長屋門とかんぺい爺さん

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 昔、長屋門は無断で建てることは難しかったようです。それに中村には、中村五氏があって、この家だけは八幡様にも昇殿することを許され、他の苗字の人は、下で拝まねばならなかった、との云い伝えがあった位、格式ばった所がありました。

 ところが「つのっつぁきだいじん」の家で、長屋門を建てることになったのです。これを知ったタンジサンのかんぺい爺さんは、鋸片手にどなりこみ「長屋門を建てるなんて、とんでもねェ事だ!」とばかり、勢い余って新しい門柱に傷をつけてしまいました。さあ大変です。

結局、すったもんだの末、流石のかんぺい爺さんも、酒を持って謝りに行ったと云う事です。

 江戸末期、この「だいじん」の家では、地頭今川氏の息女を預かり、養育していました。当時の衣類、文書などは、終戰後、火災に遭い、長屋門と共に消失して了ったことは大変残念なことです。