万造こうやと藍

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 藍は、タデ科の植物で、春に種子を播き、畑に移植し、三~四〇cm位に成長する夏に刈り取ります。(花が咲かないうちに)その葉を庭にひろげ、天日に干して、カリ/\に乾燥したものを、クルリ棒で叩いて細かくしますが、藍の葉は、非常に湿気をよび易い爲に、ジリ/\と照りつける真夏の太陽の下で作業しなければなりませんでした。

 中村にも、この葉を集めて、藍玉を作っていた家が何軒かありました。八幡神社の南西に有った「万造こうや」でも、この葉を集めて発酵させ、臼に入れて搗き、二〇cm位の丸餅状にして、裏に屋号の印を押して藍玉を作っていました。当時、村の子達は、筒っぽ袖の盲縞の着物で居たのですが、「万造こうや」の女の子は、何時も美しい花模様の着物で、乳母と遊んでいました。

 しかし、日露戰争後、ドイツから化学染料が輸入される様になり、又、国内でも、化学染料が出来、藍の需要も次第に減少し、「万造こうや」の家さえ無くなって了いました。染料を取る爲に、大量の石炭を使用した「万造こうや」の辺は、今でもアルカリ土壌となり、芋類、陸稲は不作になりますが、ホーレン草等は、非常に良く出来ると云いますし、土を掘り返しますと、藍玉のカスが出て来るそうです。