江戸時代には末松社と呼ばれていましたが、明治8年に末松神社と改めました。明治40年、菅原神社と明治42年に轟八幡神社を合祀して大兄八幡神社となりました。昔、「唐戸石」と村人が呼んでいた巨大な石を大兄八幡神社の手水鉢として使用していました。後にその石が末松廃寺の塔心礎だと判明して元の位置に戻されました。 (典拠:野々市町史編纂専門委員会(2004)『野々市町史 通史編』野々市町.) |
所在地:末松(すえまつ) | ||
地区:富奥 |
写真(左) | 撮影年代:昭和後期 | |
  | 出典:富奥郷土史編纂会(1975)『富奥郷土史』富奥農業協同組合. | |
写真(右) | 撮影年代:平成29年9月 |