区内石神井川・白子川沿いで発見されている17か所の奈良・平安期遺跡の一つ
⇒区内最大級の遺跡(巨大集落跡)か…貫井中学校・練馬第二小学校・ガラクタ公園等とひと続きの台地(いずれも奈良期土師器・須恵器の表土散布あり)
☆貫井中学校は貫井二丁目遺跡東側に隣接しており、かつて校舎・校庭の工事の際には多数の縄文土器・石器などが出土。校内にはその一部が今も保管されている。

[遺構]
縄文期住居址7軒、弥生期住居址6軒、奈良~平安期住居址18軒、土師器焼成坑、近世墓坑群等

[発掘による主な奈良~平安期出土遺物] ※8~9世紀初頭中心
◇金銅製帯金具(区登録文化財)…馬具飾り?五位以上の高官が付けた帯止め?
◇鉄器→刀子=小刀、鉄鏃=矢じり、穂摘具=麦等の摘み道具
◇落合式土器→特徴:赤色塗彩・横ナデ・回転糸切り・全面または外周手持ちヘラケズリ
落合遺跡ほか武蔵国府、豊島郡衙(地方役所)跡等で出土…限られた地域のみで使用
→盤状杯、南武蔵型杯の生産が行われていた地域
◇須恵器の転用硯、墨書土器⇒「和」(「やわらげる」「おだやか」「かなえる」などの吉祥的意味)等の字が残存→文字の読み書きができるインテリ層、役人等が付近に存在?
◇牛骨→祭祀に使用?家畜を埋葬?
◇土錘(どすい=網のおもり)も出土…貫井池で魚等を獲っていたか?

◎豊島郡衙(北区上中里)との交流もあったとみられ、郡衙(地方役所)支所のようなものが存在した可能性が大

※出土品はいずれも現在、石神井公園ふるさと文化館蔵
※貫井中学校北側は「室町期の豊島氏の馬つなぎ場」との説あり、付近にあった横穴は「石神井城からの抜け穴」と伝えられていたとされる(単なる後世の創作か?)…ただし、貫井中学校北側付近は石神井城~練馬城間を直線で繋いだ際の中間地点に位置