「貫井池は現在の貫井1丁目22番地付近にあって、約1反歩(992平方メートル)の広さ。以前、区で水源調査を行った際、その南の約百坪の出頭(でがしら=水源)にしめ縄を張ったこともあった。池のほぼ半分が腰まで漬かる田圃となっていて、水底は冷たかった。ただ、水の抜ける穴がところどころにあり、そこに草を詰め込むのが仕事になっていた。昭和10年(=1935年)頃の池には葦山(よしやま=池に生える葦の腐食が重なってできた百坪ほどの小山)があった。それにはヨシキリが巣をかけ、鯉や鮒のすみかになっていた。ある時、イタチくらいの動物が池に飛び込み魚を捕るのをみたが、その後再びみることはなかった」(練馬区地名研究会会報第10号』小俣隣平氏稿:貫井町在住・関口信保氏<平成元=1989年当時81歳>談話要約)