垢離とり不動㉘

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 千川上水から頂いた中村用水が、「かまくらみち」を横切る土橋の袂に、文化十年六月(一八一二)建立の不動様があります。昔のこと、この不動様は、突然姿を消してしまいました。村人達は、アチコチ探したが見つかりません。そのうちに、警察からの知らせで、品川の波止場(?)におられる事がわかりました。つまり盗難に遭い、外国に売られる寸前に発見されたのです。村人は、大八車をガラ/\引っぱって、不動様を迎えに行き、又、元の場所に建てました。

 この不動様は、その後もう一度、場所を変えた事があります。中村用水の水質汚濁は、昭和初期頃より始まった爲、水の清らかな取水口近くに移されたのですが、どうしてか、又、元の場所に還り、今は稲荷様と並んで、まつられています。

 この不動様は、垢離とり不動と呼ばれていました。中村には、昔から農業の守護神のお山に参詣する爲に、富士、大山、榛名、三ッ峰、御嶽念佛の講がありましたが、毎年代参の者を選んで、お山に登るのですが、代参者や講中の人々が、前日にこの不動様に集り、水垢離をとりました。「サンゲ、サンゲ、六根清浄…」と唱えながら、不動様に水を懸け、自分たちも水を浴びて身を潔め、親類縁者に暇乞いをしてから出発して行きました。

 その時は白装束でした。背中にペタ/\とお山の印の押してある白衣、股引き、腹掛け、手甲、も白、それに白ダスキを掛け、白鉢巻で、菅笠、金剛杖、着ござ(雨具)をクル/\巻いて、背負って出かけました。

 ですから中村や練馬の餅搗き歌に、次の様なのがあります。

  富士の裾野に ちら/\見える

  あれは お道者(ドシャ)か 白鷺鳥か

  鷺じゃござらぬ お道者でござる

 中村のも少し北西を、お道者みち(富士街道)が通っていました。白衣の人々をお道者と呼んでいたので、こんな美しい歌が出来たと思います。富士に行くにも、大山に登るにも、昔は皆、この道を通って行きましたが、明治二十二年に甲武鉄道(中央線)が開通してからは、富士登山も、大月から歩けばよくなり、大変便利になりました。