山本さんの地蔵様㊹

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ヤーサンの北側、千川通りに面して、地蔵座像が建っていました。昔、山本家では、ハヤリ病(伝染病)の爲に、家族が次々に死亡し、ついに年寄二人だけが残されました。

明治五年になって、病死した人達の供養の爲に建てたのが、この地蔵様で、嘉永元年に次々に死んでしまった童子たちと、慶応三年の佛の法名と、命日が刻まれています。

  明治五年建立 山本傳五郎

又、この辺は、ヤーサン、カネマッチャンの屋敷森や竹藪が繁茂して、昼なお暗い道で、一日中日蔭の爲、道路は荒れ、荷馬車等が難渋した所です。そして、この辺で狐にばかされたと云う話も、ちょく/\出た所で、現在の東電のあるあたりです。

 尚、地蔵様は、終戰後、まったくひどい悪戯をされ、たまりかねた山本さんが、南蔵院と相談の上、やむなく屋敷内に移し、今は南向に座しておられます。

 同じ様な理由で、中村の馬頭観世音も、皆旧家の家敷内に移してしまいました。