37.明治9年1月4日

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添て申上候、十二月廿日出ぎり
御便りなく、いかヽと日々御あんし
申上居候所、一月三日午後九時比
御便り着、ま事/\嬉しく/\/\/\
有難/\拝見申上候、扨御細やかさま
仰戴き有難/\、実笹間さん
にて賢次郎伺参り、
君大阪御在勤と申事なぜか
仰戴かづと日々存上居候所、
御委しく伺申、さかんの御勤と
伺候て有難/\候へ共、十三等
居(すえ)置候てばか/\しく、しかし
極寒山中御あるきなきのが私
何寄/\/\/\有難/\/\、其内ニハ
御上りと有難/\、電信寮ニ而
おしくと相見、ま事心持宜
有難/\/\、御帰りの節金の御事
仰戴、かしこまり/\、何時でも
御廻し申上候間、何でもかでも
二月末三月初ニハせひ/\御帰り
戴たく、小児もたん/\ちへ付
もはやよ程見て参り、ま事
大きく成、かわゆく成候間、せひ/\
御帰り戴、宮参りも御帰りの
うへいたしたく、私日々御帰り
のみ、ゆびをおり楽しみ/\
御待申上居候、小児ま事/\
大丈ふ候へ共、口の中へ乳かすたまり
夫よりたいとく(胎毒)と申事、口びろ
まて白く成、乳からみにくゝ、夜も
少々なき、私も壱人ニ而心ほそく
ゆへ、小児こう者の嶋崎御新造
安藤ばアと替り/\しばらくの内
とまりもらい候、賢次郎も私出産
後四五日火事用心と申泊りくれ
候へ共、其後男の事ゆへかい物
とこ迄ても参り上ると申、
此程も小児通しわるく、ひようたんや
のたいどくくたし宜と嶋崎家内
申、直参りくれ、其序下谷
暮(墓か)御寺参りも致上ると申、別
暮付届も持参りくれ、修行に
さよ参り、あんしん致候事候、
私はま事/\大丈ふ/\、
君の仰そむかぬたみ(めの誤記か)よふ/\
がまん致し、枕直し迄巣
居、廿九日早朝おきてしまいまいらせ候、
今日も入、つめも取、昨年
出産の節おり物少く、足しびれ
候所、当年おびたゞしくおり物
せいと見、其しびれ迄なをり、
出産の日より今日迄気分わるくと
申日、一日も御座なく、有難/\/\
候、俄の二人子持、源跡から/\
あけ等おろし、ま事小そう
かわゆがり、私乳もよくすい出しくれ
候間、ほうびこま下たよいの
正月ばきかい遣し、此節は
一とうたこニ而大にきやかなり
そふゆへ、二枚半字だこかい
遣し候、其代り一月一日より一日も
やすみなく本さらせ、三ヶ日済
候と内ニ而手習致させ、本嶋崎へ
遣し候筈頼置候、学校ひよう
ばん宜ゆへ嬉しく、実せき
よ程よく出来出来、新助
永田さんもかんしん被成候、口
ま事宜、本もすら/\よめ候
候、近所の人々柳澤さんの
かんがへ大当り、男子御もらい、けいこ事
しこみ、右所へ女子御生れ、こんな
よい都合とふしてゆくたろうと
申、大わらい/\御座候、小児
丸薬ニ而通じもよく、おならの
出つゞけ、新助・賢両人にて
歓々、孫だと申、かわゆがり、
柳澤さんの御帰り迄大きく
致さねならぬと申、此程も私
乳出わるく内、賢次郎・嶋崎家内
もみ、うばと申候へ共、
皆師の申候ニハ、今出てくる
御乳ゆへ、しはらくの内みるく
道具ニ而御上ヶ被成候へ、うば
よりもよ程宜と申、夫より
賢次郎夜所々かけあるき
こしらへくれ、柳澤さん位の
はつめいの御人より頼と申御口上請候間、
どこ迄も骨折と申、目
して飛あるき居候、小そうだき
居したゝめ御わかり兼、御はんし被下候、
朝ま事寒く候ゆへ、羽織にて
おぶい、そふし等致し、朝から
ばん迄両用たれつゝけ、まごつき
暮し、御わらい/\被下候、何も/\
せわしく/\、あら/\申上候、
         めてたくかしく
   一月四日認
 旦那様へ 申上      つけ
       人々