768(神護景雲2)年、東海道巡察使・紀広名(きのひろな)が「下総の国井上(いかみ)・浮嶋(うきしま)・河曲(かわわ)と武蔵国乗瀦・豊島の駅は東山道と東海道両道の交通を受け持って使命繁多であるので、中路同様に馬十匹を常置したい」と奏上
◇豊島駅…北区上中里・平塚神社西側付近
◇府中・武蔵国府…府中市・大国(おおくに)魂(たま)神社(じんじゃ)付近
⇒「乗瀦」は両者の中間に位置する…「練馬4丁目の白山神社付近」「杉並区天沼」「貫井二丁目遺跡」の3説あり(いずれであっても、貫井二丁目遺跡と豊島郡衙とを結ぶ交通路が存在していたことは確実)
◇練馬区「谷戸」(現・練馬4丁目付近)説⇒「地名の読み方」の点で有利
◇杉並区「天沼」説⇒距離・位置の点で有利
◇練馬区「貫井二丁目遺跡」説⇒出土遺物の点で有利