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先土器 |
縄文期 |
中村南遺跡 |
南一~8~12、20-28 4-5、南二~3 |
住居跡.石器.土器出土 |
① |
延文二 |
一三五七 |
良辨塚 |
三~11 |
僧良辨が妙経を埋めて塚とした. |
② |
永和四 |
一三七七 |
板碑 |
一~15 |
南蔵院所蔵 |
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慶安二 |
一六四九 |
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南蔵院.薬師堂領として十二石八斗のご朱印を受ける |
③ |
寛文元 |
一六六一 |
阿弥陀如来立像 |
元.南一-六 |
銘.妙定院宣願明観坊一切利益。大日堂に建つ.現在行方不明 |
④ |
〃七 |
一六六七 |
庚申塔 |
良辨塚 |
寛文七丁丑年 おたみ おひの おせん |
奉納庚申供養二世安楽也 |
海誉持○ おひわ おます おたま |
女性の名の刻まれているものは練馬区内でも珍らしい. |
⑤ |
元禄九 |
一六九六 |
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玉川上水から千川上水が分水される |
⑥ |
〃九 |
〃 |
地蔵立像 |
南蔵院 |
南蔵院鐘楼門前.練馬区内で最大の地蔵様 |
⑦ |
元禄八 |
一六九五 |
庚申塔 |
良辨塚 |
当御講中 釈中村三左ェ門 小宮伊ェ門 |
【種】奉供養庚申待二世安楽攸 敬白 中村二郎右ヱ門 中村○右ヱ門 |
九月朔日 同七右ヱ門 同分右ヱ門 |
同七○右ヱ門 神田仁佐ェ門 |
⑧ |
〃一〇 |
一六九七 |
庚申塔 |
良辨塚 |
元禄十丁丑捻九月吉日 |
【種】庚申石塔国家安全 |
處 武刕豊島郡中村南蔵院 |
⑨ |
享保七 |
一七二二 |
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千川用水を、田養水として使用する事、改めて許可される |
⑩ |
〃九 |
一七二四 |
六地蔵 |
南蔵院 |
享保九年八月 |
願主 内田半平 西貝源左衛門 |
念佛講中三八人 |
以前は墓地入り口、道路に面し南向に建っていた |
⑪ |
〃一三 |
一七二九 |
宝篋印塔 |
南蔵院 |
講中四十五人 |
願主 中村傅三郎 西貝武左衛門 同姓久右衛門 同姓弥五兵衛 |
享保十三年十一月三日 |
⑫ |
〃一八 |
一七三三 |
供養塔 |
南蔵院 |
享保十八年八月十九日 願主 道喜 |
奉供養光明真言…安楽也 □□ 中村新五右衛門 |
中村七十五人 中新井七人 |
上鷺宮十二人 |
(以前は小宮領墓地入り口に建つ) |
⑬ |
元文元 |
一七三六 |
聖観音立像 |
南蔵院 |
奉唱念光明真言二一七万遍供養佛 |
元文元年八月二十一日 施主 中村金左衛門 |
⑭ |
〃五 |
一七四〇 |
良辨塚の経筒 |
南蔵院 |
良辨塚より 筒一基を得.南蔵院寺宝となる. |
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経筒髙さ約三寸.経.約一寸五分 |
⑮ |
〃五 |
一七四〇 |
七観音石幢 |
良辨塚 |
立像六 座像一 この石幢は、数十m東方から移したとも云われている |
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東 此方 なか野ミち 目くろみち 西 此方たかいど 大山みち |
南 武州豊嶋郡中村里 北 此方 ねりま川口みち |
⑯ |
元文五 |
一七四〇 |
庚申塔 |
南二~19-1 |
願成就二親兄弟二世安楽 |
元文五庚申年八月 中村利兵衛 |
⑰ |
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南二~19-1 |
年号部分欠落 中村利○衛門 小宮佐内 |
⑱ |
元文五 |
一七四〇 |
庚申塔 |
良辨塚 |
是ゟ右ハ下禰りま道 |
武劦豊嶋郡中村 |
【種】(青面金剛像) 願主 内田五平次 |
講中廿二人 |
元文五庚申年十一月吉日 |
是ゟ左ハ上禰りま道 |
⑲ |
寛延元 |
一七四八 |
水盤 |
南蔵院 |
寛延元戌辰天十月八日 |
水盤 願主 助力 三百七十人 |
観音百番成就 講中十三人 武劦豊嶋郡中邑郷 |
薬師御寳前 |
⑳ |
宝暦十一 |
一七六一 |
供養塔 |
南蔵院 |
西国坂東秩父四ヶ所.西国八十八ヶ所大願成就 俗名 |
内田洛郎左衛門 |
㉑ |
明和元 |
一七六四 |
庚申塔 |
良辨塚 |
右ハかうゑん寺 高井戸道 |
庚申講中現当二世安楽所 中村半左衛門 |
【種】奉造立 願主 |
明和元甲申十月 日 横山傅蔵 |
武劦中村講中二十人 |
左ハぞうしかや通り |
㉒ |
明和三 |
一七六六 |
地蔵立像 |
南蔵院 |
第三世円心法順靈 元は、小宮領墓地入り口に建つ |
㉓ |
安永六 |
一七七七 |
庚申塔 |
南一-26 |
北 なんぞういん江二丁 願主 星川十兵衛 |
薬師如来○○… 神田藤左衛門 |
東 ぞうしがやみち 星川助左衛門 |
(青面金剛像) 南中の道 神田助右衛門 |
西 せき 志やくじミち 神田長右衛門 |
安永六丁酉年七月吉日 同太郎兵衛 |
せハやき 星川孫右衛門 |
㉔ |
寛政十一 |
一七九九 |
聖観音 |
南三-2(西光寺跡) |
銘 巡礼西国坂東秩父百箇所供養 覚山 |
寛政十一年二月十一日 俗名 内田兵三郎 |
㉕ |
〃 |
〃 |
供養塔 |
〃 |
南無遍照金剛 世話人 内田権右衛門 星川源左衛門 |
弘法大師 星川庄右衛門 小宮甚左衛門 |
奉造立 供養塔 内田治左衛門 |
興教大師 願主 内田兵三郎 |
南無阿弥陀佛 講中六二人 |
㉖ |
〃 |
〃 |
供養塔 |
南蔵院 |
法師平等 寛政十一年霜月廿八日 元、小宮領墓地入り口に建つ |
㉗ |
寛政十二 |
一八〇〇 |
庚申塔 |
北二-19 最近、少し南方に移った |
寛政十二庚申十月吉日 西 せき |
武州豊嶋郡中村 石神井 |
【種】(青面金剛像) 東 髙井戸 |
大山 |
天下泰平國土安穏 堀之内 |
内田権右衛門 同惣右ヱ門 山本長治良 |
星川吉五郎 同忠右ヱ門 同辰右ヱ門 |
同□右衛門 同源六 榎本市左ヱ門 |
内田治左衛門 小室甚五右ヱ門 星川新兵衛 |
同宇右門 同藤四良 同佐平 |
同政右衛門 田中惣右ヱ門 同金蔵 |
同治郎左衛門 同治右ヱ門 同友七 |
同源太郎 上原善治良 西貝八五良 |
㉘ |
文化十 |
一八一三 |
不動尊 |
中村三 かまくらみち |
文化十年六月 武州豊嶋郡中村、垢離とり不動と呼ばれている |
㉙ |
〃十二 |
一八一五 |
地蔵立像 |
北二-5-14 |
文化十ニ年三月十五日 右 江戸みち |
念佛講中十八人 南 中野得りのうら道 |
願主 西貝半右エ門 西 上ねりま志ら古道 |
㉚ |
文政十一 |
一八二八 |
道しるべ |
南蔵院 |
弘法大師、文政十一年 左 長命寺 |
㉛ |
〃十三 |
一八三〇 |
水盤 |
八幡神社 |
卍紋のある手洗鉢.(神佛分離令の名残り?) |
㉜ |
〃 |
〃 |
〃 |
南二-18-3 |
半金さん屋敷内稲荷の水盤 |
㉝ |
江戸期 |
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地蔵立像 |
南三-2 西光寺跡 |
昭和七年首つぎ地蔵となる |
㉞ |
年号無し |
馬頭観音(文字) |
三-26-11 |
施主太右衛門、内田昭氏四代前の先祖が建てた(屋敷内に) |
㉟ |
明治元 |
一八六八 |
彰義隊士墓 |
南蔵院 |
大岩衆生之墓.明治元年辰五月十六日 |
㊱ |
〃四 |
一八七一 |
馬頭観音 |
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安政六年二月十五日燒死した馬の供養の為、中村半蔵建之 |
㊹ |
〃五 |
一八七二 |
地蔵座像 |
北一丁目一〇-4 |
山本東一郎氏庭内 |
㊲ |
明治九年 |
一八七六 |
馬頭観音(文字) |
北二-20 |
上原茂男氏屋敷内に建つ |
㊳ |
〃十五 |
一八八二 |
川施餓鬼供養塔 |
南蔵院 |
元、中新井用水樋口近くに建つ。千川上水で水死した人馬の供養の爲 |
㊴ |
〃三五 |
一九〇二 |
馬頭観音 文字 |
南二-17-4 |
明治三五年九月建之 軍蔵(岩崎錄治氏庭内) |
㊵ |
〃 |
〃 |
供養塔 |
良辨塚 |
大乗妙典納経供養塔 |
㊶ |
大正十一 |
一九二二 |
馬頭観音(文字) |
南二-18-3 |
中村菊次郎建之(水路に落ち死んだ馬の供養に) |
㊷ |
年号不詳 |
破風屋根付地蔵 |
南蔵院 |
元、中新井用水樋口近くに建つ |
㊸ |
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道しるべ |
〃 |
右 長命寺 左 福蔵院 元、馬たてば近くに建つ |
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南 南蔵院 向髙井戸道 左 長命寺子ノ権現 此方 ねりま |
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弘法大師 右長命寺 福蔵院 左ぞうしかや 髙田道 |
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弘法大師 右東髙野山長命寺 左 中村南蔵院 |
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〃 |
良辨塚 |
弘法大師 右 福蔵院 |