二十日正月も過ぎる頃、三河万才が才三と共にやって来ました。三河国からの万才なので宿も決っていて、今でも立派な長屋門をかまえている家でした。
春さきの芋種を植える頃には、瞽女が来ました。瞽女はどこの農家でも泊め、私の家でも泊めました。宿が決まると、背負って来た風呂敷包み等、置いて、身軽になって出て行き、日暮れと共に帰って来たのですが、宿になった家では、普段の食事よりいくらかご馳走を作ったと云います。お花瞽女は、とろゝ汁が好物だったとか。嚴しく躾られて居た彼女達は、いろりにもあたらず、座敷に車座になって三味線の稽古をしたり、又、娯楽の少ない頃でしたので、夜には若者達が集まって来ると、当時の流行歌も聞かせてくれたのです。雨の日は、一日その宿に居りました。三河万才は陽気な存在で、子供達も心待ちしていたのですが、瞽女さん達は何か暗い感じでした。
何日か泊まった後、又、風呂敷包を背負い、下駄を履いて、先頭に立つ目の見える女の肩に右手をかけて、一列になって畑の中道を歩いて、中村から離れてゆきました。