笑い出す人も居ますけれど、それはまったくの誤解です。練馬大根は他の大根のようにずんぐりして太いのとは違い、とてもすらりとしてスマートです。つまり色白で、すらりとしたみずみずしい足を指しての言葉なのです。
その大根の行列も、夕方には矢来からおろし一ヶ所に集め、コモをかけて霜の当らない様に注意し、朝日と共に又それを広げて、軟らかい飴色になるまで乾しあげるのです。そうして漬け込まれた大根は、別棟の沢庵部屋に積みあげて置くのです。
その沢庵が漬けあがる頃、銀座に店を持つ老舗の自動車が、何樽かの沢庵をとりに来ます。これはその店の従業員の食べ糧にするのだそうですが、子供達はその車が来るのを心待ちしているのです。車から降りたおじさんは何時も、焦げ目の着き過ぎたカステラや、砂糖のカリカリ付いている端っこを、たくさん持って来てくれるからです。
日頃は一銭玉で二ヶ位買えるテッポ玉(飴玉)や、お祖父さんが気嫌の良い時に、ガラス瓶から出してくれる一片の氷砂糖で満足している子供達にとって、砂糖と卵をどっさりと使ったカステラは、この世でこんなに美味しい物が有ったのかと感激する味なのです。