「貫井池・富士見台ファミリーランド・貫井川について」
富士見台ファミリーマンション管理人:鷲頭(わしず)文男氏(1932年=昭和7年7月11日生まれ・当時84歳)
●貫井池・貫井川について
◇水が湧いていたのは(最大の水源は)、貫井1-30の真ん中あたり。
◇そこからはゴボゴボ水が湧いて、よく湯気が立っていた。まるで温泉のようだった。
◇一帯には葦が一杯生えていた。
◇同地のあたりは最初何も無くて、そのまま小川が流れ出し、旧・飯田百貨店の東側の川に繋がっていた。
◇そこに家を建てた人は、「いつもジメジメしているし、土台が腐って仕方ない」と話していた。
◇この一帯は水の豊富なところで、至る所から水が湧いていた。水はとてもきれいで、どこから流れてくるのか分からないような流れもあった。
◇貫井2-25あたりもグチャグチャの田んぼだった。そこは埋め立てられた。
◇高台の千川上水からの流れも少しあった。それは土管で流されていた。
◇貫井2-13のあたりで湧き水は下水管に流されていた。
◇このあたりは、5mくらい掘らないと砂利の層に当たらない。砂利は茶色っぽかった。その層の部分に土管が通された。
◇自分は1965(昭和40)年に、貫井池跡近くに家を建てたばかりだったが、「とても良い水が出る」というので、「アジアカラー」(写真現像会社)が「土地を譲ってくれないか」と話を持ちかけて来た。結局、その土地は同社に譲り、すぐ近くに引っ越した。
◇雨が降ると、貫井川や千川上水はすぐに氾濫していた。貫井川脇の家ではボートで2階から脱出していたこともあった。
◇大雨で水が溢れ、富士見台~中村橋間では西武線が不通になったこともあった。
「昭和40年の初め頃までは、大雨が降ると『出頭』の付近は水浸しになっていた。豪雨の時にかなりの水が出て、西武線・富士見台~中村橋間の線路が宙吊り状態になったこともあった」
◇旧・飯田百貨店東側の坂の上は、地元で「山の内」と呼ばれていた。大水が出た時は皆、そこを通って帰っていた。
◇湿地帯のため、貫井池跡のあたりでは雨が降るとカエルが家に入ってきて皆困っていた。ヘビもいた。
◇このあたりの土地の価格は、昭和30年代からグングン上がった。昭和30年頃は坪単価1,300円くらいだったが、40年頃には10万くらいになり、すぐに30万くらいになった。
◇昭和20年代、円光院のそばには大根を洗うための桟橋が設けられてあった。
●「富士見台ファミリーランド」について
◇富士見台ファミリーランドが出来る前の同地はゴミ捨て場だった。戦後は成増飛行場の鉄屑捨て場になっており、その後はグラントハイツ(米陸軍・空軍家族宿舎)のゴミ捨て場になった。子供を含む周辺住民は、よくそこに捨てられていたステンレス製のフォークやスプーンを拾って業者に売っていた。
◇同地には当初4人の地権者がいた。
◇町会長(当時)の小林さんもその地権者の1人。小林さんは今の貫井中学南側にあった「酒悦」に勤めていた。
◇「酒悦」には当時、ラッキョウなどをつける大きな樽があった。
◇ファミリーランドプールの入場料金は「大人50円、子供30円」で、当時としても安かった。
◇最後の頃はあまり流行っていなかった。
◇プールは25mプールが一つと、子供向けプール、幼児用プールの3つ(※ほか、イベントステージあり)。
◇「富士見台ファミリーマンション」の竣工は1972(昭和47)年11月。「ファミリー」の名が引き継がれた経緯は分からない。所有者はファミリーランドと無関係なので、単にその名を引き継いで付けただけなのかもしれない。