3.明治7年4月22日

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廿日午後三時御認被遊候御書状、廿二日
十一時比着、拝見、ひつくり致まいらせ候、私も
日々身面相成り、との様存候とも
御帰りなく、此両三日ニハ夜分もふせり
兼程御帰り待候へ共、十九日の御書状
ニ而ハ、いつか帰る時も御座候なぞと御申
越、実とふ致たらよかろふと存居
候所へ、廿日出拝見、ひつくり致、腹の中
ひつくりかへり、手ふるへ、涙計出、かけ
不申、十七日申上候事も御座候、夫も御手許へ
不参、ヶ様成御手紙ニ而は、思召の所相済
不申、よふ/\の事ニ而御請認置居ても
立てもいられ不申候間、寝ふしまいらせ候、
申上候、今日初てヶ様成事申上候と、
何か私がいぢのわるい事ニ而も申上候
やうに御くみ取候て済不申と存、申上
す(ず)候へ共、峯さん(※1)、君の御内の節と御留守と
御心二ッの様成事計ゆへ、私も代筆
御頼申候事なそいやゆへ、御頼も不申、
御身御よわきせいと申候や、夫/\
ぶせう(不精)/\、御はたらき被成候
君の御内の時計ゆへ、御留守中も何度私
おこり候事や知れ不申、私もヶ様成
御手紙戴候うへ、二ッ一ッニ而申上候、十七日出
申上候通り、十二日出後目いたくゆへ、夫ゆへ
つゐ/\十七日迄御便り申上す(ず)、其所は
重々恐入/\、実私も御道中にて
御あんしの 旦那様へ御苦労かけ
候て済不申と、一々申上す(ず)候へ共、
気分わるき事も度々ゆへ、かた/\
御そゑんの事も御座候て、其所幾重も
恐入/\/\御めん願候、仰戴候通私も
初ての事、只今迄御奉公の身、何も/\
存不申、さとう并永田さん(※2)の人も
御存なき方計、たれ壱人相たん
相手もなく、只々君の御帰計
御待申上、もとより峯さん左様成
咄しなそ致候事いや、いそ(※3)計御帰り
毎々との事、度々申居候位の所へ、
昼間口へ出し候も世間御座候間がまん
いたし、夜分成候とふさぎこみ/\、
今日の御手紙ニ而ハ頭上り不申、御さつし
被下候、仰戴候通り初の事、只今迄も
何一ッ聞及候事なぞなく、私か是程
君の事のみ日々存暮し、何事も
打明候君計、すで永田さんへも
おかしな御咄しなから、有難人と
御礼申上候程の所へ、ヶ様成御手紙
かなしく/\、君より外便り候
人、壱人もなく、ヶ様成御手紙戴、
とふ致たらよかろふと、実ぼふ
せん致まいらせ候、家事の事取紛ても、
何ても居不申、仕事等不残致置、
只々御帰りのみ御待申上暮しまいらせ候、
峯さんも別とふと申事なく
ゆへ、私も御便りなき御人の事ゆへ、
実の弟と存、御世話いたし候つもりゆへ、
御留守中なから本等御とゝのへの節
金子等も出し上、□□月給等もまご
つかぬよふ出し上候、何御頼申候ても
ニハ被成被下す(ず)、実のない仕かた、つゐ/\
わたくしも度々腹立候事御座候、
何も/\今日認兼御さつし被下候、
            めてたくかしく
        なを/\めてたくかしく
  四月廿二日三時出ス
 
     十九日御返事
旦那様へ 申上     廿日つけ
     人々御中

※1 峯さん…敏克の実弟、峯次郎。つげにとって厄介な同居人。

※2 さとう并永田さん…敏克、旧藩時代の友人。

※3 いそ…柳沢家のお手伝い