日めくり暦も大部薄くなり、外の仕事も一段落した頃、あちこちの農家から、パンパンパンと景気の良い煤掃きの音が聞え始めます。風も無く、晴れた日を選んで、朝早くから庭先に何枚もの莚を敷き、家中の戸障子を全部外して立てかけます。莚の下の霜柱の崩れが、足袋の底に冷たく伝わって来ます。ピカピカ黒光りする板戸、出居の唐紙、たくさんの障子、古ぼけた長持ちや、時代物の金具の付いた煤けたタンス、嫁さんの真新しい桐のタンス等、すべて外に出してしまいます。
何時も閉め切ったまゝの西縁の雨戸も、さっぱりと開け放されると、びっくりする程家の中がひろびろと明るくなります。
棚の上の神様方は、庭に出した机の上に置かれ、ご仏壇の物すべて「箕」の中に納められます。薄暗い仏壇から、冬の陽の降り注ぐ暖かい庭先に出られたご先祖様方は、さぞかし眩しがっておられる事でしょう。
ケイド(庭の南にある作業する庭)には、急拵えの蒲団干し場が作られ、重たい木綿蒲団を担いでは母家(オモヤ)との間を何度も往復するのです。庭先に並べた丸太の上に、家中の畳を立てかけ乾しておきます。たまに畳のすき間に落ちていた十銭玉が出て来たりすると、思いがけない臨時収入にありつけるので、子供らは大喜びです。
家の中が柱だけになってしまうと、今度は本当の煤払いが始まります。西の竹藪から切って来た手頃の竹を二、三本束ねて、天井や廂の煤を払うのですが、特に台所は大変です。手斧で削っただけの太い自然木を、上手に組み合せた梁の上に積ったカマドや囲炉裏の煤が、竹の葉で払い落されて行くと、麦藁帽子を冠り、手拭で覆面した男衆の顔は、たちまち煤だらけになってしまいます。煤を払って床を掃き終る頃、練馬のモスリンエ揚からお昼の「ポー」が聞えて来ます。
お昼のお菜は、毎年決まって新巻きです。大きいお鉢(おひつ)を真中に、それぞれ各自の膳を前にして円陣を作り、陽光の降り注ぐ縁側での食事は、ピクニックみたいです。何時も薄暗い勝手で食べる麦七分の挽割飯も、今日ばかりは白米みたいに美味しいのです。太陽って、何て素睛らしいのでしょう。
昼食が済むと干した畳を二人がかりで、両端から篠竹でパンパンパンと叩いては、埃りを落して行くのです。
畳を敷きおえると、大釜でわかした湯で、一抱えもある大黒柱や、天井、長押、釘隠しの鶴亀の金具など、そこいら中の拭き掃除をしたり、腰をかゞめて床下に入り、草箒でクモの巣を払ったり、それはもう家中総がかりでの大掃除なのです。子供らの仕事は、畳拭きの手伝いや、神仏をきれいにする事で、夕暮れ迄には、総ての物はそれぞれの場所に納められるのです。お正月も、もうそこまで近づいた様です。