貫井池を南側に見下ろす台地上に広がる、先土器時代~中・近世まで(奈良~平安期中心)の複合遺跡。「金銅製帯金具」や須恵器の転用硯・墨書土器・落合型土器・鉄器・人骨(近世墓地跡)・牛骨(祭祀の跡?)などの遺物が出土しているほか、土器生産の跡も発見されており、極めて特殊な性格の集落跡と考えられている。アパート建設前の発掘調査では多数の住居址などが発見されているが、未だ全体像は明らかとなっていない。近年では、この地を奈良期の『続日本紀』に記載されている宿駅「乗瀦(のりぬま)駅」(「練馬」地名の由来ともされる)に比定する説も唱えられている。