「貫井池跡より西側の貫井川が暗渠になったのは昭和47年頃だったと思う。昭和30年代半ばから生活排水が大量に流れ込むようになり、貫井川は完全な〝ドブ川〟になった。底にはヘドロが藻のようになって揺らいでおり、子供達はよくそれに小石をぶつけて遊んでいた」
「水量はあまり多くなく、両側の底には出っ張りがあり、子供たちはよくそこに下りて遊んでいた。下りたものの、上がれなくなって大人に引っ張り上げて貰う子もいた」
「台風の時も溢れていたのは見たことがなかった。ただ、溢れるギリギリの高さまで水が上がっていた時はあった」
「昭和40年代は家庭から直接排水が流されていて、水源はほとんどがそれか雨水のようだった。暑い季節になると少し臭かった」