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補遺編-下 慶長元年(1596)~
寛永七 是より先、越後高田城主松平光長領埴科郡戸倉村百姓、、、
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寛永七年四月六日(1630)
是より先、越後高田城主松平光長領埴科郡戸倉村百姓、同郡屋代堰通水路の変更に関し、松城城主真田信之領屋代村等堰下百姓と争論に及ぶ、是日、光長領坂城代官長谷川茂次、信之の家臣常田図書の訴に答へ、新水路の開鑿は旧水路による水損を防がんための処置にて他意なきを伝ふ、 年次不詳の諏訪文書
[出典]
諏訪文書・○・更埴市稲荷山・諏訪慎平氏所蔵
諏訪文書・○・更埴市稲荷山・諏訪慎平氏所蔵