江戸期には「溜井」と記されており、「溜池」と認識されていたことは明らか。都市化が進んだ大正期になってから、面積が2倍以上になっている点も極めて不自然と言わざるをえない。やはり湿地帯に変わるまでは〝灌漑用水〟として、ある程度までは人工的に水を堰き止め、面積を拡大させていた時期もあったと考えるべきではないか?