中世には池の南方(中野区上鷺宮3-12~3-15、および練馬区中村北4-21~4-24付近)に「城山」(じょうやま)と呼ばれる砦跡があったとの言い伝えも残る…「古城地という地形には見えねど、村の小名にてここを城山という。(中略)按ずるに文明年中豊島兄弟が構えける石神井城の砦なるべし」(『江戸名勝図会』1823年=文政6年・植田孟縉(うえだもうしん))
◇水源池を押さえるための豊島一族の出城があったことも考えられるが、貫井池からの距離が200メートルあることから考えれば可能性は低い?…城自体が存在したか否かも不明