円光院(貫井町)の由緒…「円長(1585年=天正13年6月11日寂)という僧が足腰の痛みに苦しみ、子の権現に平癒(へいゆ)を祈っていたところ、夢の中に僧が現れ『昔、付近の住民が旱魃(かんばつ)で苦しんでいた際に持っていた杖で田の畦を掘り、水の出口を塞いでいた石を取ったところ泉が湧き出た。その時の石で痛むところを撫でよ』と告げた。円長が付近を探すと小槌の形をした石があり、それで足腰を撫でたところ痛みは治まった。円長はお礼として堂宇を建て、子(ね)の大権現(だいごんげん)とその石を奉った。これが円光院の始まりである」
⇒円光院の山号は「南池山(なんちざん)」、寺号は「貫井寺」…南側に貫井池があったことにちなむ

◇円光院の過去帳記録…1697(元禄10)年、第四世法印辯(だいよんせいほういんべん)雄(ゆう)が弁財天像を造立して村内一切衆生平等利益を祈願⇒「弁財天は天禄年間(970~972)の大旱魃の折、飲み水に困っていた村民の窮状を救うため、井を穿ってくれた1人の旅の僧の恩徳をしのび、貫井の守護として村民が篤く尊崇してきたもの。辯雄がこれを再造立」

◎『東京府北豊島郡誌』(1918年=大正7年刊)
「上練馬字向貫井にあり、面積七町歩(=約6万9千平方メートル)、但現今は、全部開墾して、池の中心出頭と称する個所を存するのみなり。出頭は、昔村民の旱魃に泣けるを見て、弘法大師の持てる杖に手穿(てうが)ちたる泉なりと伝ふ。貫井の地名もまた此より起こるよし里人は語れり。此辺古跡あるにや土器石器の発掘さるもの多し」
⇒泉を掘りあてた人物は、上記と異なり弘法大師とされる(全国に同様の伝説は多数存在)